1月, 2015年

早川勝メール【736号】世界最高位のトップセールスマンが教える営業でいちばん大切なこと なぜ、シァイで口べた、人見知りの私がトップセールス マンになれたのか?

2015-01-25

皆様
こんにちは。
ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ
一斉配信しています。

 

今日は、「世界ハンセン病の日」です。

新聞広告のコピーには、

“ ハンセン病を考えることは、人間を考えること。”

“ 治療法が確立された今も、
私たちの社会で差別は続いています。

ハンセン病の本当の問題。
それは、「知らない」ということ。

ハンセン病は、私の、あなたの、みんなの問題です。”

と、ありました。

差別や偏見について、
そして、
「人間」について、
みんなで考える日になるといいですね。

 

私自身、曖昧な知識のまま、
「知らない」では、いけないと、
ハンセン病の歴史的背景を調べてみました。

現在では治療法も確立されていて、
感染者はゼロに等しいハンセン病ですが、
隔離された生活、偏見、差別など、
患者がたどってきた辛い歴史を知る人は、
私を含めて、まだまだ少ないようです。

「世界ハンセン病の日」は、
1954年、ハンセン病の啓発を目的に、
フランスの活動家ラウル・ホレロー氏により設けられた記念日。

ホレロー氏の財団が世界各国に呼びかけ、
ハンセン病に理解があったマハトマ・ガンジーが殺害された
1月30日に近い毎年1月の最終日曜日に設定されました。

エチオピアなどアフリカの国々をはじめ世界各国で、
ハンセン病についての正しい知識の普及と、
患者・回復者の人権の回復、
平等な権利に対する理解促進を目的とした活動が行われています。


https://www.youtube.com/watch?……kgGnWt5TZo
(YouTube)

ハンセン病というのは、
らい菌による感染症で、
感染力は極めて弱く、
戦後になると、特効薬で完治するようになりました。

にもかかわらず、今もなお、
世界中で「差別」「偏見」はなくなっていません。

かつての日本においても、
ハンセン病(癩病)は、遺伝性のものと考えられ、
「業病」や「天刑病」などと呼ばれていました。

「業病」というのは、
「不治の病」とは、まったく意味が違います。

前世の罪の報い、
または、悪しき血筋による病、
という迷信があり、
酷い差別や偏見に苦しめられてきました。

ハンセン病を発病することというのは、
それ自体が「罪悪」だとされていたのです。

患者迫害が最も激しかった時代…。

もしも、たった一人でも親族縁者に発病者が出ようものなら、
その家族らは、村落との関係を断絶されて村八分となり、
ときには一家離散に追い込まれました。

前世の罪を背負った「罪人」であるからと
永久に追放されてしまうのです。

先祖の親兄弟、前世で誰かが犯した殺人などの深い罪が、
廻り回って伝染病となり現れるという輪廻転生の思想。

ハンセン病は、戦前の日本人にとっては「国恥病」であり、
その存在自体が「国辱」とされていました。

県警察の主導において、
“民族浄化”を旗印に
「患者狩り」が行われた時代もありました。

それが、昭和十年代の「無癩県運動」です。

ハンセン病は「業病」であると同時に、
凶悪な伝染病であるという極めて理不尽な偏見。
誤った伝染力の認識から、
国家を挙げての「隔離・撲滅」運動が展開されました。

1907年に制定された「らい予防に関する法律」から、
1996年に「らい予防没」が廃止されるまで、
約90年もの長きにわたり隔離政策は続けられ、
ハンセン病患者の人権は著しく侵害されてきたのです。

厚生労働省の発表によると、
今もなお(2014年現在)、
全国13の国立療養所に1840人の方々が入所されています。

 

これまで、
ハンセン病に向けられた「差別」と「偏見」が、
どれだけ“ 人間の尊厳 ”を奪い続けてきたのでしょうか。

無知というものがいかに愚かなことなのか、
歴史を知るたびに思い知らされます。

 

私たちは、ハンセン病に限らず、
「私は絶対に差別なんてしていない」
と、決めつけて考えるのではなく、

「もしかすると、知らないうちに差別しているのかもしれない」
と、謙虚に考えてみる必要があります。

私自身の心の中にも、
ときに、差別や偏見の気持ちがあることは
否定し切れません。

まずは正しく「知ること」から、ですね。

 

たとえば、
癩病を題材にした小説でいえば
松本清張の「砂の器」が有名ですが、
何度も映画化やドラマ化されるたびに、
癩病についての題材がぼやかされていきます。

それほど、難しいテーマなのでしょうね。

 

最近の映画製作のニュースの中でも、
ハンセン病を題材にした映画「あん」が
話題になっていました。

カンヌ映画祭受賞の河瀬直美監督作品で、
元ハンセン病患者の主人公を演じるのが樹木希林、
というだけでも興味をそそられます。

映画「あん」の全国公開は6月とのことですが、
クランクインを前に、原作者のドリトン助川氏、
河瀬監督、樹木希林さんがハンセン病療養所を訪れ、
病気の後遺症と向き合う元患者さんや
療養所のスタッフと面会をし、
施設での生活やこれまでの苦労などを聞いた上で、
映画の撮影に臨んだとのこと。

原作者の助川氏は、
作品に込めた思いを次のように語っています。

「重い運命と闘いながら、
人間の可能性をどこまでも
追求しようとした人たちがいる。

ハンセン病の元患者さんたちの
言葉や笑顔に触れるのは、
『人間とはなにか』
という古くからの命題に、
ひとつの答えをいただくことです。

栄光や喝采のない場所にこそ、
本当のヒーローやヒロインがいる。

私が小説『あん』を書き上げたのは、
元患者のみなさんから教わることが
あまりにも多かったからです。

ただ感謝の念があるのみです」

 

うーん、なるほど。

“ 栄光や喝采のない場所にこそ、
本当のヒーローやヒロインがいる ”

素晴らしい言葉ですね。

 

明日1月26日から、
東京駅北口の「丸の内オアゾ」にて、

“ ハンセン病を考えることは 人間を考えること ”

