12月, 2016年

【816号】「今、ここ」に意​識を集中する練習 仕事と人生の“パフォーマンス”が劇的に変​わる

2016-12-17

 

 

本号の配信を持ちまして、

2016年最後のメッセージとさせていただきます。

 

早いもので、あと半月余りで一年が終わろうとしています。

おかげさまで今年は、

かつてないほどの最高の一年となりました。

(毎年、年の瀬になると言っている気がしますが…笑)

 

しかし、世界中のあちこちでは、

凄惨な事件・事故も相次いだ一年でした。

 

今もなお、災害やテロの悲劇が繰り返されている世の中にあって、

私たちは今、平和と豊かさに恵まれた環境で暮らしています。

 

衣・食・住に苦労することなく、心身共に健康に「生きて」、

こうして年の瀬を迎えていることに、

改めて感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。

 

なんと「幸福」なことなのでしょうか。

 

そんな感謝の気持ちを込めて、

少しでも世の中に「恩返し」しなければと、

今年も私なりに精一杯生きてまいりました。

 

特に今年は、さらに二刀流を極めようと、

「業界の変革」&「執筆の新境地開拓」を課題に掲げ、

それを私自身の大きな目標としてきました。

 

四半世紀以上に渡り関わってきた保険業界においては、

他社に類を見ないハイブリットな直販チャネル立ち上げという、

歴史的な変革の第一歩を踏み出すことができました

 

ミッションインポッシブルと言われた構想と準備に2年半を費やし

志を同じくする熱い盟友たちがそこに集結し、

ついに7月から第1期生を迎え入れることができたときには、

心の底から感動し、武者震いが止まりませんでした。

 

貢献活動の中心に位置づけてきた「出版」においても、

節目の10作品目(電子書籍と海外版も含めると累計17冊目)として

新境地の“小説” 「ツイてない僕を成功に導いた強運の神様」を、

https://goo.gl/rHnquU

全国の読者ファンの元へ届けることができました。

 

まさに「神ってる」一年でしたね。

 

流行語大賞を獲得した「神ってる」というフレーズを、

もし、最新刊のタイトルへ入れていたら、

ミリオンセラーになっていたのではないかと、

やや悔やんでいる年の瀬でございます(笑)

 

たとえば、こんな感じで↓

神ってる僕の人生大逆転ストーリー」

とか、

「なぜ、神ってない僕が神ってる僕に変身できたのか」

とか、

「8人の神様を味方につける神ってる成功法則」

とか、

「神ってる!神ってる!神ってる物語」

 

なんて。

今さら、ですが…。

 

いかがでしょうか。

 

ではここで、恒例の…、

この一年を各月ごとに振り返って

漢字一文字を「月別」に表してみることにします……。

 

1月は、かつて苦楽を共にした盟友たちが、

次々と新組織へ集結しはじめ、

まず1/1、第1号の支社長が入社する月となりましたので……

 

「盟」

 

2月は、苦労に苦労を重ねた感動映像の制作が佳境となり、

日々、忙殺される月となったので……

 

「映」

 

3月は、生まれて始めて「脚本」を書くことになり、

それが本物の監督さんによって「短編映像」となった月だったので……

 

「編」

 

4月は、三女の高校入学式と新マネージャーたちの入社式があり、

父として、エグゼクティブ・トレーナーとして、

私の役割が新たにスタートした月となったので……

 

「入」

 

5月は、新組織の第一期生たちの嵐のような面接ラッシュで、

面接官として来る日も来る日も「不合格」を出し続けた月となったので……

 

「面」

 

6月は、念願だった「小説」が発売となって書店に平積みされるという、

私の夢が叶う月となったので、

 

「叶」

 

7月は、記念すべき新規直販チャネルの第一期生が入社し、

初期研修が始まる月となったので、

 

 

8月は、メルマガ配信が「祝・800号」迎え、

感無量となった月だったので、

 

「祝」

 

9月は、大阪出張の機会が多く、

新幹線で何度も東西を往復した月となったので、

 

「西」

 

10月は、第2期生の入社と同時に、

初期研修を卒業した第1期生の売り出しが

好調にスタートした月となったので、

 

「売」

 

11月は、地方銀行協会に研修講師として2度目の招待を受け、

熱い講演を成功させることができた月となったので、

 

「銀」

 

