12月, 2019年

【921号】信長の経済戦略 国取りも天下統一もカネ次第 現代にも通じる、天下人の錬金術

2019-12-24

本日の921号を持ちまして、

令和元年最後の「早川勝メールmagazine」の配信となります。

今年も一年間に渡り、勝手気ままな長文にお付き合いいただきまして、

本当にありがとうございました。

おかげさまで今年も、幸せな一年を過ごすことができました。

振り返ると、実に感慨深く、こうして平穏な年の瀬を迎えることができますのも、

ひとえに皆さんのご支援ご鞭撻のおかげであると、心から感謝しております。

今年一年を「漢字一文字」に例えるならば、

「開」でしょうか。

白内障手術で近眼も老眼も一気に治ってしまい、

超鮮明に両目が〝開眼〟したことは、

私の人生において「一大事件」となりました。

まさに、人生「開」眼。

大金が飛んでいき、財布のひもも「開」きっぱなしでしたが…(笑)

『営業の鬼100則』も、全営業本の中で「年間第1位」(トーハン調べ)となり、

令和元年明けて5月に発売された『リーダーの鬼100則』もスマッシュヒット!

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夏以降は、着々と『転職の鬼100則』の原稿を書き進め、この年末に完成しました。

運よく今年は、鬼シリーズが韓国語版・中国語版にも翻訳され、

何だか作家としての道が「開」けてきた手ごたえを感じられる一年でした。

さらには、ゼロから立ち上げた我が生保直販営業チームは、

9支社400人規模の組織へと成長いたしました。

まさに、多くの若者たちへ門戸を「開」き、大増員となりました。

こうした「執筆」と「生保ビジネス」との二刀流は、

どちらも今年に入って不思議と肩の力が抜け、

いよいよ悟りを「開」く境地へと辿り着いたかのよう。

年末年始も仙人の如く、髭ボーボーで執筆に明け暮れる予定です。

地球上のあちこちでは異常気象による甚大なる被害、

大地震・噴火・台風・豪雨などの大災害、

紛争やテロの悲劇と大飢饉による食糧難、

目を覆いたくなるような凄惨な事故・事件も相次いだ一年でした。

そのような世の中でありながら、

私たちはこうして平和と豊かさに恵まれた環境で暮らしています。

日々「衣・食・住」に困ることなく、

心身共に家族全員が健康に生きられ、素晴らしい仲間たちにも恵まれて、

平穏な年の瀬を迎えようとしていること、

それは「奇跡」です。

感謝しても感謝しても感謝し切れません。

新しい2020年も、

引き続き皆様のお役に立てるメッセージ(執筆&メルマガ)を発信してまいる所存です。

より一層のご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

来年も皆様のご健勝とご多幸をお祈りしております。

「愛と笑顔と幸せがあふれて止まらない」よいクリスマスをお迎えください。

そして、よいお年をお迎えくださいませ。

以上、年末のご挨拶(本日の前置き)はこれくらいにしまして、

メインコンテンツに入ります

本号も、お薦め書籍(718冊目)として、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、【大減税政策】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ! ↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.718

『信長の経済戦略』

国取りも天下統一もカネ次第 

現代にも通じる、天下人の錬金術術  

大減税で2500%驚異の経済成長 !

元国税調査官が「信長のマネー」を強制捜査

元国税調査官 大村大次郎 著 

秀和システム

あまり語られることがないが、信長は領民に対して「大減税」を施している。

信長というと、強権的で高圧的な人というイメージが強いので、

「領国統治も過酷なものだったのではないか」

「信長の天下になれば、領民は重い負担を強いられたのではないか」

と思われがちである。

しかし、意外に思われるかも知れないが、

信長は庶民に対しては非常に善政を行ったのだ。

ただ、それは、よく考えれば当然のことだともいえる。

信長は、つねに周囲の勢力と戦いながら版図を急激に広げていった。

それは、自国領が安定していなければできないことである。

自国領で一揆などが多発していれば、うかうか他国と戦ったりはできない。

領民の支持を得られなければ、領民に抵抗されたり逃亡されたりして、

スムーズな領土拡大ができない。

逆に領民が潤えば、人口が増え、領内が発展すれば税収も増えて、

それは国力増強につながる。

信長が天下統一事業を急速に進められたのは

自国の統治がほかの大名に比べて、うまくいっていたからである。

戦国時代、農民の税負担というのは、けっこう大きいものがあった。

室町時代後半から戦国時代にかけての年貢は、複雑な仕組みとなっていた。

当時、日本の農地は、大部分が荘園となっていたが、

本来、荘園は荘園領主が持ち主だった。

荘園領主は、自分の領地から遠く離れて住んでいることが多く、

実際の管理は荘官や地頭に任されていた。

やがて、荘官や地頭の力が強くなり、彼らが実質的な領主となっていったのだ。

そうなると、どういうことが起きるか?

