1月, 2016年

早川勝メール【777号】日本でいちばん大切にしたい会社5「他者の幸福への貢献、それがいつか自らを幸福に」

2016-01-31

こんにちは。

ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ

個人的な趣味として一斉配信しています。

 

ついに、今週号で【777号】に到達しました。

こうして“スリーセブン”が並ぶと

「何かいいことがありそう」

とテンションが上がります。

 

きっと、今このメッセージを読んでいるあなたにも

「ツイてる」ことが起きるかもしれません。

おめでとうございます。

 

さて、「ツイてる!」といえば、

最近、我が家の周辺で妻や娘たちが
「有村架純」ちゃんや「高良健吾」さんを見かけるらしいのですが…。

どうやら、最寄り駅あたりが

ドラマの撮影現場となっているようなのです。

今週たまたま私が「月9」の時間帯に帰宅すると、

「ああー、あそこの踏切、駅前の!」

「あっ、あの坂道、すぐそこの!」

「うおおー、知ってる知ってる、あそこの場所じゃん」

と、娘たちがドラマに夢中になっているところでした。

その盛り上がりに巻き込まれ、
ついつい私もラブストーリーを一緒に見るはめに…。

たしかに舞台が日常的であると主人公も身近に感じ、

まるで、有村架純ちゃんが近所に住んでいるかのように錯覚してしまいます。

 

しかも、タイトルがいい。

「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」

う~ん、なかなか秀悦ですね。

そして、このラブストーリー、

どうも昭和の匂いがするなぁと思っていたら、

脚本は「坂元裕二」さんでした。

そう、かつて一世を風靡した「東京ラブストーリー」の脚本家です。

「月曜日の9時になると、夜の街から女性たちが消えた」

と言われるほどの社会現象となり、

流行語にもなった「カンチー」とともに、

鈴木保奈美は一気にスターダムを駆け上がりました。

当時は、私も若き20代でした。

なつかしいですね。

 

そうそう、有村架純ちゃんといえば、
先週、ブルーリボン賞の「最優秀主演女優賞」を受賞しましたね。

新人賞じゃなく、伝統ある映画賞の主演女優賞とは、驚きました。

すごいですね。

隠れ映画ファンの私の場合、

映画賞を賑わす作品はほとんど観ているのですが、

「ビリギャル」だけは観ていませんでした。

(原作本は読み、既にこのメルマガでも紹介しましたが)

後日、DVDで「ビリギャル」をしっかりと鑑賞し、

「受験生の親」という立場からも、合格の秘訣を学びたいと思います。

ちなみに、高良健吾さんも、
2年前のブルーリボン賞にて、

最優秀主演男優賞(「横道世之介」)を受賞しています。

演技力に磨きがかかった主演の2人に、
今後ますます注目していきたいですね。

と、前置きはこれくらいにして。

そろそろメインコンテンツに入ります。

今週も、お薦め書籍(639冊目)の中から、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、

【働くことの幸せ】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.639

『日本でいちばん大切にしたい会社5』

他者の幸福への貢献、それがいつか自らを幸福に

坂本光司著  あさ出版

http://xtw.me/XRKRYvZ

 

 

障がい者雇用の問題を語るとき、

私には忘れられない会社があります。

鹿児島のラグーナ出版という会社です。

設立の中心メンバーの1人は精神科医の森越さんです。

 

森越さんが言った言葉を私は忘れられません。

「精神障がいという障がいは、

進行を抑えたり、症状を軽くすることはできますが、

治すことは正直とてもむずかしいのです。

この障がいを治す最もよい方法は、

社会参加、つまり働くことです」

 

森越先生は、病院を辞め、退職金をなげうって

精神障がい者が働く会社をつくりました。

障がい者の幸せが働くことにあることを、

ラグーナ出版もクラロンもよく知っているのです。

 

障がい者が働ける場を確保するには、

一企業の頑張りでは限界があります。

そのため、善六さんは生前、障がい者の就労を支援する

「福島職能開発研究協議会(職能研)」

という組織を立ち上げました。

 