と題した写真展が開催されるそうです。

この機会に足を運び、
「人間とは何か」
を考えてみるのもよいかもしれませんね。

 

 

と、前置きはこれくらいにして、

メインコンテンツに入ります。

 

今週も新たに609冊目の「お薦め書籍」から
ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

著者の小林一光さんは、
私が外資系生保の品川支社長を務めていた時代の生保協会仲間。

先日、独立し活躍されている一光さんの会社オフィスを訪ね、
とても有意義なひと時を過ごしました。

サイン入りの書籍も2冊ずつ交換して、
パチリと記念撮影(1/8 Facebookに投稿しています)。
http://www.facebook.com/masaru.hayakawa2

これからの協力を固く誓い合いました。

小林一光さんは、
「MDRT(Million Dollar Round Table)」
の会員資格を11年連続でクリア(終身会員)し、
全世界のわずか0.1%に満たない保険業界最高位、
「TOT(Top of the Table)」
にまで登りつめた「超すごい人」なんですよ。

 

本日のテーマは、
【想像力と引き寄せ】
です。

お役に立ちましたら幸いです。
それでは、どうぞ!
↓↓↓↓↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.609
「世界最高位のトップセールスマンが教える営業でいちばん大切なこと」
なぜ、シァイで口べた、人見知りの私がトップセールスマンになれたのか?
小林一光著
ソフトバンククリエイティブ

 

名刺を眺めているだけで
ワクワク、ニヤニヤできる
営業マンになりなさい。

 

名刺を整理して、ターゲットの取捨選択をする

 

みなさんはお客様からいただいた名刺を、
どのように扱っていますか?

名刺フォルダにしまい、
そりっきりになっていませんか?

私は「名刺を眺める時間」をつくっていました。

名刺は営業マンにとって
「宝の山」です。

私は名刺を眺めているだけで、
すごくワクワクしてきます。

今後の自分の方向性を考えるにあたって、
名刺を見ながらいろいろな想像を膨らませるのは、
とても大切な時間です。

「この人がお客様になってくれたら、
すごいことかもしれない」

「あんな大会社の社長と契約できたら、
見込み客がどんどん広がるかもしれない」

もちろん、逆のことを考えるときもあります。

「あのときは、この人のことを魅力的に感じていたのだけれど、
今になって考えてみたら、
見込み客になってくれる可能性は低いかもしれない」

「あれ? この人だれだっけ?
顔が思い出せないということは、
自分にとって重要な人ではないのだろう」

手元にある名刺を整理しながら、
次のターゲットを絞っていく。

自分にとって必要な人、
そうでない人を取捨選択していく。

そして自分の人脈をどのように使って、
ターゲットにアプローチしていくかをイメージしてみます。

「この人はまだ年齢が若いから、高額契約は獲得できそうもないな。
けれど、この人のお父さんはどうだろう?
うん、可能性はある。
では、どうやってお父さんを紹介してもらおうかな……」

「この人はゴルフをはじめたばかりだと言っていたから、
ゴルフ部出身の後輩を誘って一緒にラウンドしてみようかな」

いろいろ情景や人物を想像しながら、
「最終的に、この人たちをどうやって交渉のテーブルに乗せていくか」
を考える。

これがすごく楽しい。

ストーリーを描いて、
どう仕掛けて、仕留めていくか。

そのストーリーを実現するために、
自分の人脈を洗い出してみる。

名刺を見ながらニヤニヤしてしまうくらい、
ストーリーをイメージすることが大切です。

名刺整理は、言い換えれば
「人脈の棚卸し」といえるでしょう。

ターゲットの名刺を持ち歩き、
一日一度は必ず目にする。

「この人は、いつか自分にとってのキーパーソンになるな」
と思える人物に出会えることがあります。

旅行会社時代に、
名刺交換をさせていただいたある経営者は、
カリスマ性も、人間的な魅力も、
ビジネスの才覚も持ち合わせた人徳者。

私は「いつか、この人と親交を深めたい」と思い、
プルデンシャル生命に移ってからも、
その人の名刺を毎日持ち歩いていました。

とはいえ、その後はお目にかかる機会はない。

「どうすればこのカリスマ社長とお近づきになれるのか」
というイメージを膨らませ、
名刺を見てニヤニヤしつつも、
実際にそのときはなかなかおとずれませんでした。

ところが転職して1年ほどたったころ、
ある忘年会の席でカリスマ社長とばったり出会ったんです。

「普段はこうした酒席にはあまり出席しない。
今日はたまたま」
だったそうですが、
私にとっては大きなチャンスとなりました。

「おまえ、旅行会社を辞めたって聞いたけど、
今は何をやっているのか」と問われ、
「実は、保険会社に勤めているんです」と答えた。

すると、「保険?
じゃあ今度、うちの会社に来てもらおうかな」
と言われたのです。

それから2カ月後、
その社長から突然「○月○日に会社に来てほしい」
とお呼びがかかりました。

その社長が会長をつとめる経営者の会で、
優秀な生保の営業マンを探していたようでした。

喜び勇んで行ってみたところ、
私は5人の人物(その社長の知人で、全員が経営者)を前に、
いきなりプレゼンテーションをすることになりました。

事前に聞いていなかったため、
何の準備もできていませんでした。
とにかく精いっぱいできるかぎりの
プレゼンテーションをさせてもらいました。

その結果、幸いにも「いいじゃないか」
と私の話に関心を持っていただけたようで、
それを機に私は、彼らのメンバーシップ
「経営者2世&3世の会」
に入会させていただくことになりました。

「経営者2世&3世の会」において、
私は保険の勉強会を任されることになり、
その結果、次から次へと保険契約者が増えていったのです。

まずは個人で、それから法人で契約となり、
結局、その会の7割くらいの方が私のお客様になりました。

私には、「この人が話を理解してくれれば、
一気に見込み客が広がるだろう」
という漠然とした予感があり、そんな気持ちから、
カリスマ社長の名刺を持ち歩いていたのです。