本来の荘園領主と、荘官や地頭が、二重に税を取るような事態になるのだ。

「二重」とまではいかずとも、税の仕組みが複雑になり、

農民は余計な税負担を強いられることが多々あったのだ。

つまり、中間搾取が増えていったのである。

これは、国家体制にも似たようなことがいえる。

当初、室町幕府は、各地に守護を置いていた。

守護は本来、中央政府から任命された一役人にすぎなかった。

しかし、中央政府が弱体化すると、守護が力をつけていき、

その地域を実質的に治めるようになった。

それが「守護大名」と言われるものである。

さらに、その守護大名の力が弱くなって、その地位を奪うものが出てくる。

戦国大名の出現である。

これも、農民にとって負担が増えることになった。

農民は、荘官らに年貢を払うだけでなく、

守護にも「段銭」という形で税を取られるようになったのだ。

また、新興勢力である「加地子名主」にも、

事実上の年貢を納めなくてはならなくなっていた。

加地子名主というのは、もともとは農民だった者が力をつけて、

地主的な存在になったもののことである。

このように、戦国時代では社会のシステムが崩壊し、

力の強いものがどんどん収奪するようになっていたのだ。

戦国大名は、この社会システムを再構築する必要に迫られていった。

今のままでは、農民は幾重にも税を払わなければならないため、

民力を圧迫してしまう。

また、大名の年後の取り分も非常に低い。

「分散した年貢徴収システムを一括にまとめること」

それが、戦国大名にとっての大命題だったのである。

しかし多くの戦国大名は、それができなかった。

たとえば、武田信玄は、寺社や国人などの徴税権をそのままにしておいたので、

自身の取り分が少なくなり、農民に過酷な税を課すことになったのである。

それが、農民の大量流出などを招き、領内経済を疲弊させた。

信長はそうではなかった。

税のシステムを簡略にして、自分の支配地からは極力、中間搾取を減らし、

農民の負担を大幅に軽減して、 税体系を再構築することに成功しているのである。

(中略)

信長が「武家は土地の一時的な管理者に過ぎない」

という思想を持っていたことがわかる例を示したい。

天正8(1580)年、信長の家臣だった佐久間信盛と、その嫡男の信栄が、

信長から追放されるという事件があった。

この事件は、戦国史の中では単に「佐久間信盛が信長の不興を買って追い出された」

というだけで扱われることが多い。

しかし、この事件は、信長の国家観を如実に示す大きな出来事なのである。

信盛が追放された顛末は、次のようなものである。

天正4(1576)年、信盛は、石山本願寺攻略の総司令官を任され、

織田家で最大の軍勢を率いていた。にもかかわらず、攻略に手こずり、

最終的には信長が朝廷の仲介を仰いでようやく終結した。

信長は、この失態に激怒し、19条の折檻状を出した後、

佐久間親子を織田家から追放した。

この佐久間親子の追放は、

武家社会のシステムを 根底から否定する重大な要素が秘められている。

信盛は、勝家や秀吉のように、もとから織田家中の者だったわけではない。

そもそもは尾張の土着の豪族であり、

尾張で勢力を伸ばしつつあった信長につき従ったというものである。

つまり信盛は、信長の家来として採用されたのではなく、

独立した豪族が信長勢力に加担しているということだったのだ。

信盛の所領は、信長からもらった部分もあるが、

大半はもとから自分が持っていたものもある。

当時の武家システムの常識から言えば、

信長が信盛の所領をすべて取り上げ、追放するというようなことはあり得ない。

しかも信盛は、信長に反抗したり、謀反を起こしたりしたわけではない。

ただ「仕事で失敗した」というだけで、所領をすべて取り上げられたのだ。

これは信長が「武家による土地の所有」

を解消しようとしていた何よりの証拠だと考えられる。

信長は「武家=土地の所有者」という関係を壊し、

武家は単に土地の管理を任せられた官僚に過ぎないという形にしようとしたのだ。

だから、管理者として不適格であれば、いつでもクビにするということである。

当時、信盛は織田家の筆頭家老であった。

しかし信長は、その信盛を追放することで、自分の姿勢を家臣たちに示したのだ。

令和元年12月24日(火) クリスマス休暇

【編集後記】

本日は「休暇」をいただきました。

先週まで『転職の鬼100則』の「初校ゲラ」の加筆修正を行い、

おととい日曜日、出版社へゲラ戻したところです。

年末に、「再校ゲラ」が届く予定なので、

それまでは〝空白の1週間〟、ほっと一息つけるクリスマスとなりました。

年末年始の9連休は、徹底的にゲラへ「赤」を入れまくります。

新刊が完成間近になると、楽しみで興奮が抑えきれません。

はい、今年のバケーションも書斎で過ごします。

新刊『転職の鬼100則』のカバーデザインは未決定につき、

まだサイト上に表紙画像は反映されておりませんが、

すでにAmazonなどで「予約受付中」となっております。

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ということで、年末年始はしばらく配信をお休みしますので、

これが今年最後のメルマガとなります。

新春2020年にお会い致しましょう!