養護学校や教育委員会、職業安定所、有志の会社などが集まって、

障がい者が働けるよう組織をつくったのです。

善六さんは養護学校の先生と一緒に、

企業に頭を下げて回ったといいます。

 

善六さんの奮闘のおかげで、

職能研は現在でも活動を続け、44周年を迎えたいまも、

障がいをもつ多くの子どもたちの就労に貢献しています。

 

クラロンに入社した、障がいがある女の子が書いた詩を紹介します。

 

私の将来の夢は、人の役にたつことです。

私は、どんなことをしても、のろのろで

うまくゆきませんでした。

人にめいわくをかけます。

でも、母が言いました。

「お前にもできることがある。」と

はげましてくれます。

私は、この言葉を信じ、

いっしょうけんめいに働きます。

 

善六さんは、子どもたちから美しい人間の生き方を学ばせてもらったと、

生前、職能研の会合で語っています。

 

2016年1月31日(日)

※お知らせ

しばらくの間、新作の執筆に集中するため、休刊とさせていただきます。

毎週の配信を楽しみにしているファンの方々、大変申し訳ありません。

一旦、スリーセブン(777号)で止めて、

また1~2か月経ちましたら、再開いたします。

「いつかこの“本”を思い出してきっと泣いてしまう」

というほどの感動作品を完成させますのでお楽しみに!

 

↓それまでの間は、バックナンバーを遡ってお楽しみください。

http://tsuitel.in/back-number

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早川勝

【ホームページ】http://tsuitel.in

↓「死ぬ気で行動する人にだけ運は必ず味方する」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761271299/kankidirect-22/

【書籍案内】↓

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E-mail:hayakawa@tsuitel.in

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早川勝メール【776号】あきらめる勇気 「心がすっと軽くなる」人生の処方箋

2016-01-24

こんにちは。

ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ

個人的な趣味として一斉配信しています。

 

最近、バスの事故など、悲しいニュースが続きますね。

交通事故を少しでも減らしてほしい、

という思いを込めて、

本日は、5年前に配信したメルマガの前置きを再送することにしました。

 

では、ハンカチのご用意を。

↓↓↓

小学校で保護者に配布された『風見しんごさんの講話』

「飲酒運転根絶会議」ダイジェスト版

 

3年前、突然襲われた交通事故についてお話します。

毎日のニュースで、交通事故という言葉を耳にしない日はありません。

これだけ交通事故が続いていると、その言葉に慣れてきてしまいがちですよね。

私もそうでした。

自分の家族に死亡事故が起こるまでは…。

やはりテレビのニュースを見れば、悲惨だなぁ、と思いますが、

一件一件の死亡事故の現場で実際にどれだけのことが起きているのか、

ということまでは目を向けてきませんでした。

そんな私の家族に起こった交通事故のことを聞いてください。

 

恐ろしい交通事故、それは突然やってきます

被害者の中に「私は今日、交通事故に遭うな」

と思っている人は一人もいないでしょう。

 

そして、交通事故というのは人を選んでくれません。

その人がどんなにまじめな人であろうが、どんなに幼い命であろうが、

人を選んではくれません。

 

僕にも子供が二人いました。

一人は7歳に成長しましたが、

長女の方は、3年前のあの日以来ずっと10歳で止まったままです

 

その日、娘はいつもと変わらない朝を迎えました。

いつものように眠い目をこすりながら起きてきて、

いつものようにお母さんの作った大好きなツナサンドをほお張って

いつものように「おじいちゃん、寒いよ〜」

と言いながら白いジャンパーを着せてもらい、

そして、いつもと変わらない笑顔で

「いってきまーす」と言って家を出ました。

 

「いってきまーす」と言って家を出た娘が、

その5分後にはトラックの下にいたのです

 

娘を送り出したあと、私と家族は自宅にいたのですが、

そこに近所の人が飛び込んできました。

「えみるちゃんが事故!えみるちゃんが事故!」、

ただそれだけでしたから、

まさか自分の子供が死亡事故に遭っているとは

考えもしませんでした。

「きっと車に接触して、すりむいて血を流して、

たぶん道路脇にへたり込んで大きな声で泣いているんだろうな」

とにかく早く行って「大丈夫だから」と言葉をかけて

慰めてやらなきゃと思いながら

妻と一緒に自宅を飛び出しました。

自宅から100m先の角を右へ50m行ったところに横断歩道があります。

 

