7月, 2014年

早川勝メール【717号】大記録には必ず陰の立役者がいる。バイプレー ヤーたちの生き様から見えてくるもう一つのプロ野球

2014-07-27

皆様

こんにちは。
ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ
一斉配信しています。

暑中お見舞い申し上げます。

猛暑ですね。
熱中症にはくれぐれも気をつけて。
たくさんの水分を補給いたしましょう。

私は一日2リットル以上の水分を補給しながら
休日は外出を避け、
執筆活動に励んでいます。
(7冊目を秋に、8冊目を来春に出します)

暑い日が続きますが、
皆さま、どうかお体ご自愛下さいませ。

さて、
そんな猛暑を吹き飛ばすような
「夏祭りホームページ」へと、
一部を派手にリニューアルしました。
http://tsuitel.in/

Bookページも、
暑さをドドーンと吹き飛ばす
「夏祭りラインナップ」に変更しました!
http://tsuitel.in/books/book_l……index.html

ぜひ、ご覧になってみてください。

そこで本日は、
この夏の暑さだけでなく
日々の困難やトラブルをも乗り越え
皆さんに元気を出してもらいという思いを込めて
Facebookコミュニティ“魂を揺さぶる言葉たち”から
ステキなメッセージをシェアさせてもらいます。

涙っていう文字には、
「戻る」という言葉が入ってる。

これは、涙を流しても
笑顔に戻ろうよっていう意味。

泣くは、「立つ」っていう
言葉が入ってる。

これは、思いっきり泣いたら、
また立ち上がろうって意味。

たとえ今日、
心が傷つくようなことが
あったとしても、

みんな、泣いて笑って成長して
これから大きな華を咲かせていくんだ。

君に

「頑張れ」なんて

言わないよ…。

君はもうたくさん

頑張ってるから…。

だから私は

「応援してる」

って君に言うね。


以上です。
励まされますね。

 

 

と、本日の前置きはこれくらいにして。

メインコンテンツに入ります。

本日も、新たに「591冊目」のオススメ書籍から
抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

本日のテーマは、
【逆境】
です。

それでは、どうぞ!
お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.591
「プロ野球の名脇役」
大記録には必ず陰の立役者がいる。
バイプレーヤーたちの生き様から見えてくるもう一つのプロ野球
二宮清純著
光文社新書