そしてそのとおりになり、
今ではその社長は「人生の師」と呼べる存在です。

「○○さんが早くお客様になっていただけないかな」とか
「どこに行ったら会えるかな」と、常に意識する。

そのための手段として名刺を持ち歩く。

そうすれば、やがて思いが具現化するときがくると思います。

 

 

2015年1月25日(日)

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早川勝
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早川勝メール【735号】夢をかなえるゾウ 3 ブラックガネーシャの教え 今回の教えは、めっちゃスパイシーやで

2015-01-18

皆様
こんにちは。
ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ
一斉配信しています。

 

友人の柏木がガンで死んだ。
享年52歳。

柏木は、神奈川県立伊志田高校時代の同級生。

男女共学校であったにもかかわらず、
何の因果か、
1年生からずっと女子のいない「男子クラス」で、
3年間の高校生活を共に過ごした“戦友”だ。

大きなリーゼントヘアーがトレードマーク、
一本気で義理堅いナイスガイだった。

そのキャラは、年をとっても
ずっと変わらなかった。

 

高校時代の大イベント「陸上競技大会」でのこと。

悪友・柏木に誘われて一緒に「女子の高跳び」を
食い入るように“見学”していた私は、
せっかくクラス代表として勝ち進んだ100m競争の決勝戦を
棄権するという大失態を犯してしまった。

呼び出しの放送も聞こえないほど“熱中”していたため…、
あっ、と気づいたときには、
「バーン」というスタートの号砲がとどろいた後だったのだ。

クラス中の大ブーイングを浴びている私を、
柏木は、大きな声でかばってくれた。

「だって、しょうがねぇだろー!
女子の高跳びだぜっ!女子のっ!」

妙な説得力と迫力あるその言葉に対し、
男子クラスの仲間たちの間には、
「うーん、まあ、それじゃ、仕方がないか…」
という不思議な “ 納得感 ” が漂っていた。

遠い記憶の片隅に残っている、
柏木との思い出の一つである。

 

高校卒業後は、付き合いも疎遠になっていたのだが、
40歳になった時の同窓会で再会。

それから、毎週のように交流するようになった。
その交流というのは、
互いの趣味であった「競馬の予想」である。

マメな私は、柏木ら数名に、
数千文字にも及ぶ「魔法の競馬予想」を配信していたのだ。

このメルマガのように、ほぼ毎週。

彼からも、予想の返信が届き、
結果に「一喜一憂」した。

競馬で友情を育む “ 戦友 ” となった。

 

競馬のほかにも、彼との共通点は多かった。

私には、娘が3人いるのだが、
柏木には、娘が4人いる。

私の誕生日は10月20日なのだが、
柏木は1日違いの10月19日生まれ。

そして共に、
“熱い系”の営業管理職でもあった。

 

その柏木が「胃がん」で亡くなったという訃報が届いたときは、
「えっ、まさか…」
と、愕然となり、

絶句した。

 

闘病していたことさえ、
まったく知らなかった。

競馬をやめてからのここ数年間は
音信が途絶えていたからだ。

生きている柏木と最後に会ったのは、
もう7年前になる。

土曜日の夜、2人きりで酒を飲んだ。

大崎駅前の焼鳥屋だった。
後にも先にも、彼との「差し飲み」は、
あの晩だけ。

忘れもしない2007年12月22日だ。

なぜ、よく覚えているのかというと、
その晩、飲みながら「有馬記念」の馬券予想をし合い、
翌日のレースでは、
ものの見事に十万馬券の大穴を的中させたからである。

焼鳥屋のカウンターにスポーツ新聞を広げ、
柏木との激論は4時間にも及んだ。

その白熱した大予想のおかげで、
本番のレースでは、
“ 私たちの予想 ” がズバリ的中。

大穴の「3番・マツリダゴッホ」を本命◎にした私は、
1着2着3着をすべて着順通りに当てる “ 3連単 ” 馬券で、
「80万馬券」という超高配当をゲットしたのだ。

なんとなんと、100円玉1枚が、
「80万円」という大金に化けたのだから驚きである。

有馬記念史上、最高配当のレースとなった。

2着ダイワスカーレトと3着ダイワメジャーは、
特に柏木が推奨していた馬だった。

レース後、
すぐに柏木からメールが届いた。

「俺も当たったぞ!」
という報告かと思いきや、

どうやら馬券を買う寸前になって、
人気のメイショウサムソンやウオッカに心移りしたらしく、
当たり馬券を買っていなかったようなのだ。

「やっぱり、お前を信じて3番を買っておけばよかったよ!」
と、柏木は相当悔しがっていた。

一晩寝て心変わりしてしまうところもまた、
柏木らしい。

柏木は前夜の焼鳥屋で私に言っていた。
「百万馬券を的中させたことのある早川が
そこまで言うなら、俺もマツリダゴッホを買うよ!」と。

私も言った。
「そうそう、123万円の馬券を取ったチューリップ賞も“3番”の馬だった。
今回はあの時と同じ匂いがする」と。

「よし、決まった!」と、
2人で固い「握手」を交わし、
笑顔で前祝いの「乾杯」をした…
はずだったのに。

思い返してみれば、
高配当をゲットできたのは、
あの時に柏木が背中を押してくれたおかげだと、
心から感謝している。

そんな思い出に浸りながら、
久しぶりに「3番」の追悼馬券を買ってみようかと、
ふとそんな思いにもなった。

そのときは、彼の分の馬券も買ってあげよう。

 

実は、有馬記念で大穴を当てた一年後、
私は思うところあって、
競馬をすっぱりとやめてしまった。
(「捨てる成功法則」にのっとり)

それからは、柏木との音信も途絶えがちになり、
ここ最近に至っては、
まさか柏木が「死と背中合わせ」の闘病生活を
送っていたことなど知る由もなかった。

だから見舞いにも行っていない。

でも、このメルマガは “ 柏木宛て ” にも配信し続けていたので、
きっと毎週読んでくれていたと思う。

柏木は、熱心な読者ファンの一人だった。
私が10年前に出版したデビュー作、
「どん底営業チームを全国トップに変えた魔法のひと言」も、
多くの人たちへ広めてくれていた。