12月は、83歳にして初めて「入れ歯」を入れる母が、

ついに完成した入れ歯の本格装着が可能となったので、

 

「歯」

 

今年はこのようにいろいろな体験を通じ、

充実した一年を過ごすことができました。

 

皆さんの応援のおかげであると心から感謝しております。

本当にありがとうございました。

 

2017年も皆様のお役に立てるようなメッセージを

引き続き配信してまいりますので、

より一層のご愛顧を賜りますよう、

心よりお願い申し上げます。

 

よい年をお過ごしくださいませ。

来年も皆様のご健勝とご多幸をお祈りしております。

 

 

 

と、前置きはこれくらいにしまして、

メインコンテンツに入ります。

 

今週も、お薦め書籍(675冊目)の中から、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

 

本日のテーマは、

【意識を「今、ここ」に向ける】

です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.675

『「今、ここ」に意識を集中する練習』 

心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門 

仕事と人生の“パフォーマンス”が劇的に変わる

Googleをはじめ世界の先端企業、ジョコビッチなど

トップアスリートが取り入れ、NHKスペシャルでも話題!!

ジャン・チョーズン・ベイズ=著

高橋由紀子=訳 石川善樹=監修

日本実業出版社

 

 

待たされているといらだちなどが生じます。

レジの列に並んでいると、

自分より前の人たちや動作の遅い店員に対する怒りなどが湧いてきます。

 

しかし、そこで踏みとどまって、

それらのネガティブな感情に心を占領されないようにしていると、

習慣化してしまった不健全な心理のパターンがしだいに消えていきます。

 

心の車輪がいつも同じ深い轍にはまって、いつも坂を転がり下り、

いつもの泥沼にはまり込むパターンを避けることができると、

やがてその轍自体が浅くなり、最終的に消滅します。

 

そして、待たされることによって習慣的に感じていたイライラや腹立たしさも、

しだいに解消していきます。

時間はかかりますが、効果は必ず現れます。

 

あなたがイライラしなくなれば、周りの人たちにも恩恵が及ぶのですから、

やるだけの価値はあります。

 

私たちの多くは、自分の価値を「生産性」ではかろうとする傾向があります。

 

今日1日何も成し遂げなかったら

―――つまり執筆もせず、講演もせず、

パンも焼かず、お金も稼がず、何も売らず、買い物もせず、

テストでいい点を取れず、恋人も見つからなかったなら

―――その日を無駄にしたような気がして、

自分はダメな人間だと思ってしまうのです。

 

自分という人間が存在して、

今このときに生きているということに対して、

何の評価も与えません。

 

こういう考え方をしていると、

「待つこと」がフラストレーションのもとになります。

 

「こうしているあいだに、あれもできたのに、これもできたのに!

というわけです。

 

あなたにとって大切な人に、

「あなたに一番何を求めるか?」

と尋ねてみたら、

どんなに答えが返ってくると思いますか?

 

おそらく、その答えは

「あなたがいてくれること」

「私を優しく気にかけてくれること」

というものではないでしょうか。

 

「人が存在する価値」というものは、

それらによって生じるポジティブな感情、

支えられている実感、親近感、幸福感などでしかはかれません。

 

忙しく飛び回って生産的であることをいっとき止めて、

ただ静かにそこにいてみてください。

 

自分の周りに意識を向けてみましょう。

 

実際に周りに人がいなくても、自分が人から支えられている実感、

親近感、幸福感を感じることができるでしょう。

 

このようなポジティブな感情は、誰もが欲しているものですが、

お金では買えません。

 

これこそが、「存在していること」がもたらす自然の果実です。

 

誰もが生まれながらにもっていながら、

そのことを忘れている「生得権」なのです。

 

 

(中略)

 

 

自分の状況を、より完全なものにして幸福感を得るためには

「〇〇が必要だ」と考えると、そこに「欲望」が生じます。

 

欲望の対象は、特定の車、家、食べ物だったり、

学位や世間からの称賛だったり、

あるいは特定の誰かだったりします。

 

心引かれる対象が手に入らないと、不幸感が生じます。

 

こういうときは「何かを手に入れて、それを自分の所有とする行為」

によって、自己を定義しようとしているのです。

 

人はまた、精神が所有するものによって自分を定義することもあります。

だから知識を披瀝したり、自説を強く主張したりするのです。

 