素敵なクリスマスイブをお過ごしください。

そして、よい年を。

では、「新春号」をお楽しみに!

本日も最後までお読みいただきまして、 ありがとうございました。

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早川勝

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【920号】読みたいことを、書けばいい。人生が変わるシンプルな文章術

2019-12-14

先週ついに、次の新刊が「脱稿」となりました!

転職をテーマに「100」ものメッセージを書き上げましたー!

題して、『転職の鬼100則』。

この年末年始でゲラを校正して、1月に入稿、2月発売となります。

今作は、偉いキャリアコンサルタントの先生方が書かれた専門書と違って、

超激辛の一風変わった自己啓発書(転職対策本)となりました。

まったく転職を考えていない人が読んでも刺激になるし、

転職を検討中に人にとっては、恰好の指南書になることはもちろん、

もうすでに「転職に失敗してしまった」という人であれば、

人生をV字回復させる〝座右の書〟になると、自負しております。

そして、採用を仕事にしている人にとっては、 最高の「スカウト・ツール」になります。

これは、間違いありません。

特に、生保業界のマネジャーさんたちの「大人買い」に期待しちゃいます。

私にとっては、『営業の鬼100則』、『リーダーの鬼100則』に続いて、

鬼シリーズ「第3弾」が『転職の鬼100則』なのですが、

先月、『株価チャートの鬼100則』というシリーズ「第6弾」が発売されまして…、

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『株の鬼100則』同様に、初速好調で、もの凄く売れています。

株の本って、けっこう売れるものなんですねー。

出版社より、せっかく見本が届いたので、

私も「株価チャート」の勉強をさせてもらいました。

ただ、一般の皆さまへ詳しい内容を「抜粋」するのは、

やや専門的すぎるので、控えますが、

投資に興味ある方は、ぜひ手に取ってみてください。

さらに『接客の鬼100則』も売れていて、

『英文法の鬼100則』に続き、また英語系の鬼本も出る予定とのこと。

いやー、次々と、すごい鬼ラッシュ!

もうなんだか、鬼がどんどん出てくるので、私も訳が分からなくなってきました(笑)

あれよあれよという間に、〝渡る世間は鬼ばかり〟のようです。

2月発売の早川版『転職の鬼100則』は、

第7弾になるのか第8弾になるのか、私にもまだ分かりませんが…。

どうぞお楽しみに!

以上、本日の前置きはこれくらいにしまして、 メインコンテンツに入ります。

本号も、お薦め書籍(717冊目)として、 ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、【つまらない人間】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ! ↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.717

『読みたいことを、書けばいい。』

人生が変わるシンプルな文章術  

「自分が読みたいものを書く」ことで、 実際に「現実が変わる」のだ。

そんな話を始めたい。

田中泰延著  ダイヤモンド社

「定義をしっかり再構築しよう」というのは、 言い換えれば、「疑ってかかれ」ということでもある。 言葉に対する思考の最初になくてはならないのは、「ことばを疑うこと」だ。 「言葉」という単語さえ、50回書いて唱えると ゲシュタルト崩壊して意味がわからなくなる。 そこからやっと言葉の正体を探るという思考が生じる。

その単語に自分がはっきりと感じる重みや実態があるか。 わけもわからないまま誰かが使った単語を流用していないか。 「わたしはことばを信じてる」みたいな前提がいちばんあやしい。

以前、わたしは歴史に関する記事を執筆していたとき、 不意に「幕府」という単語の意味からなくなった。 なんども「幕府」「幕府」と記述しているうちに、 みるみるわたしたしの中から「幕府」の実体が失われ、 わけのわからないものとなっていった。 鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府。 日本に住んで教育を受けたものなら、小学校以来、何千回も習ったし、 書いたり、言ったりしてきた単語のはずだ。

だが、日本には天皇がおり、君主として存在してきた。 しかし歴史を学習すると、ある時期から当然のように 国権の主体として「幕府」の存在が語られる。 源頼朝が征夷大将軍に任命され政治の中心を移した、と簡単に書いてあるが、 いったいどのように国家権力が掌握されてしまったのか。