「早く抱きしめてやらなきゃいけない、

大丈夫だからと落ち着かせてあげなきゃいけない」

とそんなことを考えていました。

 

そして、家の先の角を右に曲がり

さらにその先にある横断歩道を見ましたが、

娘の姿はどこにもありません。

道路脇に泣きながらへたり込んでいる娘の姿を想像していた僕の胸

嫌な予感が走りました。

トラックに近づくと周りの人たちからは

「見ないほうがいい、見ないほうがいい!」と言ってくれましたが、

トラックの下から最初に見えたのは、

ありえない形にひしゃげた娘の足でした。

 

周りでは多くの人たちが助け出そうと動いてくださいました。

ある人は「何で早く救急車を呼ばないんだ!」、

またある人は「そんなジャッキしか積んでいないのか!」、

さらに別の人は「なんでエンジンを切らないんだ!」と、そんな騒ぎの中、

 

今でも忘れられないのは、

エンジンのかかったままのトラックの下にもぐり込んでいる娘を

救い出そうとしている妻の姿です

僕はその3トントラックを持ち上げようとしたのですが、ビクともしません。

しかし、近所の人やたくさんの人たちの力でトラックが浮いたんです。

そしてトラックの下から、大事な大事な娘がやっと出てきたのですが、

全身血だらけでした。

 

そのとき残念だと思うことは、

事故を起こしたときの運転手の人が一番先に連絡を取ったのは、

救急車を呼ぶことではなく、会社への報告であったということです。

辛いです。

 

今となっては親としていろいろと後悔することがあります。

あの朝、あと5分早く学校へ行かせていたら助かったんじゃないか。

「いってきまーす」のあと、

孫の「ランドセルを背負った姿」を最後まで見ていたおじいちゃんも、

何であと50mついて行ってやらなかったのか、と悔やし涙を流しました。

家族は皆それぞれがいろんな後悔をしました。

 

その後、救急車が来て、娘が乗せられ私たちも一緒に病院へ向かいました。

頭蓋骨骨折、顔の骨が砕け、肋骨が折れ、腰の骨が砕け、足の骨折、など、

即死状態といわれましたが、実は違うんです。

 

午前8時8分に事故が発生してから1時間半、

10歳の幼い命は生きていたんです。

若い命、夢を持った命は生きようとしていたんです

病院の控え室で待機している僕たち家族の所に

お医者さんは来て言いました。

娘さん生きようとされていますよ。

一生懸命生きようとされてますよ」と。

天国へ旅立った9時33分までの1時間半の間、

10歳の命は生きようとしていたのです。

即死状態と言われた交通事故で

体がどんなにボロボロでグチャグチャになっていても

生きようとしていたのです。

 

娘が頑張った1時間半、どれだけ痛かったか、

どれだけ辛かったか、どれだけ怖かったか、

事故から3年が経ちますが、

親としてそれを考えない日は一日たりともありません

 

9時33分に天国へ旅立ってから娘が病院を出ることができたのは

検視が終わった6時を回る頃でした。

その長い時間、妻は娘の手をずっと握り続けていました

握っている間に手がどんどん硬くなっていくのが分かったそうです

病院を出るときに抱き上げた娘の体は丸太のように硬くなっていました。

 

それから葬儀社の人が来られて死に化粧をするのですが、

娘の姿は化粧をするにもあまりにも変わり果てていましたから、

5時間かけてどうにか、

ぎりぎりお友達に見てもらえる状態に化粧していただきました。

 

「いってきまーす」と言って家を出た娘が、

我が家に無言で帰ってきたのは深夜1時をまわっていました。

玄関には、娘がその日に行くはずであった新体操教室の

体操着などが入ったブルーのバッグが置かれていました。

 