「この問題に関する自分の意見は正しい。

だから相手が納得するまで徹底的に主張しなければ!」

などと考えます。

 

そのグループに24人いれば、

自分の意見以外に23通りの意見があって当然なのに、

なぜ自分の意見だけが正しいと思うのか、

これは驚くべきことでもあり、面白くも思えます。

 

怒りやいらだちは、人が自己を防衛していることの表れです。

 

何かあるいは誰かが、自分が幸せになるのを妨げていると感じると、

怒りが生じます

 

怒りを覚える相手は、

特定の政治家、苦痛や病気、意見の合わない上司や同僚、

鼻につく近所の人やうるさい犬などさまざまです。

 

それらを取り除くことができないと、自分が不幸に思えます。

なぜ世の中は自分の思う通りにならないのかと腹が立ちます。

 

これもまた驚くべきことで、面白くもあります。

 

世の中には70億の人間がいて、それぞれが違うことを望んでいるのに、

なぜ自分の思う通りにならないのかと不思議がっているのですから

 

私たちはまた、自分自身についてもあまりよくわかっていません。

 

「自分」というのは、何らかの安定した不変の存在ではなく、

常に変化しています

 

私たちが「自分」と呼ぶもののすべては絶え間なく移り変わるプロセスで、

それに応じて好みも変化するし、

体の細胞の1つひとつもいっときとして同じではありません。

 

各呼吸は、その絶え間ない変化の流れの一部です。

 

自分に対する意識を無理に固定しようとすれば、

単に苦悩が生じるだけです。

 

 

(中略)

 

 

「シャル・ウィ・ダンス?」という映画のなかで、

いつも私が感動するシーンがあります。

 

結婚がうまくいかなかった男がこう尋ねます。

 

「なんで人は結婚なんかするんだろう?」

 

ダンスの相手の女性はこう答えます。

 

「自分の人生を誰かに見てほしいからよ。

結婚するってことは、

『あなたの人生は誰にも気づかれずに終わるんじゃない、

私があなたの人生の証人になります』

っていうことなの」

 

仏教の経文のなかに、「共感」に関するものがあります。

 

そのなかで主に説かれているのは、

人に対する思いやりにおいて相手の話に耳を傾けることの大切さです。

 

「心を込めて聴くことを練習するべきだ。

そうすれば相手の言っていることだけではなく、

言葉にしなかったことも、よく理解できるようになる。

深く聴いてあげるだけで、

相手の苦痛やつらさをかなり癒すことができる」

 

吸収するように人の話を聴くことのできるセラピストは、

それだけで患者の癒しを促進できると言います。

 

セラピストがひと言も発しない、というセラピーの方法もあるほどです。

 

話を聴きながら、クライアントのなかに気づきが生じるのを待つのです。

 

私の知っているある学生は、

自分の言葉に誰ひとり耳を傾けてくれない家庭で育ちました。

 

「全身で自分の話を聴いてくれる人に出会えたとき、

生きるエネルギーを与えられたような気持ちがした」

と言っていました。

 

誰かがじっと自分の言うことに耳を傾けてくれるというのは、

それまでそういう経験がなかった人にとっては、

最初は居心地が悪いかもしれません。

まるで生物学のサンプルのように、

自分が調べられているような気がするのでしょう。

 

吸収するように話を聴く練習は、

自分の心のなかのうるさい声を静める効果もあります

 

鏡を見たときに、心のなかの批評家が

「ほら、その顔のしわ! ああイヤだ。年はとりたくないね」

などとイヤなことを言っても、

その声に気づくだけで、信じることも反応することもなくなります。

 

 

 

2016年12月11日(日)

 

 

【編集後記】

 

本号を持ちまして、今年最後のメール配信となります。

一年間のご愛読、誠にありがとうございました。

 

年末年始は休刊とさせていただき、

明けて2017年は、

1月15日(日)【817号】より配信を再開いたします。

 

例年通り、年末年始休暇中は、

次なる新作に向けて執筆に集中させていただきます。

11作品目(海外版&電子書籍を含めると18作目)は、

さらなる新境地に挑戦中でございます。

 

どうかご期待ください。

 

来年も、より一層のご支援を賜りますよう、

心よりお願い申し上げます。

 

時節柄、ご多忙のことと存じます。

くれぐれもご自愛くださいませ。

 

では、

ステキなクリスマスをお過ごしください!