彼は自動車ディーラーの店長をしていたので、
拙著やメルマガを営業マンたちの指導にも役立ててくれたらしい。

 

今日のこのメルマガも、
天国で読んでくれているだろうか。

これからもアドレスを削除せずに、
天国の柏木宛てに送り続けてあげよう。

 

そういえば、
柏木と最後に会った7年前…。

別れ際に彼が手を振りながら
私に叫んだ言葉を思い出した。

「じゃあな、早川!
また、同窓会やろうぜっ!」

きっと明日は、同級生がたくさん集まるだろう。

あれほど柏木の望んでいた “ 同窓会 ” が、
まさか、彼の葬式になってしまうとは…。
思いも寄らなかった。

運命とは、なんと残酷なのか。

彼の笑顔を思い出すと、
涙が止まらない。

 

彼が集めてくれた「同窓会」で、
私たちはいったい何を語り合うのだろうか。

柏木が生きたくても生きることでできなかった52歳からの人生を、
私たちは悔いなく生きていくことができるのか。

「いつ死んでも悔いはない」
という生き方ができる人は稀だろう。

柏木はどうだったのか。
52年という短い生涯を
悔いなく生き切ってくれたのだろうか。

亡くなってしまった今となっては、
それを柏木本人に聞くことはできないが、

もし仮に、死ぬ間際の彼に私がそれを問うとしたなら、
きっと彼は “ 強がり ” と冗談を交えてこう言うだろう。

「後悔ばかりの人生だったけど、
その中でも一番の後悔は、
あの有馬記念の80万馬券だよ」と。

 

戦友・柏木の冥福を心から祈る。

 

合掌。

 

 

※訃報
柏木の親しい友人たちへ

通夜  19日(月)19時〜
告別式 20日(火)10時〜11時30分
葬儀場 カルチャーBONS平塚(旧平塚平安閣)
神奈川県平塚市平塚5丁目23−12

 

 

と、
個人的な前置きはこれくらいにして、
メインコンテンツに入ります。

今週も新たに608冊目の「お薦め書籍」から
ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、
【感動を売る】
です。

お役に立ちましたら幸いです。
それでは、どうぞ!
↓↓↓↓↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.608
「夢をかなえるゾウ 3」
ブラックガネーシャの教え
今回の教えは、めっちゃスパイシーやで
水野敬也編
飛鳥新社
ガネーシャは言った。
「モノを売る上で一番基本的なこと――
いや、これはモノを売るだけやのうて、
商売の一番の基本かもしれへんな。
それは何かわかるか?」

(商売の一番の基本……)

それはたとえば、黒ガネーシャの言っていたような、
お客さんに「価値が高い」
と思わせることだったりするのだろうか。

思いついたことを色々ガネーシャにぶつけてみたが、
ガネーシャは首を横に振った。

そしてガネーシャは言った。
「商売の一番の基本はな――
まず自分が『一番良いお客さん』になることやねん」

「一番良いお客さん?」

「そうや。もし自分がお客さんとして
欲しない商品をお客さんに勧めたとしたら、
それはウソついてるちゅうことやん。

そういうウソはお客さんに伝わってしまうし、
何より自分がその商品を本気で売ることはできへんやろ」

「それはそうかもしれないけど……」

私はガネーシャに言った。
「でも、仕事だったらその商品が好きじゃなくても
売らなきゃいけないときだってあるでしょ」

私は今の職場で少しだけ営業の経験をしたことがあった。
自分で(この商品が売れるとは思えないな……)
そんなことを考えながら売っていたのを思い出した。

ガネーシャは言った。
「もちろん自分が好きやない商品を扱うこともあるやろ。
せやけど、そういう商品も詳しく見てったら、
好きになれる部分が見えてくるもんやで」

私は、ガネーシャの言葉をそのまま受け入れることはできなかった。
「どんな商品にも魅力がある」
――これは仕事の世界ではよく言われることだ。

私はガネーシャにたずねた。
「じゃあ……商品の良いところを頑張って探してみて、
それでも見つからなかったら?」

すると、ガネーシャは言った。
「そんなもん、売ったらあかんに決まってるやろ」

そしてガネーシャは言った。
「『仕事』は『お客さんを喜ばせる』ためのもんや。
自分がええと思てへん物売っても
お客さんは喜ばせられへんで」

「でも、世の中には、良い商品だと思ってないのに
売ってる人ばかりだと思うけど」

するとガネーシャはため息をついて言った。
「まあそのとおりやな。
ほんなら何でその人らがそういう商売してるかっちゅうと――
お金がほしいからや。

『お金がほしい』ちゅう目的があって、
そのためには『何かを売らなあかん』
ちゅう順番で仕事をしてんねん」

そしてガネーシャは続けた。
「せやけど、その仕事の選び方は間違ってんねん。
会社の名前とか、初任給とか、この業界が伸びるとかな、
そういう条件で仕事を選ぶんは結局
『お金が欲しい』からやろ?

つまり『自分のため』やねん。
そういう人らは仕事でもお客さんより自分を優先してしまうから、
お客さんを喜ばせられへん。
せやから結局、自分のお金を増やすこともできへんねんな」

「じゃあ、仕事はどうやって選べばいいの?」

するとガネーシャは、しばらく考えて言った。

「『感動』や」

「感動……」

「そうや。仕事を選ぶとき一番にせなあかんのは、
これまでの人生で自分が何に感動したかちゅうことや。

そんで自分が受けた感動を、
今度は人に伝えたい、
伝える側に回りたい、
そう思たとき人は自然な形で仕事ができるんやで。

せやから最初は『お客さん』なんや。

お客さんとして感動したことを仕事にして、
自分と同じようなお客さん一杯作んねん」

そしてガネーシャは続けた。
「あとな、感動言うても
それは別に映画やスポーツの世界だけちゃうで。

たとえばお店の店員からうれしい一言もろて感動したら、
自分が店員になったときお客さんを感動させられるやろ。

それに、お客さんを直接感動させるんやなくても、
自分が感動したことを支える仕事やったら、
他の仕事より喜びを感じられるはずや」

ガネーシャは言った。
「でっかい仕事をする人間はな、
みんなこのやり方で自分の仕事見つけてるで。

スターバックスのCEOのハワード・シュルツくんは、
もともと家庭雑貨会社の副社長やったんや。

せやけど、豆からドリップされたコーヒーを
試飲したとき感動してもうて、
副社長辞めてスターバックスに入社したんやで。

キンコーズ創業者のポール・オーファラくんかてな、
大学時代に勉強が苦手やって、
いつもレポートをコピーする役を買って出とってん。
そんときコピー機の生み出すサービスに感動して
起業の着想得たんやで」