 
谷繁元信

スローイングにも定評がある。
1996年、2001年、02、04、07年と過去に5度、
盗塁阻止率1位に輝いている。

肩はもちろんのこと、
谷繁の最大の長所は手首の強さにある。

スナップをきかせて
矢のようなボールを二塁に送ることができるのだ。

「きっと骨折したことがよかったんでしょう」
谷繁は意外なセリフを口にした。

「小学4年の時、木と木の間にロープを張り、
そこを渡る遊びをしていたんです。

ところが、何かの拍子に落ちちゃった。
落ちて、そのまま地面に手をついてしまったんです。

で、病院に行くと両手首の骨折。
しばらくの間、ギブスをはめたまま通学しました。

それからなんですよ。
人より手首が強いと感じるようになったのは……。

事実、それ以来、手首も太くなったんです」

骨折が原因で骨が強化されたという話は、
これまでにも聞いたことがある。
骨折箇所に仮の骨ができ、
変形することで結果として太くなるというのだ。

“ケガの功名”とは、このことか。

手首の強さは安定したキャッチングにもいかされている。
俗にいう「ボールにミットが負けない」のだ。

ピッチャーが一番嫌うのは
「ミットの落ちる」キャッチャーだ。

ボールの勢いに負け、
体に近い位置で捕ろうとするから、
必然的に審判にはミットの位置が見辛くなる。

見辛いボールを審判は「ストライク」には取らない。

これについての谷繁の見解は、こうだ。

「僕はピッチャーに、
どこに投げたのかということを知らせてやりたいし、
なおかつ審判によく見てもらうために、
なるべく前で捕るようにしています。

ボールの軌道がちょっとずれただけでミットが落ちる、
あるいはミットが流れる。
これはダメです」

斎藤隆

ブレーブス退団後はブルワーズ、
そしてダイヤモンドバックスへ。

ブルワーズではチームの29年ぶりの
ディビジョンシリーズ突破に貢献するなど、
行く先々で球史に残る仕事をしてみせた。

オールド・ルーキーと揶揄されながらも、
メジャーリーグで成功した理由を、
斎藤はこう述べる。

「野球を心の底から楽しんでやったということでしょうか。
アメリカに行った当初は、クビを覚悟する毎日でした。

“この一球で終わるかもしれない”
“このマウンドが最後になるかもしれない”
と……。

しかし、今にして思えば、
逆にそれがよかったと思うんです。

将来に対する保障がないから
“まだやりたい”
“もっと投げたい”
という欲求がどんどん強くなっていった。

それが僕には楽しかったんですよ。

“まだ自分には可能性が残っている”
“新しい自分に出会えるかもしれない”
と、常に自分に対して貪欲になることができた。

身分が安定していたら、
ついぞ、こんな気持ちにはなれなかったでしょう」

斎藤のピッチャーとしてのキャリアは、
それ程長くない。

彼は大学(東北福祉大)2年生の途中までは内野手だった。

「忘れもしない大学2年秋の
神宮大会出場をかけた試合でのことです」

当時、東北の代表校は北海道の代表校と
ひとつの出場権を賭けて戦うシステムになっていた。
その勝者が北海道・東北代表として神宮大会に出場できるのだ。

監督は今は亡き伊藤義博。
東北福祉大を全国区の強豪に育て上げた名将だ。

代打に起用された斎藤は伊藤から、こう告げられる。

「この打席で打てなかったら野手は、もう諦めろ」

結果はダブルプレーだった。斎藤は落ち込んだ。

「野球は諦めなくちゃいけないかと思いました……」

実は伊藤は早くから斎藤のピッチャーとしての
素質を見抜いていた。

偶然、斎藤が遊びでブルペンで投げている姿を見て、
「これはピッチャー向きだ」
と判断したというのである。

大野豊

91年、大野は7年の先発生活を経て、
再びクローザーに転向する。

江夏の後を受けた3年間で、
「二度とやりたくない」
と思ったプレッシャーのかかる仕事場に、
再び戻ってきた理由はなんだったのか。

「90年は6勝11敗に終わったんですが、
調子が悪くて1イニングがすごく長く感じられた。
5回まで投げるのが、ものすごくきつく感じられたので、
監督の山本浩二さんに“もう先発はできない”
と頼んだところ、
“それなら抑えをやってみよう”
と提案されました。

この頃、チームには
“炎のストッパー”と呼ばれた津田恒実がいた。

浩二さんは“ダブルストッパー”ということで、
僕を1イニング限定で使ってくれた。

結局、津田が病に倒れたことで、
僕はひとりで抑えをやることになりました。

この年は、何か目に見えない力が働いたような気がしましたね。

5年ぶりにリーグ優勝を果たし、
津田の奮闘に報いることができた。

まるで僕の背中に津田がいて、
2人で投げているような錯覚にとらわれたものです」

クローザーに再転向した大野は、
かつての経験をいかした熟達のピッチングで
91、92年と連続してセーブ王に輝く。

防御率も1・17、1・98と1点台をキープした。

打高投低の時代、
しかも狭い広島市民球場を本拠地とするチームにあって、
この防御率は驚異的だった。

「逆に言えば、ふくらみの少ない球場で投げることで、
若い頃からいろいろなことを学ぶことができた。

どうすればバッターのタイミングをはずせるか、
詰まらせるか、ファウルを打たすことができるか……。

もし、広い球場でやっていたら、
工夫したり、
考えたりする習慣が
身に付かなかったかもしれませんね」

2014年7月27日(日)

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早川勝
【ホームページ】
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早川勝メール【716号】乱読のセレンディピティ 思いがけないことを 発見するための読書術

2014-07-20

皆様

こんにちは。
ご縁があって名刺交換させていただいた3,333名の方々へ
一斉配信しています。

3連休前の一週間。
今週も全国ツアーでした。

週スタートは羽田から福岡へ飛び、
週中盤は北九州から東海道を
東へ東へと進み静岡へ入り、
さらに週末は東北へと日本列島を北上しました。

スケジュールはハードでしたが、
道中では様々な出逢いがあり、
とても有意義な時を過ごすことができました。

その旅の途中、
ある「食い処」に立ち寄ったところ、
店の女将さんから一冊の文庫本をいただくという
“幸運”に恵まれました。

その本は、「影法師」(百田尚樹著)
という小説でした。

早速、私は宿にもどって
読書にいそしんだのですが…。

それがですねぇ、
あまりにも面白い内容だったもので
むさぼるように一気に読み切ってしまいました。

いや〜、感動しましたよ。

涙が何度も溢れました。

これは「永遠のゼロ」の時代小説版、
といってもいいでしょう。

過去と現在の伏線を巧みに操るストーリー構成によって
一つひとつのテーマを鮮やかに描写していきます。

今さらですけど、
百田尚樹さんは本当にうまい作家さんですね。

えっ?
どんなストーリーなのかって?