そんなとき、頭を切り替えようと 「外国人に英語で日本の歴史を説明しましょう」という趣旨の本を読んでみると、

「カマクラ・ミリタリー・ガバメント」

という記述があり、ハッとして腑に落ちた。 要は「軍事政権」なのである。 現代の東南アジアや中南米のクーデターを思い浮べると本質は近い。 旧勢力に対して軍事力による実効支配を打ち立て、 それが大政奉還まで700年近く続いたのが、この国のかたちだったのだ。

このように、自分自身がその言葉の実体を理解することが重要で、 そうでなければ他人に意味を伝達することは不可能なのだ。

(中略)

「文章を書くのが好き」という人がよくわからない。 わたしにとっては世界で一番イヤなことだからだ。 一番好きなのは「カレーライスを食べること」で、 そこから順番を付けるとだいたい1863番目ぐらいに「書くこと」がランクインする。

おおよそこの世で文章を書くという作業ほど面倒臭いことがあるだろうか。 フルマラソンを走るほうがラクだろう。 東京マラソンはあれだけの参加者が嬉々として完走しているが、 出場条件に「走りたければ1万字書きなさい」とあったら、 ほとんどの人が400字くらいで棄権して参加をとりやめるだろう。

わたしは、自発的に文章を書きたいと思ったことなど一度もない。 コピーライターも仕事も、そういう会社のそういう部署に配属されたからだし、 映画評も頼まれて引き受けたもので、 いま書いているこの本自体、依頼されたからやむをえず書いている。

だが、イヤだイヤだと思っていても仕方がない。 書くと約束した以上、重い腰を上げて書き始める。 イヤなことを少しでも愉快にするためには、 自分が書いて、自分で読んで楽しい気分になる以外に方法がない。 そうしているうちに、自分が読み手になってくる。

自分で独り言を言って自分で笑うようなもので、アホといえばアホだが、 自分のことをよく知っているのは自分なので、 「知らない読み手を想定して喜ばせる」よりもかなり簡単だ。 そうして、自分ひとり勝手におもしろがったものを、依頼主に渡す。

よく、「ライターとして有名になりたい」という人がいるが、 そういう承認欲求を満たしたいのなら、 長い文章を書くことは、その労力に対して割が合わない。 社会に承認され賞賛されたいなら、100メートルを10秒以下で走る、 駅前の広場で歌を歌う、YouTuber を目指す、友人と漫才コンビを結成するなど、 もっと手っ取り早い近道はいくらでもある。

深夜、暗い部屋で腰の痛みに耐えながらキーボードを打って、 自分で書いたものに自分で少し笑う、 それが「書く人」の生活である。

(中略)

さて、あなたは腰の痛みと眠気に耐えながら 1万字の原稿を書いた。 自分が興味を持った事象について、自分が抱いた心象を、 自分が読んでおもしろいように書ききった 。 さあ、だれが読んでくれるか。

だれも読まない。だれも読まないのである。 わたしのように、依頼主がいて、その文章を掲載する場所が最初から用意されていても、 だれも読まない。 ましてや、自分で開設したインターネット上のスペースにそんな文章を載せても、 だれも読まない。なぜか。 あなたは宇多田ヒカルではないからである。

あなたがたとえば「ローマ帝国1480年の歴史」という事象に興味を持って 丹念に資料を調べ、とてつもなくエキサイティングだったという心象を、 自分自身で読んでおもしろいウンチクやギャグをちりばめた文章にして インターネット上に載せても、十数人から、多くて数千人がたまたま目にして終わるだろう。

だが、たとえば宇多田ヒカルが美味しかったロースカツ定食840円と話を書いたら、 数百万人が争って読み、様々なコメントを山のように寄せ、 豚肉の売り上げは跳ね上がるだろう。 あなたのローマ帝国1480年はロースカツ定食840円に完敗だ。

よく文章指南の本には、「なにが書いてあるかが大切」という教えが書いてあるが、 現実は違う。「だれが書いたか」のほうが、多くの人にとっては重要なのだ。 だからこそ、「ターゲット層にバズりたい」「たくさん読まれたい」 「ライターとして有名になりたい」という思い違いを捨て、 まず、書いた文章を自分がおもしろいと思えれば幸せだと気がつくべきだ。

(中略)

朝、職場で会うといきなり 「寒い寒い。今日は穴の空いてる靴下を履いているから寒い。 でも靴下を買うお金がないんだよな今月」 などと言ってくる。そういう人がいるだろう。 知らんがな、としか言いようがない。 あなたは寒いかもしれないがわたしは暑い。 あなたの靴下の穴のことは考えたくないし、お金がないのもわたしの責任ではない。