娘はきっと学校から「ただいまー」と帰ってきたらすぐに

新体操のバックを持って出かけようと思い、玄関に置いていたんでしょう。

そのバッグを娘が手に取れなかったのかと思うと、

胸が張り裂けんばかりの気持ちになりました。

 

妻はそのバッグを1年間そのままその場所に置き続けていました。

娘がいつか取りに帰ってくるかもしれない。

そんな思いで…。

 

その後、通夜があり、お葬式がありましたが、

私は現実を受入れられませんでした。

突然すぎて、何をやってるんだろう、

何をこんなに長い夢を見ているんだろう、と、そう思いました。

 

葬儀が終わって娘は小さな壷の中に入り、

変わり果てた姿になってしまいましたが、

それでもまだ、交通事故は終わらないんです。

 

一ヶ月後が経ち、遺品を返還してもらうため、

妻と二人で警察署へ向かいました。

警察官の方がダンボール箱を抱え、

丁寧にたたまれた娘の服やハンカチ、そして鞄や傘などを持ってきてくれました。

傘はグチヤグチャに折れ曲がっていました。

皮で頑丈にできているはずの赤いランドセルも

ズタズタに引き裂かれた状態になっていました。

どうやったら一瞬でこんな悲惨な形に

ランドセルを変えることができるんだろうと思うくらい、引きちぎれていました。

それを見たとき、改めて交通事故の怖さを感じずにはいられませんでした

 

何より私が驚いたのは、ランドセルの中に入っていた筆箱と鉛筆です。

もちろん筆箱もつぶれていましたが、

中の鉛筆は折れているのでなく、まっ平らなんです。

鉛筆が平らになってしまうなんて、

いったいどれだけの圧力を受けたのだろうか、と、

それを見たときは、警察署の中で泣き崩れてしまいました。

 

やがて、どうにか気持ちが落ち着きだし、

なんとか普通に息が吸えるようになった頃、

今度は裁判が始まります。

その裁判でまた事故の現実、悲惨な状況を

一からすべてを思い出さなければなりません。

しかも裁判は、一日や数時間で終わるものではなく、

本当に重たい時間が何ヶ月も続きます。

加害者の家族にとっても、重たい時間がずっと続くのだと思います。

 

辛くなるからそう考えるのはよそうと思っても

「娘は死んだんじゃない、殺されたんだ」、

と、やはり親としてはそう思ってしまいます。

 

被害者と加害者だけでなく、

たくさんの人たちも多くの悲しみを抱えています。

娘の親友だった子は拒食症になってしまいました。

 

たった一つの死亡事故で、

そこに起きる悲しみはあまりにも多すぎます。

一件の死亡事故が減ると当然の一つの命が助かります。

それだけでなく、一件減るだけで

多くの人たちの悲しみもなくなっていき、

一件増えれば、

また何十、何百という悲しみが増えています。

 

ぜひ、これからも飲酒運転がなくなりますように。

そして死亡事故がゼロになりますように。

祈っています。

 

以上。

それでは、

そろそろメインコンテンツに入ります。

 

今週も、お薦め書籍(638冊目)の中から、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

 

Facebook友達の中村さんより

献本いただいた彼のデビュー作です。

お祝いと感謝の気持ちを込めて。

 

本日のテーマは、

【自分らしく生きる】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.638

『あきらめる勇気』

「心がすっと軽くなる」人生の処方箋

中村幸也著

 

人の感情に影響を及ぼしているのは出来事そのものではなく、

その出来事に対しての“解釈”であるとお伝えしました。

このように言うと、よくある精神論のように

「無理してでもポジティブに解釈しろ」

と言っているように聞こえるかもしれせん。

しかしここで僕が言いたいのは、無理にポジティブに思い込むのではなく、

事実に基づき論理的な物事の味方をしようということです。

 

そのように悩みを解決していく心理療法が

アルバート・エリス博士の提唱した論理療法でもあるのです。

まず起きた出来事に対してビリーフ(解釈)があって感情を生むわけですが、

その際とくに不合理な考えによる解釈をイラショナル・ビリーフと呼びます。

 