はい、では…、
読みどころをお伝えいたしましょう。

これから読む方のために
謎解きなどの核心部分には
触れないようにしておきますが…。

主人公・勘一は身分の低い貧しい下級武士の子であったために
次から次へと理不尽な試練に翻弄されることになりますが、
やがて筆頭家老にまで異例の出世を果たしていきます。

しかし、その陰には…いつも。

頭脳明晰で剣の達人だった竹馬の友・彦四郎。
将来を嘱望された男がなぜ不遇の死を遂げたのか。

二人の運命を変えた二十年前の不可解な事件。

主人公の勘一と共に、
読者である私もその「真相」を
必死に追いかけることになりました。

幼い日に目の前で
父親を惨殺される悲惨な運命。

いきなり衝撃的でした。

百姓一揆の首謀者の家族までもが
磔にされるという悲劇に遭遇。

残酷なシーンには、泣かされました。

恩人の家族を悪徳高利貸しから守るための決意と、
その捨て身の行動力。

いったいどんな展開になっていくのか、
物語にぐいぐい引き込まれ
ページをめくる手が止まりませんでした。

緊迫した剣の上覧試合あり、
切なくも純朴な恋物語あり、
難敵である執政との対決あり、
大どんでん返しの謎解きあり、

と、ショッキングな場面の連続でした。

ミステリーの要素もたっぷりです。

やがて驚愕の真実が「男の生き様」を映し出し、
私は強く胸を打たれました。

す、すごい。

驚きの連続です。

現代の日本人が忘れている「究極の友情」を
ものの見事に描いていて…。

男の友情とは、決して単純なものではなく…。

それは、美しくも、はかなくて、切ない。
そして、強い。

ラストで主人公が号泣し流す涙は、
私たちの頬をつたうそれと一つになります。

この小説を読んだ人の中には、
「あまりにも出来過ぎたつくり話だ」、
という人がいるかもしれません…、

でも、まあ、そこはあくまで「小説」ですから。

むしろ最高のフィクションである、
と言えるのではないでしょうか。

それらは、
現代社会が抱えている格差問題への風刺でもあり、
その閉塞感から抜け出せずにもがいている我々への
激励メッセージであるともいえます。

登場人物のキャラクターもそれぞれ際立っていて、
奇想天外な物語を粋に演出してくれます。

もしも、この小説が映画化されたときには、
終盤に登場してくる片足の刺客役を
ぜひ「田中泯さん」に演じてほしいですね。

「永遠のゼロ」の劇中でも
妖気が漂う老人を好演していましたから。

二つの役のイメージを重ね合わせてしまうのは、
私だけでしょうか。

388ページのこの刺客・島貫の言葉が
心に残ります。

「儂は生涯のほとんどを影のように生き、
人を殺めてきた。
奴もまた影のように生きた。
しかし奴は儂と違い、
人を生かした」

このフレーズに私の魂は震えました。

「人を生かす」…。

深く考えさせられます。

光があるから影ができるのか。
影があるから光が生まれるのか。

タイトル「影法師」の意味が、
最後の最後でやっと理解できました。

さらに、単行本にはない文庫本ならではの
加筆原稿の「袋とじ」までついていました。
(珍しい!)

その巻末のエピソードは
「胸キュン」でしたよ。

この時代小説は、
究極のラブストーリーだったのか、
と思わせるような…、
そんな「袋とじ6ページ」
で締めくくられています。

特に、“最後の一行”がいい。

温かい感動に包まれました。

何か救われる思いになりましたね。

百田尚樹さんは、
もはや「神」の領域です。

素晴らしい小説と出会うことができ、
感謝・感激の旅の夜となりました。
(小倉のおかみさん、ありがとう)

幸運でした。

まさに、これこそが、
「乱読のセレンディピティ」

 

 

と、前置きはこれくらいにして。

メインコンテンツに入ります。

本日も、新たに「590冊目」のオススメ書籍から
抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

本日のテーマは、
【忘却の重要性】
です。

それでは、どうぞ!
お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.590
「乱読のセレンディピティ」
思いがけないことを発見するための読書術
外山滋比古著
扶桑社