また、ランチなんか一緒に行くと、急に不機嫌そうに 「あたしブロッコリーすっごく嫌い」と告白を始める者もいる。 食べなきゃいいではないか。 だれも口をこじ開けてブロッコリーを入れたりはしない。

これらの人間に共通する特徴を、できるだけ遠回しにソフトに表現すると、 「つまらない人間」ということになる。

つまらない人間とはなにか。 それは自分の内面を語る人である。 少しでもおもしろく感じる人というのは、 その人の外部にあることを語っているのである。

「寒い寒い」と触れ回る男も、聞き手の共感の範囲ならいいが、 しつこいと、(おまえが寒いのはわたしに関係ない)と思われてしまう。 ブロッコリーが嫌いな女も、育ってきた環境が違うからセロリは好きなのかもしれないが、 基本、どうでもいい。

この人たちは、自分の内面を相手が受け容れてくれると思っている点で、 幼児性が強いのである。 文章でも往々にしてこのように 「わたしはつまらない人間です」と触れて回るようなことが起こる。

少しでも他者とコミュニケートしたいなら、 前者は「今日寒いのはラニーニャ現象の反動なんだ」と言えば、 「なに? ラニャ? なんだって?」と興味を持ってもらえるし、 後者は「ブロッコリーのこの嫌な臭いはイソチオシアネートが主成分なんだよね」 と言えば、「イソチオ……もう一回言って?」と会話に参加するものが現れる。

随筆とは、結局最後には心象を述べる著述形式だということは述べた。 しかしそのためには、事象を提示して興味を持ってもらわなければならない。 事象とは、つねに人間の外部にあるものであり、 心象を語るためには事象の強度が不可欠なのだ。

(中略)

結論から言う。書く人間はモテない。 自分を表現したいなら、ミュージシャンが俳優でも目指したほうがいい。 それらの人は、容姿を人に晒す。 コンサートがある。舞台がある。映画やテレビがある。

文字を書く人には、ライブがない。 書いている間は、だれとも会わない。 談笑しながら書く人はいない。 なんという気色悪い日陰の職業だろうかと自分でも思う。 しかも、とても疲れる仕事だ。 生活は不規則になり、腰は痛くなり、締切に追われる。

書かなければ、あなたは企業の経営者にも、オリンピックのマラソン選手にも、 宇宙飛行士にもなれるチャンスもある。 書くということは、ほぼそれらを捨てることだ。 選ぶということだ。

だれかが言った。 書くことは人間最後の職業だと。 死刑囚だって獄中で原稿を書いて本を出す。

人間はだれしも孤独だ。 書くことは孤独と向き合うための「手なぐさみ」なのかもしれない。 孤独の本質とは、ひとりであるということだ。 なぜひとりで生まれ、なぜひとりで死ななくてはならないか、だれも答えられない。 だがその孤独の中でしか知り得ないことがある。

その人の純粋なところ、美しいところ、正しいところ、優しいところ、 そして寂しいところというのは、その人と会って向かい合っているときではなく、 離れたあと、ひとりうのときにと思い起こされ、伝わり、感じるものである。

我々が人間への尊敬や愛情や共感を心に刻むのは、 実に相互の孤独の中においてである。 書くこと、そして読むことは、その相互の孤独を知り、 世界への尊敬や愛情や共感をただ一回の人生で自分のものにすることなのだ。

自分が読みたくて、自分のために調べる。 それを書き記すことが人生をおもしろくしてくれるし、 自分の思い込みから解放してくれる。 何も知らずに生きてきた中で、 わかる、学ぶということ以上の幸せなんてないと、わたしは思う。

自分のために書いたものが、だれかの目に触れて、その人とつながる。 孤独な人生の中で、誰かと巡り合うこと以上の軌跡なんてないとわたしは思う。

書くことは、生き方の問題である。

自分のために、書けばいい。読みたいことを、書けばいい。

令和元年12月14日(土) 

【編集後記】

私も「書くこと」を生業としている一人として、

めっちゃ共感し、励まされました。

まるで、私のために書いてくれたような一冊でした。

言われてみれば、自分で自分を喜ばせるために書いて、

その文章を読んで悦に入っているのが、私の日常です。

「それでいいんだ」と思えました。

これからも孤独な世界で、自分のために書きますね。

お付き合いいただけましたら幸いです。

それではまた、次号(来週が今年最後の配信です)をお楽しみに!

本日も最後までお読みいただきまして、 ありがとうございました。 ******************************

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