「そうなんだ……」

確かにガネーシャの言うやり方で仕事を選んだら、
自然にお客さんを喜ばせられる気がした。

そして、そういう視点で今の仕事を選んだかと聞かれたら、
私は自信を持って首を縦に振ることはできなかった。

ガネーシャは言った。
「ただな、人生で感動するには、
いつも心を開いとかなあかんねん。

心が閉じてると何に対しても
『どうせつまらない』
『くだらない』
てなってしまうからな。

せやから自分は、まず、
目の前の仕事に心開いてみい。

もし自分が今の会社のお客さんやったら
感動できるとこ見つけるんや」

 

 

2015年1月18日(日)

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早川勝メール【734号】書き出し小説 読むのは一瞬。しかしその余韻は長く、深い。あなたのイマジネーションを容赦なく刺激する

2015-01-12

皆様

こんにちは。
ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ
一斉配信しています。

東京の雪谷に城を構える我が家は「大家族」。
一つ屋根の下に、7人で暮らしています。

本日83歳の誕生日を迎える父と81歳の母は、
ともに元気いっぱいで、
絵に描いたような健康寿命を
日々まっとうしています。

そして、
専業主婦一筋二十年、48歳になった妻と、
21歳になる長女を筆頭に、
18歳、14歳の3人娘たちは大の仲良し。
いつも「きゃっきゃ」と楽しそうに、
3人一緒にお風呂で入浴ミーティングしています。

こうして今年も、
そんな家族たちと笑顔で年を越せた幸せに、
心の底から感謝している今日この頃でございます。

特に母は、炊事・洗濯から風呂掃除までも
バンバンこなす「スーパーおばあちゃん」。

やや耳が遠いのですが、いまだ頭脳は明晰、
以心伝心の父が「通訳」としてフォローしてくれています。

その父は一日中、
政治・経済・スポーツ・芸能などの世界中のニュースを
新聞・テレビから集めているため、
とても83歳とは思えない「情報通」ぶりを発揮しています。

時々繰り出す寒い「ダジャレ」も、
孫たちには人気です。
ボケ切れないところが、
ボケ防止につながっているのかもしれません(笑)

一昨晩は、そんな7人家族とともに、
私の姉(53歳)とその娘である姪っ子(29歳)も一緒になり、
身内の新年会&誕生会を開催。
横浜にて中華料理を堪能しました。

父とともに、1月生まれの姪っ子が、ダブル主役。

姪っ子は、弁護士を目指す慶應大の先輩である彼氏との
十年に及ぶ長い春について、
「どーなってるんだっ!」と、
寄ってたかってつつかれながら…、
この日の新年会は「結婚」を一つのテーマに進行していきます。

幼かった私の娘たちも、最近では
「大人の会話」を理解できる年頃となって、
酒宴での“すべらない話”の連続にはツッコみも入り、
場は大いに盛り上がりました。

たくさんの“すべらない話”の中でも
とりわけて孫たちの興味を引いたのは、
独身時代のおじいちゃんが、いかにして
おばあちゃんを「口説いたのか」という裏話。

昭和30年代前半、半世紀以上も前の話です。
映画「三丁目の夕日」の時代背景を
想像してもらうといいでしょう。

私の母が若かりし頃は、
街でも評判の「美人過ぎる理容師」として
一世を風靡していたらしく(ホントかいっ!!笑)、
父はその床屋さんに足しげく通っていました。

そのとき、
父には強力な「恋のライバル」が3人いたのだとか。

金持ち。
秀才。
イケメン。

ちなみに、
父は、どれにも該当しない「ただの短足な日本人」です。
普通なら勝ち目はありません。

さて、その“強敵”に勝つために、
いったい父はどうしたのか。

どんな戦略で母のハートを射止めたのか。

孫たちは興味津々に耳を傾けています。
(映画「タイタニック」での回想するシーンのように…)

しかし残念ながら、
父は「無策」でした。
(デカプリオのような勇敢さも積極性もなく…)

やはり、典型的な昭和一桁生まれの男です。
愚直にも、ただひたすら床屋に通い詰めただけ。

消極策の極みですね…。

毎週のように、父は髪を切りに行くものですから、
当然のごとく、どんどん短髪になっていき、
最後にはもう「頭をまるめる」しかなかったようです(笑)

結局、その「マメな想い」が通じたおかげで、
この世に誕生できた私が、
今こうして「マメに」メルマガを書いているわけです。

いや〜、
あぶないところでしたね。

この世に生まれてこられたのも、
まさに、「紙一重」ならぬ、
「髪一重」(笑)

といっても、ただマメに通ったというだけでは、
「結婚」という重大な決断には至らなかったはずです。

最終的に母が結婚を決めた要因とは
いったい何だったのでしょうか。

孫たちのそんな疑問に対し、
母はこう答えました。

元々、母が育った家庭というのは、
厳格といえば聞こえはいいのですが、
いわゆる男尊女卑の思想を持つ母の父(私の祖父)による
独裁的な一家でした。

まあ、明治生まれの無骨な祖父でしたからね。
「ちゃぶ台返しの星一徹」のような日常。
その時代では珍しくはなかったのかもしれません。

それに対して、父の家庭というのは、
女性中心(姉が2人に、妹が3人)の
明るい雰囲気に包まれていました。

母はその温かな光景を目の当たりにして、
強烈なカルチャーショックを受けたといいます。

父の妹たち(私の叔母たち)が、
冗談を言いながら居間で寝そべっている姿など、
母の実家では「あり得ない」ことだったらしく、
それはもう、びっくりしたそうです。

母が結婚を決めた理由、
それは、父の魅力ではなく、
「家庭」の温かさだったのです。

図らずもデートコースを「家」に選んだ
素朴な父の“無策”が功を奏したのですから、
人生とは、わからないものですね。

しかしながら、結婚後の母は、苦労の連続。
嫁姑、小姑、介護、不況、など、
様々な問題やトラブルが絶えなかったことを考えると、
「苦難のデパート」だった母にとって、
果たしてそのときの「決断」がよかったのかどうか…。