 
われわれは子どものときから、
忘れてはいけない、
としつけられている。

宿題などを忘れてくれば、
学校で叱られる。
忘れものがあれば、
ときに、とりに帰ることもある。

授業で習ったことすべて覚えていなくてはいけない。
忘れてはいないか、たしかめるために、試験がある。

忘れっぽいのは点が悪い。
頭がいいのは忘れないでよく覚えている。
そうきめてしまう。

たとえば、知識を食べものとすれば、
忘却は消化、排泄に当る。

ものを食べて消化、吸収する。
その残りカスは体外へ出す。
食べるだけ食べて、消化も排出もしなければ、
不健康な満腹、糞づまりとなって危険である。

糞づまりを放置することはあり得ないが、
知的メタボリック・シンドロームによる糞づまりは、
うっかりすれば見逃されかねない。

そうなっては困るから、
自然の摂理として消化、排泄が
行われるようになっているのである。

それが忘却である、
と考えた。

自然の摂理と言ったのは、
そういう重要なはたらきを個人の努力などにまかせるのは
危険だからである。

うっかり、はたらかせなかったりしたら大事になる。
そうならないために、自然忘却がある。

とくに忘れようと思わないでも、
自然に忘れられる。

それについて、強弱の個人差があるようで
忘却力の弱い人は、
覚えていなくてもいいことまで忘れない。

これまでは、こういう忘れない人を優秀だと考えてきた。

自然忘却のもっとも重要なのは、睡眠中の忘却で、
これはレム睡眠と呼ばれる眠りの間におこると考えられている。

普通、一夜に数回のレム睡眠がおこる、とされる。
ここで有用と思われる情報、
知識のうち当面、不要と思われるものとが、
区別、分別されて、廃棄、忘却される。

頭のゴミ出しのようなものである。

朝、目覚めて、たいてい気分が爽快であるのは、
頭のゴミ出しがすんだあとで、
頭がきれいになっているからである。

これが毎晩、
自動的に行われているのだからおどろきである。

なんの努力もしないで自然に忘却できるのだから
ありがたいと思わなくてはならないが、
自然におこっていることは当たり前だとして無視する。

それで、忘却の効用ということを知る人が少なく、
努力を要する記憶をありがたがる、
ということになる。

人間にとって死活にかかわる体のはたらきは
多くの自然のように見える。

呼吸、血液の循環、睡眠など、
みな自然におこなわれていて、
とくに自覚的努力をしていない。

そのために、そのありがたさが忘れられるのである。
忘却もそのひとつといってよい。

まったく忘れることができなかったら、
人間は生きていられないだろう。

それを忘れていられるのは
忘却のおかげである。

自然な生活、変化のはげしくない生き方をしていれば、
レム睡眠を中心とする自然忘却で充分頭は整理されるが、

刺激の多い、多忙な生活をしていると、
自然の忘却のはたらきだけでは忘却できないことが残る。

それが鬱積すると頭のはたらきが悪くなり、
重苦しい気分になったりする。

倦怠を覚え、
疲労がたまり、
意欲も減退する。

面倒な問題をかかえた会議などでも、
ある時間続けていると心理的圧迫が高まって
活気が失われる。

それで休憩をとる。
外国ではコーヒーブレイクと言われる。

そこで会議のことをひととき忘れると、
めいめい気分一新、
新たに考えたり議論する気持ちになるのである。

動きまわるのはたいへん効果がある。
学校の授業には、休み時間がある。
小中学校だったら、外へ出て走りまわったりするのが望ましい。

勉強家が、教室に残って、
ノート整理などするのを得意がるが、
考えが浅い。

そんなことをしていれば、頭は勉強したことでいっぱいになる。
次の時間の授業がうまく頭に入らない。
それだけでなく、なんとなくユウウツになることが多い。

外でとびまわっていれば、
前の授業のことなどひととき忘れて、
ハツラツとした気分になる。

前の時間の授業のことを半ば忘れて次の授業に臨めば、
授業はすらすら頭に入る。

スポーツをすると勉強ができない、
そう思っている人が多いが、
スポーツをする、勉強もつよい文武両道の子どももある。

スポーツの練習で勉強の時間が少ないのに、
勉強ばかりしている生徒より
学業の成績がよいということがある。

スポーツで、頭をきれいにしているからであろう。

ある大学生は陸上競技の選手ながら、
なかなかの学業成績をあげていた。
もっと学科の成績を上げようと、
スポーツをやめてしまった。

ところが、結果は、予想を裏切った。
スポーツの練習で忙しかったときより
成績が下がってしまった。

その人はあわてて、また陸上競技を再開、
成績も復活したという。

スポーツが忘却によって
学習効果を高めていたのであろう。

不眠不休は大働きのように見えるが、
疲れて、あまりよい成果が得られないことがあるのも、
忘れる時間がないからである。

いざ忘れようとすると、
かえってなかなか忘れられるものではない。

ことに、おもしろくない、いやなことかあると、
少しでも早く忘れてしまいたい思うのが人情である。

ところが、あいにくのことに、
頭にこびりついて忘れられない。

いろいろ工夫して見つけたのが、
ヤケ酒である。

ぐでんぐでんに酔っ払えば、
さしものいやな思いも
さらりと忘れることができる。

体にはよくないであろうヤケ酒は、
心理的には百薬にまさるところがある。

それをはじめて見つけたのは
かなりの人間通だったと思われる。
2014年7月20日(日)