不合理な考えによる解釈というのは非論理的な思い込みのことで、

もともと持っている偏見や先入観からの固定概念でもあります。

つまり事実に基づいていない思い込みのことです。

 

反対に事実に基づいた論理的な解釈をラショナル・ビリーフと言います。

これについては後ほど説明します。

イラショナル・ビリーフは、自分の中で勝手に作った「~でなければならない」

という思い込みから成り立っています。

そしてその「~でなければならない」というのが自分の中で常識となり、

それに囚われることになります。

 

たとえば、不登校の子どもがいたとします。

 

学校に行かないことでその子と家族が苦しくなるのは

「子どもは学校に行かねばならない」という思い込みがあるからです。

「いやいや、学校へ行くのは常識じゃないですか」と言うかもしれませんが、

その常識そのものが非論理的な思い込みでもあるのです。

 

もし「不登校は問題児」とか

「子どもが学校へ行かないのは、家庭に問題があるからでしょ」

という思い込みの常識だけじゃなく、

「学校には行きたい子供だけが行けばいいんだよ」とか

「エジソンみたいな天才と言われている人たちは、たいてい学校時代は問題児だった」

という新しい常識があったとしたらどうでしょう?

 

その子どもや家族が悩むこともなくなると思いませんか?

 

「囚われる」という字は人が枠に閉じ込められている状態を書きます。

理想の“かくあるべき姿”や

常識という枠に囚われるから生きにくくなるのです。

 

だからそんな思い込みに基づいたビリーフを

事実に基づくビリーフに変えてあげることです。

 

たとえば「一度も失敗してはならない」という思い込みがあるなら、

それを「失敗しないに越したことはないけど、失敗から学べることだってある」

に変えてあげるといいですね。

 

「どんな時もあきらめてはならない」という思い込みがあるなら、

それを「やれる限りはあきらめずに挑戦したほうがいいけど、

あきらめることで見つけられる夢もある」

というふうに変えればいいのです。

 

これがラショナル・ビリーフです。

 

そうするに越したことはないが、別の方法もあるならそれで良しとする。

そうやって解釈を変えることで囚われていた心が楽になります。

 

だからあきらめたってそこで終わりとは限らないし、

不登校の児童も問題児なんかじゃない。

 

見方を変えれば、問題児だと思っている不登校児が

「学校に行きたくない」と自己主張できるのは

“自分らしさがあるから”とも言えるのだから。

 

2016年1月24日(日)

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早川勝

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早川勝メール【775号】錯覚の法則 成功は脳をだました人に訪れ、失敗は脳にだ​まされた人に訪れる。

2016-01-17

こんにちは。

ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ

個人的な趣味として一斉配信しています。

 

「冷たい人間だ」「性格の悪い人だ」「もう仲良くしたくない」

と、あなたに思われるかもしれない。

それでもあえて、誤解を恐れず、

勇気を持って告白する。

 

実は私早川勝は、動物が苦手である。

 

あなたが「可愛い、可愛い」と言って

人間以上に愛情を注いでいる犬や猫や小鳥などのペットも

私にとっては「恐怖の対象」でしかない

そう、もうとにかく無条件に「恐い」のである。

テレビに出てくるワンちゃんや小猫ちゃん、

動物園の檻に入っている小動物たち、

それらを見て純粋に可愛らしいとは思える。

 

でも、放し飼いの小犬が近づいてきたとしたら

私は一目散に逃げるしかない。

しかも悲鳴を上げて。

 

「情けない」のひと言だ。

 

どれくらい恐いかというと、

サバンナでライオンに追いかけられるのと同じくらい恐い

 

冗談ではない。

これは本当に本当である。

 

だから、我が家ではペットが飼えない。

犬が大好きな我が家の娘たちにとっては

理解しがたいらしく。

いつも非難轟々である。

 

きっと、この事実を知って

「早川さんって、冷たい人!」

と思った人もいることだろう。

イメージダウンも致し方ない。

動物好きの人には、

「動物恐怖症」など、簡単に理解できるはずもない。

「大丈夫だから!」と言われても、

私はまったく大丈夫じゃない。

 