 

年末年始、温泉や海外など、ご旅行に出かけられる方は、

どうかお気をつけて、心ゆくまでお楽しみください。

 

そして、

よい年をお迎えください。

 

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早川勝

【ホームページ】http://tsuitel.in

『ツイてない僕を成功に導いた強運の神様

「最高の自分」に生まれ変われる8つの教え』

https://goo.gl/ZAooUn

 

【書籍案内】↓

http://tsuitel.in/books/book_list/index.html

【人気シリーズ】↓

http://tsuitel.in/books

E-mail: hayakawa@tsuitel.in

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【815号】自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで 会話のできない重度自閉症の15歳が文字盤でつづる全米で大絶賛されている手記

2016-12-03

 

先々週号でお伝えした「テレビ出演」の件ですが、

やっと番組ホームページにアップされたようです。

 

放送後すぐに見られなかったようで…。

お待たせしてしまい、すいませんでした。

 

ぜひ、ご覧ください。

「賢者の選択 Leaders」↓

http://kenja.jp/database/mov.php?tar=569

 

さて、

話は打って変わって…、

 

3日前、私宛てに一枚のハガキが届きました。

 

「スプリング、ハズ、カム」

という映画の試写会への招待状。

 

いや、待てよ…。

しかし、私にはまったく心当たりがありません。

 

「マスコミ試写のご案内」が、

なぜ、私宛てに届いたのか?

 

しばらく、首を捻っていたのですが…。

 

よくよく映画の内容を読んでみると、

むむむっ?

「吉野竜平」監督作品、

とあるではありませんか。

 

あれ?この名前はもしや?

 

あっ、そうか、と、思い当たりました!

 

そうなんです。

実は、吉野竜平監督というのは、
今年はじめ、私早川と一緒に、
「ショート・ムービー」を制作した監督さんだったのです。

 

いやー、驚きましたよ。

弊社の映像を制作してくれた監督さんが、
まさかメジャーデビューを果たすとは!

 

私早川の拙い脚本&脚色6本の「感動ストーリー」を

素晴らしい映像に仕上げてくれた監督さんでした。

 

どおりでそのショート・ムービーが「大好評」だったわけですよね。

 

そんな実力派の監督さんに対し、
撮影後の「編集」にまで口も挿んだ自分を振り返り、
「なんと失礼なことをしてしまったのか」、

と、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいです(笑)

 

現在では、新チャネルの採用・教育・販売ツールとして、

その映像は様々な場面で活用されています。

 

メジャーデビュー前の監督と共に、
いくつかの作品を手掛けることができたことは、
心の底から誇らしく感じますし、

一人のミーハーな映画ファンとして、舞い上がっております。

いやはや、とにかく、感動・感激です。

 

えっ?
ところで、いったい、
どんな映画でメジャーデビューしたのかって?

 

はい、それでは、

コチラをご覧ください。予告編です↓

https://www.youtube.com/watch?v=MIAb6NJD85U

「スプリング、ハズ、カム」

第28回 東京国際映画祭 

日本映画スプラッシュ部門出品作品

 

私早川にとって興味深いのは、

宮部みゆきミステリー「ソロモンの偽証」の怪演が強烈だった、
石井杏奈(E-girls)主演ということ。

「四月は君の嘘」では広瀬すずの親友役や、
川村元気原作の「世界から猫が消えたなら」でも

確かな演技力を魅せる、今まさに旬な若手女優です。

ポカリスエットのCMでも存在感が光っていましたね。

 

その石井杏奈ちゃんの父親役として、
落語界の鬼才、柳家喬太郎がダブル主演。

娘を知る、父を知るための可笑しくせつないロードムービー。

男女問わず、どの世代の方も楽しめる作品のようです。

 

2月18日~新宿武蔵野館ほかで公開されます。

現在、リニューアル工事のため休館中の新宿武蔵野館ですが、

来春、新しく生まれ変わった新宿武蔵野館で

ぜひ皆さんにも「スプリング、ハズ、カム」を楽しんでほしいですね。

 

その後、全国順次公開予定とのこと。

 

映画の感想については、
試写を鑑賞後、公開前までに、
改めて皆さんへお伝えしたいと思います。

 

 

 

と、前置きはこれくらいにしまして、

メインコンテンツに入ります。

 

今週も、お薦め書籍(674冊目)の中から、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

 

本日のテーマは、

【「できること」を磨く】

です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.674

『自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで』 

会話のできない重度自閉症の15歳が文字盤でつづる、

全米で大絶賛されている手記

この本で、世界は自閉症の「真実」を知った

いつも手をぱたぱたさせ、へんな声をあげている。

考えていることが口に届かない。

それでも、ぼくには伝えたいことがある。

 

イド・ケダー=著 入江真佐子=訳

飛鳥新社

 

 

一日か二日黙ってすごすことは、だれでも想像できる。

じゃあ、一生ずっと沈黙を通す人生を想像できるだろうか?