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早川勝
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早川勝メール【715号】本日は、お日柄もよく 大切なあの人へ贈りた い

2014-07-13

皆様

こんにちは。
ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ
一斉配信しています。

先日、大阪出張の際に、
元同僚のHさんとお酒を飲む機会があった。

久しぶりの再会に酒宴は大いに盛り上がり、
昔話に花が咲いた。

はじめて耳にする苦労話もあった。

同じ会社に勤めていたからといって
過去をすべて知っているわけではない。

実はHさん、
肝炎を患っていた時期があったらしく、
入退院を繰り返し、様々な治療を試してみたが、
病状が快方に向かうことはなかったと言う。

数年の間、闘病生活は一進一退、
もう治る見込みはないかもしれないと
ドクターから告げられたこともあり、

いっときは、
「死」を覚悟する状況まで
追い込まれたのだとか。

その間、Hさんは仕事にも打ち込んでいたが、
やはりそんな時期は何をやってもうまくいかない。

次から次へと困難が襲い掛かってきた。

しかし、彼は自暴自棄になることなく、
「正しく生きる」ことをあきらめなかった。

生きている限りは、
「世の中に貢献したい」という思いで
いくつものアグレッシブな行動目標を設定したのだ。

その中のひとつが、
「一年間で100人のお年寄りに電車の席をゆずる」
というものであった。

皆さんも経験があると思うが、
お年寄りに席をゆずるタイミングというのは、
本当に難しい。

「年寄り扱いして失礼にあたらないか」
「拒否されたら恥ずかしい」
「周りから偽善者という目で見られないか」
などと、
躊躇しているうちにチャンスを逃してしまう。

ゆずってあげたい優しい気持ちはあるのだが、
どうしよう、どうしよう、
と迷ったあげく、
結局は、
“寝たふり”をしてしまう。

か、または、
「自分だって疲れている」、
「老けて見えるが意外と若い人に違いない」、
「自分以外の誰かがゆずってくれるだろう」、
という“正当化”に落ち着く。

しかし、そんなときは、
罪悪感で心がモヤモヤしてしまうのが人間だ。

思い切って席をゆずってしまえば、
心はスッキリなのに…。

電車でお年寄りに席をゆずる行為には
少なからず「勇気」が必要なのだ。

その小さな勇気の積み重ねを
「100人」というバーに目標設定するなんて、
Hさんの覚悟には驚かされた。

肝炎を患い、決して健康とはいえない彼の
「勇気ある決意」に感服。

Hさんはその“好意”を一つひとつ実行していき、
そしてついに「達成」した。

なんという高潔な行動力なのだろう。

そんな彼に、
やがて、奇跡が訪れる。

彼の病状に合った新薬が開発され、
肝炎は「完治」したのだ。

今では、元気に酒も飲み、
運動や仕事にも汗を流している。

これは単なる偶然だったのだろうか。

いや、そうではないだろう。

私は確信した。

彼自身の生き方が引き寄せた「必然」であると。

じめじめとした梅雨の夜、
出張先の大阪で、
ちょっといい話を聞かせてもらった。

と、前置きはこれくらいにして。

メインコンテンツに入ります。

本日も、新たに「589冊目」のオススメ書籍から
抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

本日のテーマは、
【結婚】
です。

それでは、どうぞ!
お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.589
「本日は、お日柄もよく」
大切なあの人へ贈りたい文庫No.1
原田マハ著
徳間文庫
「宴たけなわではございますが、
ここで、もうひとつ祝辞を頂戴いたします」

司会者の声が響いた。

新郎新婦が席に着くタイミングで、
立ち上がったひとがいる。

「新郎の知人で、新郎が大変尊敬されている
『言葉のプロフェッショナル』、久遠久美さまです。
久遠さま、よろしくお願いします」

私は顔を上げて、壇上を見た。

あのひとだ。

マイクの前に立ち、
係りの人にスタンドの高さを調節してもらっている。
マイクに手をやり、黙っている。
メモは持っていない。

ざわざわ、ざわざわ、歓談が続いている。
なかなか話し出さない。
ざわ、ざわ、ざわ。

会場の声が、やがて波が引くように静まった。

まだ話さない。

なんだろ、あのひと?
スピーチするのに、黙りこんじゃってる。

不審な空気が広がったのか、
やがて会場は、水を打ったようにしんと静まり返った。

「あれは、二カ月ほどまえのことだったでしょうか。
ある夜、厚志君が『相談がある』と言って、
私に電話をしてきました」

ぎょっとした。
なんだかすごい始まり方だ。

スピーチというより、告白みたいじゃないか。

私は思わず身を乗り出した。
と、周りを見ると、
お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも身を乗り出している。