たとえば、愛犬家のあなたであっても、

もしサーカスのライオンが近づいてきたとしたら

いくら調教されていたって「恐い」だろう。

それと同じだ。

 

そんな私が、たまたまこのお正月に

CSチャンネルを見ていたら、

「又吉直樹」大先生が番組の中で、

例によって「太宰治」について語っていて、

その話の一つに私は希望を見出すことができた。

 

又吉と太宰の共通点の中の一つに、

「犬嫌い」「動物嫌い」があるらしいのだ

 

「畜犬談」という太宰治の作中には、

いかに犬が恐いかが描かれている。

「犬に噛まれ21日間通院」した友人も登場する。

 

又吉自身も「犬と熊は同じくらい恐い」と言っていた。

 

私はなんだか嬉しくなった。

「文豪の2人と共通点」があったなんて。

 

思わず、小説の執筆にも力が入るというもの。

芥川賞も夢ではない。

 

年明け早々、私は又吉直樹さんの言葉に救われ、

自分の弱点が「希望」に生まれ変わった。

 

やはり今年も「ツイてる年」になりそうだ

http://tsuitel.in/books/index.html

 

と、前置きはこれくらいにして、

そろそろメインコンテンツに入ります。

今週も、お薦め書籍(637冊目)の中から、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、

【思考停止】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.637

『錯覚の法則』

成功者は脳をあっさりその気にさせる

嘘でいい。肯定的な記憶データをインプットせよ!

成功は脳をだました人に訪れ、

失敗は脳にだまされた人に訪れる。

西田文郎著  大和書房

http://xtw.me/XHxEf5Q

人間の脳は正しいと思った途端に、

思考が止まるようにできています。

「正」という字は、上に棒が一本ないと「止」という字になる。

「正しさ」から芯がひとつなくなると、

人間は考えを「止めて」しまうのです。

 

それなのに、誰もが「自分の考えは正しい」と思い込んで、

相手の話を聞き入れたり、新しいアイデアを提案したりすることを

放棄してしまいます。

 

上司に何か頼まれると、

「こんなことできっこない」と反発したくなります。

いままでの常識で考えて、無理だと決め込んでいるからです。

私はたとえば会議などの席で

「常識では考えられない」「そんなもの常識的じゃない」

といった発言を聞くと、

「それっていつの時代の常識ですか。1年前の常識ですか。

100年前の常識ですか。1000年前ですか」とたずねたくなります。

たとえば300年前の常識だと、会議で人が集まろうと思ったら、

みんな馬に乗ってこなくてはなりません。

ところが、実際はタクシーに乗ってきているわけです。

ちょっと先の未来では、いまのようなタクシーではなく、

一人ひとり空を飛んでくるのが常識になっているかもしれません。

 

17世紀に「地動説」を唱えたガリレオ・ガリレイは、

当時多くの反発を受けましたが、いまや「地動説」は常識です。

 

いつの時代も、いまの人たちが「正しい」と思っている常識は、

あとで生きる人たちから見ると

非常識であることが、往々にしてあるのです。

 

過去の常識にとらわれていても仕方ありません。

過去はすでに終わったこと。

新しい常識をつくるのが私たち、現代人の仕事なのです。

 

いまの自分の能力では無理だと思うのなら、

それ以上のことをやるにはどうしたらいいかを考えなくてはなりません。

 

常識を盾に議論する人は、それが正しいと思い込んでいます。

これこそが錯覚です。

 

その錯覚は往々にして

「自分は正しい。相手が間違っている」

という思考に発展します。

相手を敵とみなし、いがみ合い、ぶつかり合う。

その身近なものが夫婦喧嘩です。

「俺は正しいのに、おまえは何でわからないんだ!」

「なぜあなたは私の気持ちをわかってくれないの?」

とやり合っているとき、

夫も妻も自分の「これが正しい」「自分こそが正論」という考えに縛られて、

お互いを思いやる気持ちがなくなっています。

 