ふと、そんなことを考えながら
何度も鼻から噴き出しそうになった餃子の肉汁を、
紹興酒とともにぐぐっと飲み込んだ…、
そんな一家団欒の夜となりました。

 

 

と、プライベートな前置きはこれくらいにして、
メインコンテンツに入ります。

今週も新たに607冊目の「お薦め書籍」から
ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、
【余韻とイマジネーション】
です。

一節一節を噛みしめながら
読み込んでください。

どれもシュールで深いですよ。

お役に立ちましたら幸いです。
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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.607
「書き出し小説」
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あなたのイマジネーションを容赦なく刺激する
天久聖一編
新潮社

 

メールではじまった恋は
最高裁で幕を閉じた。

 

虹の付け根が、
吉田の家に刺さっている。

 

「魂の話をしよう」
真面目くさった顔でそう言った後、
先生は黒板に塊と書いた。

 

席をつめたがカップルは座ろうとせず、
私はただ横の老婆にすり寄っただけの人間になってしまった。

 

伸ばされた手を掴むか、掴まないか。
一瞬の迷いに彼女は気付いた。
彼女に気付かれた事に僕は気付いた。

 

父の七回忌に、
私そっくりな女が焼香に来た。

 

部屋の蛍光灯を取り換えようとしている父が一瞬、
天使に見えた。

 

「皮が肉を包んでいるという点では、
人間も餃子も同じようなものよね」
モトコはそう言いながら一口頬張った。

 

財布を拾った私の前に、
天使と悪魔と
落とし主が現れた。

 

部長のあだ名を「景気」にしたら、
堂々と悪口が言えるようになった。

 

通過列車の窓が
8㎜フィルムのように僕を映した。

 

草臥れた三浪目の男が自動ドアに映り、
スッと真ん中から割れた。

 

読経のさなか、
坊主は口角に流れ落ちてきた汗を舐め、
昨日届いた地ビールに思いを馳せた。

 

むせかえった父は、
大量に舞い上げた粉薬を残し、
忽然と消えた。

 

もうここには誰もいません、
という声がして、
足音が次第に遠ざかっていった。

 

父さんは妹をかばって死んだ。
母さんは弟をかばって死んだ。
そうして、誰にも愛されなかった私だけが生き延びた。

 

激しい夕立が過ぎると、
風船を配っていたピエロが、
交番の掲示板で見た男に変わっていた。

 

けさ、我が家に牛五十頭が届けられた。
あした妹は異国へ嫁ぐ。

 

何作目かを聞きたかったのだろう妹が、
私に尋ねて来た。
「今やってるの、なん丁目の夕日?」

 

夢もない。希望もない。
家族もない。仕事もない。
ただ一生かけても使い切れないほどの預金が
銀行口座にあるだけだった。

 

そのバラバラ死体を組み合わせると、
どうやっても腕が一本余る。

 

名探偵十人の推理が
きれいに割れた。

 

それはあまりにも完璧な殺人計画で、
誰かに話さずにはいられなかった。

 

母が、十五年の時を経て、
いよいよあの「かたたたき券」を使うらしい。

 

田舎の母からみかんの段ボール箱が下宿に届いた。
中を開けると大量のりんごにサバ缶、
タッパーに入った漬物、
そして緩衝材のつもりなのか
親父の穿いていたブリーフ10枚が丸められていた。

 

母は新しい母とハイタッチを交わして、
去って行った。

 

あの娘が一日署長になるという記事は、
僕に自首を決意させた。

 

小さい頃、
夜明け前にお兄ちゃんと
裏山にカブト虫を採りに行ったら、
大きな木の下で
軍服を着たお爺ちゃんが首を吊って
死んでいたんですよ。
というスタジオトークは、
オンエアでは全てカットになってました。

 

「私の夢はね、このコンビニ丸ごと、
国に持って帰ることよ」
そう言って微笑むジャネットの後ろに、
夕焼けに染まるサバンナが見えたような気がした。

 

不毛な社内会議に出るたびに、
「バケツのどこまで水を入れるか」
でもめた中学のホームルームを思い出す。

 

闇金融の男は
夕焼けの匂いがした。

 

久しぶりに嗅ぎに行こうかと
寄ったそば屋の排気ダクト下には
既に先客がいた。

 

もしもし婆ちゃん?
オレだよ、オレ。まずいことになっちゃった。
車でぶつけちゃって相手に慰謝料が必要なんだ。
今から言う口座に振り込んでもらえる?
オレは死んじゃって何もできないから。

 

もう会えない人にあやまりたいときは、
どうしたらいいんだろう。

 

普段着で来ていたのは私だけだった。

 

 

 

2015年1月12日(祝・月)

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早川勝
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早川勝メール【733号】逆転スイッチ 絶体絶命の“ピンチ”を一瞬で “チャンス”に変える33の方法

2015-01-04

皆様

こんにちは。
ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ
一斉配信しています。

謹んで新春のお喜びを申し上げます。

「2015年」といえば、
1985年に公開されたSF映画、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
で描かれていた30年後の未来、
なんと、それが2015年なんですね。

私が1985年に大学を卒業・就職して、
あれからちょうど30年。
ついに“あの未来”にやって来たのかと思うと、
不思議な気持ちになります。
(CMで淀川長治さんも語っていました)