妙齢の美人が「相談」ときた。
興味が湧かないはずがない。

おばあちゃんだけが、びしっと背筋を伸ばしたまま、
姿勢を崩していない。
ただし、目はつぶらずに、まっすぐ壇上をみつめている。

「『実は好きな人ができた。
会社でアルバイトをしている子で、まだ二十歳そこそこ。
すごくかわいくて、とってもいい子で、
みんな彼女を狙っている。

だから僕は考えた。
結婚しちゃえばいいって。

それって、早すぎますか?』

厚志君はそう言ってきたのです。

私はすぐさま答えました。

『それのどこが相談なの?
もう決めてるじゃない』って」

どっと会場が沸いた。

お父さんもお母さんも、笑っている。
お兄ちゃんは腕組をして、しょうがねえなあ、という苦笑の顔だ。
おばあちゃんは、ぷっと噴き出して、着物の袖で口もとを押さえた。

笑い声が収まるのを待つように、
一拍おいてから、彼女は続けた。

「世の中に、早ければ早いほどおいしいものが、みっつあります。

一、 ボージョレ・ヌーヴォー(ふむふむ)。

二、『吉原家』の牛丼(爆笑)。

三、結婚(ほお〜)。

今日は、会場にこのみっつが勢ぞろいしていますね。
大変、幸先がいい。

そう思いませんか、皆さん?」

拍手が起こった。
うまい、と私は今度こそ膝を打った。

『吉原家』の社長は、満足そうにうなずいている。
新郎新婦も一緒になって、盛んに拍手している。

「そして、年月を重ねれば重ねるほど、
深いうまみが増してくるものが、みっつあります。

一、愛情(おお〜)。

二、人生(おお〜)。

そして三、結婚です」

もう一度、拍手が起こった。

それが収まるのをまたもや待って、
続ける。

「新郎のご両親は、残念ながら、一昨年、昨年と、
この日を待たずに他界されました。

私は縁あって、新郎の父上、衆議院議員、今川篤郎先生と
懇意にさせていただいておりました」

そう聞いて、急に納得した。
このひとは、今川のおじさんの関係者、だったんだ。
秘書だったのかもしれない。
そういわれると、そんな感じがする。
頭の回転が速く、いかにも切れそうな政策秘書。

「奥様を亡くされた先生に、生前一度だけ、
失礼を承知でうかがったことがあります。

『ご結婚なされて、一番よかったことはなんでしたか?』

先生は、あの独特のシブい声で、
それでもたまらなくお優しい口調でおっしゃいました。

『深いうまみのある人生を、
あいつと一緒に味わえたことかな』

そして、こうもおっしゃいました。

『一度、厚志にも言ってやらなくちゃな。
ときにしょっぱくても苦くても、
人生の最後のほうで、一番甘いのが、結婚なんだ。
お前もさっさと体験してみろ、いいもんだぞ、って』」

会場が、しんとなった。

厚志君は、じっと前を見据えている。
その目が、ほんのりと潤んでいるのがわかる。

「はたしてお父さまが、厚志君にその言葉を伝えたかどうか、
私にはわかりません。

けれどこうして、
いっぱいの愛情と豊かな人生を分かち合うために、
厚志君は恵里さんとともに、ここに座っている。

お父さまに代わって、申し上げたいです。

『どうだ厚志、結婚ってなかなかいいもんだろ?』」

あたたかな笑い声が起こる。
厚志君と恵里ちゃんは、顔を見合わせて笑った。

その拍子に、恵里ちゃんのつややかな頬を、
涙がひとすじ、伝って落ちた。

「お父さまも愛されたフランスの作家、
ジョルジュ・サンドは言いました。
あのショパンを生涯、苦しみながらも愛し続けた
彼女の言葉です。

『愛せよ。
人生において、
よきものはそれだけである』

本日は、お日柄もよく、
心温かな人々に見守られ、
ふたつの人生をひとつに重ねて、
いまからふたりで歩いていってください。

たったひとつの、
よきもののために」

おめでとう。

最後の言葉が、彼女の口から離れた瞬間。
あたたかな、実にあたたかな拍手が、
会場を埋め尽くした。

恵里ちゃんは、白い手袋の指先で涙を拭っている。
厚志君が、その肩をそっと抱いている。

お父さん、お兄ちゃんは、夢中で手を叩いている。
お母さんは、ナプキンで鼻を押さえている。
おばあちゃんは、ていねいに、いつまでも、
静かな拍手を送っている。

私は……私は、
情けないことに、
さっきつけ直したマスカラがまた落ちてしまうほど、
泣いていた。

2014年7月13日(日)