夫婦喧嘩で済むうちはまだいいでしょう。

自分だけが正しいという主張がエスカレートすれば、

最終的には戦争にまでも発展してしまいます。

これまで幾度となく繰り返されてきた宗教戦争も、

元は「うちの宗教だけが正しい」と言い張ったことから始まりました。

これが一方思考の一番の危険性です。

 

自分だけが正しいと思って、相手のことを考えなくなると、

命の取り合いまでしてしまうということです。

 

だから、思考停止は恐ろしい。

人類の未来を止めてしまうことにもなりかねないのです。

 

 

2016年1月17日(日)

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早川勝

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早川勝メール【774号】大放言 炎上覚悟。

2016-01-10

こんにちは。

ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ

個人的な趣味として一斉配信しています。

 

新年号のご挨拶が遅くなりました。

謹んで新春のお喜びを申し上げます。

旧年中は一方ならぬ お引き立てを賜りまして、

誠にありがとうございました。

 

本年も、相変わらぬメルマガのご愛読、 宜しくお願い申し上げます。

毎号、長文にて大変恐縮ではございますが、

皆さまの人生がより豊かになるような「名著の紹介」と

自由奔放でユニークな「前置き文を配信」してまいる所存です

 

そして今年は読者ファンの皆さまとのご縁をより深めていけるよう

なお一層、「執筆」に励む年にしたいと思っております。

ゴルフクラブやスキーの道具は捨てました。
休日のすべては執筆活動に捧げます。

 

次なる出版オファーは、節目となる10作品目
新境地に挑戦中です。

年末年始より「目指せ!ドラマ化、映画化!」をスローガンに、

ストーリーものを書き始めましたが、

おかげさまで関係各所の評判も上々でございまして

この調子で完成に至りましたら面白い本になりそうです。

 

今年も「死ぬ気」で邁進いたします。

http://tsuitel.in/books/index.html

 

 

一方で、今年は一企業人としても明確なミッションを背負い、

パッションみなぎる初春を迎えています

業界の歴史にイノベーションを起こす元年となることでしょう。

 

乞うご期待です。

 

と、新年のご挨拶は、これくらいとさせていただきまして、

今年最初のメインコンテンツに入ります。

 

今週も、お薦め書籍(636冊目)の中から、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、

【やればできる子?】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.636

『大放言』

大マスコミ、バカな若者、無能な政治家、偽善の言論……
炎上覚悟。

百田尚樹著  新潮新書

http://xtw.me/XC3XEO1

 

 

私の友人に小学校の教師がいる。

先日、彼から興味深い話を聞いた。

その時、彼から教えてもらった会話を紹介しよう。

 

彼と彼が担任する小学校六年生の男の子の会話だ。

 

「○○君は、将来、何になりたいんや?」

「俺? MLBに行ってイチローみたいなプレーヤーになることかな」

(今どきの子は教師相手にも「俺」と言うのを知って驚いた)

「大きな夢を持っているな。そやけど、○○君は野球クラブに入っていないやないか」

「それがどうしたん?」

「イチローになりたいんやったら、野球をやらなあかんのと違うか?」

「それはそうや。そのうちにやろうと思ってる」

「イチローになりたいんやったら、

今、やらなあかんと違うか」

「俺、多分、やればできるような気がするんや」

 

私はその話を聞いて思わず吹き出してしまった。

あんまり面白いので、

コントの台本に使わせてもらおうと思ったほどだ。

 

しかし友人の教師は笑わなかった。

「最近こういう子が増えてるんや。低学年ならおかしくもない。

でも六年生にもなって本気でこんなことを考えてる子がどんどん増えている。

何もできないのに夢だけは大きな子。

そういう子たちに共通するのは

『自分はやればできる子』と思ってることや」

 

彼は続けた。

「そういう子たちの親もやっぱり同じことを思っていて、

保護者面談なんかで話していると、

全然勉強ができないのに、

『先生、この子はね、やればできるんですの』と言う」

 

「めちゃくちゃ都合のええ言葉やな」

 