 

この沈黙とは書くこと、身ぶり、

言葉以外のコミュニケーションも含む、「完全な沈黙」だ。

 

これこそ会話のできない自閉症者が一生すごす世界なのだ。

希望がうすらぐのもむりはない。

 

それでもがまんしてABA(行動療法)や

フロアタイム(自閉症治療に焦点をあてた遊び)に取り組むけれど、

どれもなんの効果もない。

セラピストさんには助けてもらえない。

 

自分の頭がまともだということを知っているのは自分だけなのだ。

 

断言できるけれど、これは一種の地獄だ。

 

専門家の先生たちはスティムの管理や、決まりきったドリルや、

粘土のおもちゃを探すようなくだらない遊びばかりさせる。

何度も何度も、いつまでも。

 

でも先生たちはコミュニケーションのしかたを

一度も教えてくれなかった。

 

ぼくは心の中で先生たちに叫んでいた。

「ぼくに必要なのはコミュニケーションなんだ!」

 

先生たちは一度もこの叫びに耳を傾けてくれなかった。

それが沈黙の世界だ。

 

ぼくは幼いころから字が読めた。

書くこともできた。

ただ指が不器用すぎてそのことを示せなかった。

 

学校ではABCのテープを何度も何度も聞かされ、

1+2=3の足し算を何度も何度もやらされてすわっていた。

 

悪夢だった。

心底うんざりしていた。

 

そのせいでぼくの内側は死んでしまった。

なんの希望もなかったから、

ぼくの内側はゾンビみたいだった。

 

七歳のときに変化があった。

お母さんと一緒にすわって、誕生日パーティーの招待状を作っていた。

字を書けるように、お母さんはぼくの手を支えていた。

 

ぼくはお母さんの手の下で字をつづっていった。

ふと、お母さんはぼくの手が勝手に動いているのを感じとり、

ということはこの手は字を書けるんだと気づいた。

 

ぼくたちは一緒に書いた。

お母さんはぼろぼろ泣いて、

もっと早くに気づいてあげられなかったことを謝った。

ぼくは怒って、ののしってしまった。

 

ぼくたちはそれからよく一緒に書いた。

気晴らしにはなったけれど、でも、生活は変わらなかった。

だれしも全然信じてくれなかったのだ。

 

ABAの先生たちは、あなたはまちがっている、

とお母さんをつっぱねた。

これには深く傷ついた。

喜んでくれて、もっとうまくコミュニケーションをとる方法を

教えてくれるとばかり思っていたからだ。

 

ぼくはこの人たちと一緒にやっていくのをやめた。

 

学校はなにも変わらなかった。

先生はぼくのことを疑っていた。

最悪の気分だった。

お母さんは科学者であるお父さんさえ説得できなかったので、

ぼくはすごくさびしかった。

 

ぼくはお母さんとしかコミュニケーションができなかったので、

腹が立ってしかたなかった。

お母さんはぼくの不満の矛先になったけれど、耐えてくれた。

 

そんなときソマ先生と出会った。

ソマがぼくの人生を救ってくれた。

 

彼女はかしこい人間を相手にするように話しかけてくれた。

段階を追ってコミュニケーションのしかたを教えてくれた。

彼女が助けてくれたことに一生感謝する。

 

ABAの先生は、頑としてぼくを信じようとはしなかった。

ぼくがソマと一緒のところを観察して、

これは「プロンプト」

(自閉症者が作業に集中できるように指導者が与える手助け)で、

「この子はほんとうにコミュニケーションしているわけじゃない」と考えた。

 

ぼくもあの人たちのことが大嫌いだった。

あの憂鬱なころのことは思い出したくもない。

 

でも、徐々にひとりでできることが増えてきて、

お父さん、そして学校などで支えてくれていた人の中でも

疑いがうすらいできた。

 