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早川勝
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早川勝メール【714号】人は感情によって進化した 人類を生き残らせ た心の仕組み

2014-07-06

皆様
こんにちは。
ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ
一斉配信しています。

先日、拙著のある読者の方から
心に響くメッセージが届きました。

手紙を読ませていただき、
苦難の壁を乗り越えたいという、
ご本人の様々な葛藤も心に響いたのですが、
何よりも私は、
心配な息子を陰ながら応援している「父の愛」に
深く感動いたしました。

本来なら私が知るよしもない人生模様の中で
拙著が人様のお役に立てているのだなぁ、
と思うと、胸が熱くなりました。

ご本人からの許可をいただいた上で、
全文をほぼノーカットにて
(企業名などは一部修正)
ご紹介させていただきます。

↓↓↓

*********************

初めまして。

父から今日一冊の本が送られてきました。

早川様の「死ぬ気で働くリーダーにだけ人はついてくる」です。

私は小売業で4年働き、
あるきっかけで某外資系生保の門を叩かせて頂きました。

半年後に今の業績をしっかり出せたら合格させる
という条件付合格を頂きました。

当時の私にとってはその半年という時間がもったいなく感じ、
「他社生保」への入社を選びました。

結果は1年半ほどで、退社。

その後、「ほけんの○○」へ入社し、
1年半ほどで現在の店舗の店長を任されました。

約1年弱現在の役職についていますが、
毎日がメンバーからの私や会社に対する不満の嵐です。

身体にも影響が出始め、過呼吸や筋肉の硬直で
先日上司に役職から外して欲しいと告げたところでした。

そんな事を今月実家に帰った時に両親と話していたら、
今日ポストを見ると早川様の書籍が父から届きました。

初めの部分だけでもいいから目を通しなさいと言われ、
まだ数ページしか目を通しておりませんが、
涙が止まりませんでした。

こんなに分かって下さる方がいることと、
自分に対する情けなさ、日々の取り組みなど、
色んな感情が込み上げてきました。

父からは、
「お前がこの仕事を本当に続けて行くなら、
定年を迎えるその時まで側に置いておきなさい」

と手紙が添えられておりました。

まとまりのない文章で申し訳御座いません。

ただ本当にありがとうございます。

楽しみに何度も読ませて頂きます。

*********************

以上です。

このような親子のドラマにも
拙著が関わっているのかと思うと、

私自身も大きな励みになります。

拙著がこの先どこまで
この方のお役に立てるのかわかりませんが、

本を読んだことが立ち直るきっかけとなり、

やがては立派なリーダーとして

大きく飛躍してくれることを
心から祈るばかりです。

《参考》

「死ぬ気で働くリーダーにだけ人はついてくる」
Bookページ↓(動画付)
http://tsuitel.in/books/new_bo……index.html

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皆さんからの
書籍の感想も
お待ちしています。

と、前置きはこれくらいにして。

メインコンテンツに入ります。

本日も、新たに「588冊目」のオススメ書籍から
抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

本日のテーマは、
【幸福と無力感】
です。

それでは、どうぞ!
お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.588
「人は感情によって進化した」
人類を生き残らせた心の仕組み
石川幹人著
ディスカヴァー携書
(街角インタビュー)

「あなたは幸福ですか」
と、街行く人が声をかけられた。

「幸福、というほどでもないかなぁ」
と、天を仰いで答える人に、

インタビューワーはすかさず、
「じゃ、不幸なんですか」
と問い詰める。

「いや、不幸ってわけじゃないから、
幸福って言えば、幸福なんでしょうか。
……でも、最近ちょっと、いやなことが起きたし、
幸福という感じはしませんねぇ」

人類の幸福は、社会的活動や学問的探求など、
あらゆる人間の営みの最終目標に掲げられるものです。

しかし、幸福とは何かは、
かなりの難問です。

欲求が満足された状態でしょうか。

それは幸福の大きな要素ではありますが、
それだけではなさそうです。

欲求が満足された後には、
虚脱感がおそってくる
という傾向もあります。

そもそも、生物の歴史には、
個体の幸福向上を目的に
進化が重ねられたわけではありません。

生き残りをかけて
世代が刻まれていくという、
生存競争の歴史でした。

ですから、進化心理学から見れば、
幸福を感じることは、
人間が生き残るための「手段」であった
と考えられます。

この観点から、
人間の「自覚的意識」の役割について、
新しい見方が得られます。

まず、人間が「幸福である」
と思うこと(幸福感)の背景を、
推定しておきます。

人間は、最近の経験をふり返って、
肯定的な感情が多くの部分を占めている
と感じられるときに、
「幸福だ」
と思う傾向があるようです。

(中略)