「人生のタイムトラベル」
をしみじみ実感している、
そんな2015年の年明けとなりました。

旧年中は一方ならぬ
お引き立てを賜りまして、
誠にありがとうございました。

本年も、相変わらぬメルマガのご愛読、
宜しくお願い申し上げます。

毎号、長文にて大変恐縮ではございますが、
皆さまの人生がより豊かになるような名著の紹介と
勝手な私事(前置き文)を配信してまいる所存です。

2015年も、
皆様、ご家族様のご健勝とご多幸を
心よりお祈り申し上げます。

今年はより一層、
読者ファンの皆さまとのご縁を
深めていけるような年にしたいですね。

次なる出版オファーは、現在執筆中の原稿も含めて、
さらに新作を3冊(紙書籍累計10冊)、
そして、韓国語翻訳版に続き、
今年は中国語翻訳版の出版も予定しています。

一方、昨年は「FA宣言中」のまま越年となりましたが、
今年は新組織の営業本部長として明確なミッションを背負い、
一企業人としてもパッションみなぎる新年を迎えています。

保険業界にイノベーションを起こす一年となることでしょう。
乞うご期待、です。

今年も「死ぬ気」で邁進いたします。
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さて、お正月といえば、
やっぱり、
「箱根駅伝」ですよね。

現地へ出身校の応援に駆けつけた方、
また、テレビの前で声援を送った方も、
数多くいらっしゃったと思います。

今年は、見事に「青山学院大学」が悲願の初優勝。
優勝候補だった駒大・東洋大に大差をつけて、
ぶっちぎりの完全優勝でした。

それにしても、
一時は廃部の危機に直面するほど弱かった青学大の駅伝チームが、
なぜ、ここまで強くなったのでしょうか。

この10年、様々な強化策に取り組んだようですが、
一番の功績は、誰が何と言おうと、
「原監督」であったと、私は思います。

原晋(はらすすむ)さんは以前、
10年のサラリーマン生活において
「営業部」に配属され、
伝説の営業マンと呼ばれたほどの
活躍をされていたことがあるそうです。

駅伝チームの監督としても、
その「営業力」を大いに発揮されました。

営業同様に、
「高い目標を掲げ、それを実行・達成することが大切だ」と、
「目標達成」のためのマインドや
スキルを磨き上げる指導を強化徹底。

さらには、
「商品を売るためには、まずその魅力を伝えることが必要だ」と、
多くの選手にエース級選手並みのタイム、
「5000m、14分10秒以内」などの目標設定をさせ、
徹底して自覚を促しモチベーションを高めたそうです。

そして何よりも、
有望な高校生を「スカウト」するために、
今まで相手にされなかった高校へも頻繁に通いました。

営業で鍛え抜かれた巧みな話術と熱いハートで、
全国から優秀な選手を集めたのです。

スカウトする選手の地元にまで直接足を運び、
ご両親までをも口説き落として勧誘したといいいます。
その情熱と信念に惚れ込んだ多くの親子たちが
「その指」にとまったのでしょう。

記録的な走りを見せた神野大地選手ら主力組は、
ほぼスカウトの成果だったというのですから、
まさに原監督が創り上げたチームといえますよね。

そして、個々の能力を結集させ、
チームワークをつくるのも監督の役目。

監督の奥様も一緒に、
選手たちと寮で同居するなど、
家族のような駅伝チームを創ったわけです。

原晋監督の人間力(営業力)に、
心から感服いたしました。

青学大優勝、本当におめでとうございます。

やはり、「営業は人生の縮図」ですね。

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と、前置きはこれくらいにして。

メインコンテンツに入ります。

今週も新たに606冊目の「お薦め書籍」から
ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

著者の西沢泰生さんは、私と同い年の52歳。
アメリカ横断ウルトラクイズで準優勝、
「アタック25」や「クイズタイムショック」などで優勝、
という経歴をお持ちのクイズ王。

本田宗一郎、松下幸之助、ケネディ、
カーネギー、黒澤明、赤塚不二夫、
イチロー、三谷幸喜、etc。
一流の著名人が体験してきた最悪のピンチを
一瞬にして最高のチャンスに変える法則、
それをクイズ形式で学べる「ケース・スタディ・ブック」です。

本日のテーマは、
【ピンチのときの「よすが」】
です。

実は、私早川は1985年に伊藤園へ入社し、
サラリーマンをやっていた時代がありまして、
ちょうどその頃の「伊藤園」の事例が
本の中で紹介されていましたので、
つい嬉しくなって抜粋してみました。

その組織の中で実際に経験をした私自身が、
正真正銘の「実話」であることを証明いたします。

お役に立ちましたら幸いです。
それでは、どうぞ!
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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.606
「逆転スイッチ」
絶体絶命の“ピンチ”を一瞬で“チャンス”に変える33の方法
西沢泰生著
角川フォレスタ

 

初級編 Chapter1

ピンチ04

ピンチを消し去る魔法の言葉

私が好きな、
「NASAのボールペン」
というジョークです。

旧ソ連とアメリカが、
宇宙への進出で激しい競争をしていた時の事。

NASAで1つの重要な課題が浮上した。

それは、宇宙飛行士たちが宇宙空間で使用するボールペン。
無重力状態だと、インクがうまくでないのだ。

NASAの科学者たちは、その頭脳を結集し、
莫大な予算をかけて
「宇宙でも円滑に使用できるボールペン」
の開発にのぞんだが、なかなか完成には至らなかった。

一方、その頃ソ連の宇宙飛行士たちは……。

エンピツを使っていた。

このジョーク、
お金と時間があると、
人間、ついにモノゴトを難しく考えてしまい、
結局、とん挫してしまう事を皮肉っています。

世の中、そんなに堅苦しく考える必要はありません。

これはあるカステラ工場の社長さんの話。

その社長さん、こだわりで、
一流のカステラ店にも負けない
立派なカステラを作っていましたが、
値段がはってなかなか売れず、
工場は倒産寸前になってしまいました。

Question
問題

倒産寸前の大ピンチに陥ったカステラ工場。

社長があるアイデアを出して危機を脱します。

さて、工場を救った社長のアイデアとは
どんなものだったでしょう?