「そう。しかしこの言葉は、ぼくら教師自身もよく言うセリフなんや。

ぼくらは勉強ができない子に対しては、

何とか自信を持ってもらおうと

『君はできない子やない。やればできる子なんだから』

と言い続ける。

ところが、そういう言葉を耳にし続けた子の中に、

『よし、それじゃあ頑張ってみるか』

と発奮する子はほとんどいなくて、

逆に多くの子が

『俺は今はできないけど、やればできるんだ』

と思い込む」

 

「根拠のない自信だけを身に付けるわけやな」

 

「そうなんや。昔は小学校の成績表というのは相対評価やったから、

できない子は自分がクラスのどの位置にいるのか嫌でも知らされた。

その分、劣等感も大きかったと思うが。

だけど今の小学校は絶対評価だし、

その上、通知表に『できない』という評価は

よほどの場合じゃないとつけない。

だからできない子も自分がどれだけできないのか

自覚のないまま大きくなっていく。

で、周囲の人からは『君はやればできる子だから』と言われ続けて、

自信だけは優等生なみに持っている。始末に負えんよ」

 

彼の話を聞いていて、

そう言えば私の周りにもそういう若者が増えているのに気付いた。

何の実績もキャリアもないのに、

妙な自信だけはある若者たちだ。

そのくせ、何にも本気で取り組まないし、がむしゃらにもならない。

恥ずかしながら、実はかつての私もそうだった。

「自分はやればできる」というのは魔法の言葉だ。

この言葉を常に心に持っていれば、どんな逆境にも耐えられる。

「できない自分」に直面しても、

「駄目な自分」の姿を見せつけられても、

心底落ち込むことはない。落ち込んでも、

「俺はやればできるんだから」と呟けば、

たちどころに勇気が湧き、強い自分を取り戻すことができるのだ。

 

そして自分よりも上にいる人間を見ても、

大きな敗北感を感じることなく、

「こいつら、これだけ頑張ってもこの程度か。

俺ならこの努力の半分くらいで、これより上に行ってみせる」

とも思えてしまう。

 

すると彼の中の劣等感はたちまち霧散し、

逆に根拠のない自信がふくらみ、

まるで自分が能ある鷹のようにさえ思えてくる。

 

しかしこの魔法の言葉が効果を持ち続けるためには、

ある条件が必要だ。

 

その条件とは、「実際にやってはいけない」ということだ。

 

懸命に努力して、あるいは必死で挑戦して、

もしできなかったら――その場合は、とんでもないことになる。

 

冒頭の会話で出てきた少年が

実際に野球をやったとしたらと考えてもらいたい。

おそらく「やればできる」という彼の中の絶対不変の真理が

音を立てて崩れていくに違いない。

 

長い間、自分を支えていた最高の神殿が、

実はハリボテのセットだったことに気付いてしまうことになる。

 

こうなってはおしまいだ。

だから彼らはそんな事態が決して起きないように巧妙に逃れる。

 

何かを必死になってすることはなく、

常に何らかの言い訳を用意することになる。

つまりできなかった時の自己弁護だ。

 

上司や先輩に無能よばわりされた若者は、

たいてい心の中でこう言う。

「俺はまだ本気を出していない」

「俺がやるようなことではなかった」――と。

(中略)

あまりにも当たり前のことなので、言うのも気が引けるが、

「やればできる」という言葉は、

「やればできた」者が言う言葉だと思う。

 

過去に頑張った結果、

あることを達成した経験のある者だけが口にできる言葉なのだ。

 

人は努力を重ねることで、

どれだけ「やれば」どれだけ「できる」かということを体で覚えていく。

 

「やればできる」という自覚と

他からの評価はそうやってできていくものだと思う。

 

あるいは一度でも実力の片鱗を見せた者なら

そう思う資格もある。

おかしなことを言うようだが、

亀との競争に負けて落ち込んでいるウサギになら、

「君はやればできるんだから」

という言葉を掛けてもいいかもしれない。

 

世の親や教師に言いたい。

何もやったことのない子に

「やればできる」と言うのはやめようではないか。

 

彼らに言うべきことは、

「やらないのは、できないのと同じだ」

という言葉だと思う。

 

もうこれ以上、日本にバカを増やしてほしくない。

 

 

2016年1月10日(日)

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早川勝

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