いまではぼくが知的でユニークな人間だとみんなが知っている。

 

ぼくの中に真実を見つけてくれたお母さんに、

そして目を開いてくれたお父さんにも感謝を。

 

もう、ものいわぬ少年ではないぼくを、

この不思議な世界に導いてくれた両親がいてくれて

ほんとうに幸運だ。

 

(中略)

 

アグラクシア(失行)とは

電話回線がうまくつながらないような症状のことで、

これのせいでぼくにはしゃべるのがむずかしい。

 

考えていることが口に行くまでの途中で

迷子になってしまうのだ。

 

たとえばレストランで、ほんとうはチキンを食べたいと思っているとする。

だけど、「ビーフを食べたい?」と聞かれたら、

口が勝手に「うん」といってしまう。

 

自分で答えたとはいえ、ほしかったのとはちがう料理を

がまんして食べなきぉならないので、いらいらする。

自分の口に驚かされ、それに従わされるという感じだ。

 

イエスかノーかの質問でない場合、もっとむずかしい。

思っていることがまったく外に出てこないのだ。

 

(中略)

 

ぼくは本のページをぜんぶ頭の中で「見る」ことができる。

十年前のことも決して忘れない。

 

なのに、着替えを最後まですることを覚えていられない。

 

ぼくは本や会話を、細かいところまで覚えすぎている。

これには参る。

いらないことで頭がいっぱいで、

ひと言いわなきゃならないときに出てこないからだ。

 

ぼくの知識は口に向かう途中でブロックされているみたいだ。

 

ぼくたちだって考え、理解している。

でも、ぼくたちはただずっとすわって、手をぱたぱたしたり、

わけのわからないことを口走ったりしてしまう。

 

だから知的障害だと思われるのだ。

知的障害のある自閉症者もいるかもしれないけれど、

みなさんが考えているほど多くはない。

 

ぼくたちが知能テストで失敗してしまうのは

「出力障害」のせいだ。

内側で考えていることを正しく外に出せない。

出口を見つけた自閉症者はごく少数だ。

 

ぼくの考えは口にたどり着くまでに迷子になる。

 

でも、ありがたいことに文字盤を指すときには迷子にならない。

頭の中、つまり脳はぼくたちがまだ理解できていない世界だ。

 

まだだれも自閉症を神経学的には解明していない。

だから確実な治療法はまだない。

 

(中略)

 

問題は、他の人がぼくの恥ずかしがり屋の部分を

どう解釈するかだ。

ぼくの場合、専門家たちはこう決めつけた。

 

「この子は自閉症なので社会性がない。

人よりもモノのほうが好きなのだ」

 

大きな誤解だ。

 

想像してみてほしい。

思いどおりに身体を動かせず、

不安のせいでまひしたようになって

沈黙の世界に閉じ込められている状態を。

 

こんな状態でいるときに

「引きこもり」なんて意味をなすだろうか?

 

なぜ先生たちは

「この子は他人に興味がない」と判断したのか。

 

「行動の理由」ではなく、

「外に現れた行動」しか見ていないからだ。

 

でも人が引きこもるのには、恥ずかしさ、きまり悪さ、

悲しみ、コミュニケーションの問題、不安など

さまざまな理由がある。

 

そしてこれはふつうの人たちにもいえることだ。

 

「シャイな人は人間よりもコンピューターや本を好む」

なんていえないはずだ。

コンピューターや本は気持ちを傷つけないので安心できるというだけだ。

 

自閉症の人がスティムにふけって自分の殻に閉じこもったり、

隠れたりするのもこういう理由からだ。

 

解決策は忍耐、愛情あるサポート、

そして自閉症者を受け入れて尊重することだ。

 

(中略)

 

二〇〇八年の北京パラリンピックの再放送を見た。

心をゆさぶられた。

 

アスリートたちは身体が引きしまり、速くてタフだ。

足や腕がない人もいるし、身体が変形している人もいる。

人生を完全に変えてしまった事故にあった人も多い。

 

でも自分を憐れんでいる人なんてひとりもいない。

 

「わかった。ぼくは片脚を失った。

じゃあ、脚一本でなにができるだろう?