ヒント
ノーヒント。

Answer
答え

【 くずれたカテスラを格安で販売した。 】

「名店に負けない立派なカステラ」なんて、
言ってしまえば、ただの社長のこだわりでしかありません。

倒産寸前にまで追い込まれた社長は、
「まあ、いっか!」と、
立派どころか「くずれたカステラ」を
ネットで販売してみました。

そうしたら、これが大当たり。

安くて美味しいカステラとして人気が出て、
たったの1か月で売上は10倍になり、
あっという間に倒産のピンチを脱することができたのです。

「まあ、いっか」

これ、ちょっとしたピンチを脱するための
「魔法の言葉」です。

(中略)

ピンチ08

激マズジュースを売った貼り紙

「遊べる本屋」をコンセプトに、
全国に店舗を持つチェーン店、
『ヴィレッジヴァンガード』。

そのコンセプトの通り、
本屋さんと言いながら、
お菓子や生活雑貨、
ちょっとユニークな小物なども売っていて、
それをワザと雑然と陳列するなど、
その店内は遊び心に満ちています。

これは、そんな『ヴィレッジヴァンガード』のある店舗での話。

ある時、仕入れた輸入品のジュース。

これがもう、笑ってしまうくらいに「激マズ」で、
店に出したもののぜんぜん売れない。

このままでは大量に在庫品になってしまうのは必至。

ピンチ到来です。

ところが、このピンチを、
ある店員のアイデアが救ったのです。

そのアイデアとは、
このジュースが陳列されている横に、
たったひと言の宣伝コピーを書いた貼り紙をしただけ。

それだけで、
この劇マズジュースが売れ始めたのです。

Question
問題

そのマズさのために、
誰にも買われなかったジュースを
売る事に成功した宣伝コピーとは、

どんなひと言だったでしょう?

ヒント
このお店は若い人たちに人気です。

Answer
答え

【 罰ゲームにどうぞ。 】

「とんでもなくマズイ」
という欠点を逆手に取ったコピーですね。

この貼り紙をしてから、
冗談好きなお客様が面白がって
このジュースを買ってくださり、
大量在庫の危機は回避されたのです。

「モノが売れない」
「このままでは大量在庫になってしまう」
というピンチの時。

モノそのものに改良を加えなくても、
その「宣伝コピー」や「名前」を変えるだけで
ピンチを脱出できることがあります。

例えば、株式会社伊藤園のロングセラー商品
『お〜いお茶』。

あの商品、構想から商品化までに約10年をかけた、
伊藤園にとっては正に「社運をかけた」自信作でした。

しかし、1985年に発売した当時は、
まだ「お茶はタダで飲めるもの」という考えが一般的で、
いくら熱心に営業をかけても、
なかなか取扱いをしてくれる店が増えなかったそうです。

しかも、発売当初の商品名は『缶入り煎茶』。

思わず「もっとひねりなさい!」
とツッコミを入れたくなるほど地味な名前でした。

いや、地味……どころか、
発売後に伊藤園が調査してみると、
「煎茶」をちゃんと「せんちゃ」と読める人が少ないという
衝撃の事実まで明らかに……。

名前の正しい読み方もわからない商品が、
売れるはずはありません。

伊藤園では会議を重ね、
1989年、商品名を、
親しみが持てて覚えやすい
『お〜いお茶』
という名前に変更したのです。

この名前の変更によって、
知名度は飛躍的に上昇。

また、「コンビニでお弁当と共に売ってもらう」
という戦略も当たって、
『お〜いお茶』
は伊藤園を代表する商品へと成長したのです。

商品は同じでも、「名前」と「売り方」を変える事で
ピンチを脱出したわけですね。

(中略)

中級編 Chapter2

ピンチ07

生き残るために
男たちが選んだもの

あなたは「エンデュアランス号」
という船をご存知ですか?

これ、1914年に、
イギリスが人類初の「南極大陸横断」挑んだ時に
使用された船の名前です。

何しろイギリスは、
「人類初の南極点到達競争」で、
自国のスコットが、
ノルウェーのアムンゼンに敗れ去っています。

天下のイギリスが、
田舎の国ノルウェー(ノルウェーの人、失礼!)
に負けてしまったわけで、
きっと悔しかったのでしょうね、

「じゃあ、先に横断してやる!」と、
満を持して「南極横断」に挑んだのが、
この「エンデュアランス号」だったのです。

でも、この船、ぜんぜん有名じゃありませんよね。

それもそのはず。
だって、この船、
イギリスの意気込みもむなしく、
氷に閉じ込められて、
最後は沈没してしまったのですから。

英国人探検家のシャクルトン以下27人の乗組員たちは、
船から脱出し、
生き残るために、最小限の荷物を持って
氷の上を歩いて生還を目指すことになります……。

Question
問題

氷の上を命がけで移動する事になった時、
男たち全員が、金貨を捨ててまでも
船から持ち出す事を選んだ
「個人の所有物」
とはいったい何だったでしょう?

ヒント
食料は「共同財産」という事で除外してください。

Answer
答え

【 家族の写真 】

「エンデュアランス号」の乗組員たちが体験したサバイバル期間は、
合計でなんと17か月間だったそうです。

17か月といえば1年半近く。

そんなにも長い間、
「氷の世界」で生き抜き、
ただ1人の犠牲者も、
そして、発狂者も出なかったのは本当に奇跡。

苦しくて、生きる気力がなえてきた時、
「こんなところで死んでたまるか!」
と思わせてくれたのが
「家族の写真」だったのです。

これ、ピンチの時の
「よすが」
(=心の拠りどころ)です。

「ピンチの時」というわけではありませんが、
日本のある輸送サービス会社では、
ドライバーに携帯させる「安全手帳」に、
必ず「家族の写真」を貼り付けさせているそうです。

安全運転のための標語は
「安全を今日も家族が祈っている」。

こっちは、「安全運転をしよう」という、
ドライバーたちの注意を促すための
「よすが」ですね。

たとえ、ピンチになっても、
この「よすが」を持っていると、
最後の「踏ん張り」がききます。

(中略)

ピンチの時、
あなたの「よすが」になるものは、
いったい何ですか?

 

 

2015年1月4日(日)

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