チンパンジーを見ると意識はあるが、
幸福感はなさそうです。

確実なことは言えませんが、
意識は「ジャングル由来」、
幸福感は「草原由来」のような気がします。

しかし、現在の人間の幸福感については、
狩猟採集時代にあわせた状態のままであることは、
ほぼ確実です。

つまり、「文明固有」の幸福感は未完成なのです。

狩猟採集時代は、
なかなか満たされない衣食住が満たされると幸福、
危険な環境でなんとか長生きできれば幸福、
家族的なつながりができれば幸福、
集団に貢献し賞賛されれば幸福、
などの幸福感の仕組みが形成されていたはずです。

どれも、おのおのの幸福感を追求することが、
集団と個人の生き残りを支援していました。

幸福感を目指して意識を働かせていれば、
それで生き残りにつながった
「幸せな時代」だったのです。

ところが、現代社会では状況が一変しました。

科学技術が発展し、
衣食住が比較的安価に提供され、
安全や衛生状態も確保されました。

衣食住が満たされ、
そこそこ長生きする人生が当然となったのです。

そうでない人生のほうが不幸と考えられるほどです。

また、これまで何度も述べてきたように、
現代社会の集団は流動化して、
家族的つながりができにくくなりました。

いわば集団のメンバーをもとめて、
集団自体が変化する時代です。

機械化も進み、
単純労働で集団に寄与する構図が
描けない状態にもなっています。

さらに、メンバーの移動は、
集団の教育的側面も損ないます。

仕事を学ぶよりも前に、
仕事をうまくこなせる人に、
入れ替えられてしまうからです。

総じて、人々が集団から、
社会的に得られる幸福感が
希薄になっています。

それでも、最低限の生きることに問題がなければ、
進化的には成功というべき状態です。

幸福感をむやみに求めるのをやめれば、
意識は弱まり、
無為自然に生きる境地に至るのでしょう。

文明は、人間の仕事を肩代わりすることで現在、
人間に幸福を与えるというよりは、
多くの人々に無力感を与えてしまったようです。

無力感もいいですが、
もっと生き生きと幸福を感じる状態にならないものでしょうか。

このところ、うつ病の患者が増えていますが、
人々がふつう、自己の力を過大視することで、
無力さを直視しないようにしています。

第8章で議論した「希望」をいだくのです。

ところが、うつ病の患者は、
より正確に自己の力を評定できる傾向が知られています。

正直者が病気になってしまうのであれば、
社会は欺まんに満ちているということです。

それは深刻な問題です。

「文明の心」には、
意識の働きの価値を再認識し、
さいど意識が生き生きと活動できる構図が必要です。

狩猟採集時代の集団に戻るというのは
ひとつの選択肢ですが、それも問題です。

融通がきかない集団は、
いびつな人間関係にしばられるという、
負の側面を持っているからです。

個人におうじた多様な幸福をひき受ける理想のコミュニティには、
集団の多様性が必要だと思われます。

個人こじんが、多くの集団に所属して緩いつながりを築き、
そのうちいくつかでは、密なつながりを実現する、
そうしたことが可能なコミュニティです。

つながりによる幸福は、
そのうちのいくつかの集団で実現し、
貢献による幸福はまた別のいくつかの集団で実現する、
そういう状態です。

将来、情報メディア技術を駆使したネットワークコミュニティに、
この状態が築かれるのではないかと期待されます。

(中略)

人類が誕生してから、
三〇〇万年近くが経過しています。

親が子どもをもうけるまでに二〇年かかるとして、
一〇万世代以上が経過したわけです。

いま生きている私たちは、
一〇万組の親たちが、
生き残りに成功しつづけてきた結果です。

私たちはいわば「勝者たちの末裔」なのですから、
生き残るための多くの心の仕組みを
もっていてしかるべきです。

また、私たちのうちの誰か二人をとりあげ、
はるか昔の親たちを調べれば、
かならず同一人物がいます。

「人類はみなきょうだい」
と言いますが、
たとえではなく、ほんとうにそうなのです。

2014年7月6日(日)

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早川勝
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