ぼくは一本脚のアスリートだ」

と彼らはいう。

 

片方の脚を失ったスプリンターを見た。

ジム・ビゼルという選手だ。

彼はすごく速く、誇らしげに走った。

そして二着だったけれど意気揚々としていた。

 

それを見ていて思った。

ぼくはいったい何年、自分を憐れんですごしてきたことか―――。

 

頭の命令に従わない自分の身体が大嫌いだった。

身体にいうことを聞かせるのは至難のわざなので、

何度もあきらめたし、今後もむりだと思っていた。

 

「試練に負けない」というのは、どんなに厳しいことだろう。

自己憐憫にひたりながら

ソファでテレビを見ているのはなんとかんたんなことだろう。

 

ぼくも自分の身体に取り組むことはできる。

ふつうの人以上に練習しなきゃならないけれど、

がんばれば走れるし、泳げるし、スケートボードもできる。

 

ひとつ大事なことをつけ加えたい。

 

これまでの自閉症教育は、ぼくたちの障害や

「できないこと」にばかり焦点をあててきたということだ。

 

どんなに努力しても、ぼくの身体ではできないことがある。

 

たとえば、今後も歌を歌えるようになるとはとても思えない。

口で自由に会話をすることにさえ手は届かないと思う。

 

だけど、かわりにぼくには他のことができる。

考えられるし、文字盤を指したりタイプしたりすることはできる。

こういう能力をもっと磨いて、もっと自立することはできる。

 

もししゃべることだけに焦点をあてられたら、

ぼくは身動きがとれなくなってしまう。

 

だってそれは「能力」じゃなくて、「できないこと」だから。

 

それはできないけれど、

腕を鍛えることで「できること」を強化している。

 

身体障害の場合は傍目にもわかりやすいけれど、

自閉症の場合は神経系統の問題なのでわかりにくい。

 

ぼくは戦う決意をした。

 

ぼくの「できないこと」はそっとしておいて、

いまは「できること」に磨きをかけ、

増やしていく、と。

 

(中略)

 

人生、なにが起こるかを予見するのはむずかしい。

人生に期待するのはさらにむずかしい。

 

なんの前ぶれもなくひどいことが起こることもある。

だから毎日を贈りものをもらったように暮らすのがよい。

 

ぼくは障害者で、しゃべれない。

けれど、幸運なところもある。

 

すてきな家族がいる。

多くの人に気にかけてもらっている。

コミュニケーションしたい、学びたいという自由意志がある。

ぼくは自然の中へ、音楽の中へ入っていける。

神様は毎日ぼくに呼吸させてくれている。

 

小さな奇跡が積み重なって大きな贈りものになる。

 

与えられた贈りものを自覚しながら暮らすことが、

悲しみに抗う武器となるのだ。

 

しょっちゅう悲しんでばかりいる人は、

与えられた幸運にフォーカスしてみてほしい。

 

ぼくはおいしいものが大好きだから、

料理を楽しめる味覚があってラッキーだ。

水が大好きだから、泳げてラッキーだ。

音楽も大好きで、毎日音楽を楽しんでいる。

 

自分の病気にばかりフォーカスして、

みじめな気持ちでいるべきだろうか?

いや、決してそんなことはない。

 

ぼくたちは人生をよりよくできると信じて、

人生を選ばなければならない。

 

人生をだめにするのはかんたんで、

よくするのはむずかしい。

 

でももし、ぼくたちの人生が神様にとって大切なものだとしたら

―――そうだと信じている―――ぼくたちには他人だけでなく

自分自身にもやさしくする義務がある。

 

人生に一度だけチャンスがあるのだとしたら、

困難なことがあってもベストをつくして生きたほうがいい。

 

 

 

2016年12月4日(日)

 

【編集後記】

この本を読んで励まされない人はいないでしょう。
また、自分の生き方や見識のなさを恥じる人も少なくないでしょう。

私早川もその一人でした。

イド・ケダー君は、自閉症クラスを出て普通学級で学び、
高校を卒業するときは、クラスで4番目の成績だったといいます。

今は大学で勉強をしています。

自閉症が精神障害でも学習障害でもなく、

運動能力の障害であることを証明したわけですね。

 

このことが、どれだけ世界中の自閉症者とその家族に

希望と勇気を与えたのか。

 

心から敬意を表するばかりです。

 

 

 

ではまた来週!

今週も素敵な一週間をお過ごしください。

 

本日も最後までお読みいただきまして、

ありがとうございました。

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早川勝

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