2月, 2013年

早川勝メール【648号】選ぶ力 人生とは、選択の連続である

2013-02-25

皆様
こんにちは。

ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ一斉配信しています。

最近、外出のついでに2本の映画を鑑賞しました。
「レ ミゼラブル」と「ライフーオブーパイ」
ご覧になった人も多いのでは?

本日のアカデミー賞で「作品賞」候補になっているようですが、
さて、結果はどうでしょうか?

実は、私の友人S君の奥様が評論家顔負けの映画通で…。
感想文をもらったので、
皆さんの参考になればと思い、紹介することにしました。
スゴいですよ!
↓↓↓

「レ ミゼラブル」早速観てきました。
まず一言、本当に素晴らしい映画でした。
この映画は、エンターテイメント映画が好きな方にも、
ミュージカルが好きな方にも、
感動したい方にも、近頃泣いてない方にも、
そして「どう生きるか」悩める貴方に、お勧めの一本です。

私の記憶にあるミュージカル映画と違い、
この「レ ミゼラブル」は、ほとんど全ての科白が歌う事で表現されています。
また、演技をしながら歌った音源をそのまま映画に使っているためでしょうか、
魂のこもった歌声の連続で、心が揺さぶられ続けた2時間半となりました。
ミュージカルの舞台は、どうしても幕数に制限があるので
限られたセットの中で物語が展開されますが、
映画は場面場面でセットを変え、物語に沿った展開をしていますので、
ヴィクトル・ユゴーの深みのある原作の良さが十二分に伝わってきます。
大きなスクリーンに映し出されたヒュー・ジャックマンの迫真の演技によって
主人公ジャン・バルジャンの心の変化が、私たちの心に響いてきます。
バルジャンを追うジャベールが苦悩する場面では、
私たちの心に彼の苦悩を運んでくるかのように
ジャベールの視線から撮影された映像がスクリーンいっぱいに映し出されます。

不遇な環境に負けず自分の良心に恥じない生き方をする事の大切さ、
すなわち人間の崇高さ、見返りを求めず全てを受け容れる、
まさに無償の愛が生み出す力の大きさ。
登場人物達が織りなすドラマの一方で、
時代の波が容赦なく全ての人々を飲み込んでいく。
そこには、虚しさ、悲しさ、命のはかなさが入り交じり、
現代の日本に生きる私たちにとって、
遠い時代、遠い場所での物語である事をも忘れさせる程の衝撃を与えます。
私たちに希望の光はあるのでしょうか?
そんな思いに駆られながら、映画は終わりに近づいていきます。

さて、貴方には希望の光が見えましたか?

「ライフーオブーパイ」、早速2月16日(土)に観てきました。
美しい映像が評判でしたので109川崎にあるIMAXシアターで、
初めて〝IMAX3D〟を観ました。
動物たちに圧倒されながら、映画は幕を開けました。
パイの本名の由来となったスイミングプールの美しいこと。
久しぶりの3D映画観賞となりましたが、
技術進歩が凄まじく驚かされました。
(中略)
私の心に残った事が四つありました。

一つめは、パイが円周率を暗記しいじめに立ち向かって行く姿勢です。
この出来事は自分に与えられた困難を受け容れ努力して乗り越える方法を
編み出し自分の中で消化し、
更には廻りの人々をも納得させてしまうというパイの性格を
表しているのではないかと思います。
救助された後、
メキシコを訪れた保険の調査員を納得させたパイの創作物語をパイ自身も信じ、
つらい体験を封じ込め消化したのではと私には思われます。

二つめは、物語には全く関係のない事ですが、
パイのお兄さんがドストエフスキーの本を読んでいた事です。
ドストエフスキーの大ファンである私は、
この映画の製作スタッフに親近感を覚えました。

三つめは、
虎と対峙したパイにお父さんが言った
「お前が見たのは虎の心ではなく、虎の瞳に写っていた自分自身の心だ。」
という言葉です。
言い換えると、相手と真剣に向き合った時に自分自身の本当の心が見える
という事だと私は理解しました。
パイが作家に語り終えた後、何故もう一つの物語をあえて話したのか。
作家の瞳に写った自分がこの体験を乗り越えていることに気づいたから
ではないかと思います。
作家に虎との別れについて語った時の涙は、
パイがつらい体験を消化した証ではと思われます。

そして四つめは、パイが多様な宗教(神)を信じていた事です。
これは実際にはあり得ないような事ではありますが、
パイが何事をも受け容れる下地になっているのではないでしょうか。
私たちの生きているこの世界には多様な人々が暮らしています。
当然ながら、それぞれ信じる事も価値観も違う訳です。
そんな世界の中では、
日々起こる様々な事に逆らうこと無く受け容れていくという事が非常に重要である
と映画は伝えたかったのではないでしょうか。
パイが明かした二つの遭難物語、
どちらが本当なのだろうと映画が終わった後、私は混乱していました。
この問いの正しい答えを知る事が、
この映画を理解するただ一つの術であると考えながらも、
何故この問いなのだろうと思ってみたりと
つかみどころの無い思いでいました。
時間の経過とともに映画を振り返りながら、
この問いの答えには正解が無いこと、
観た人が思った方が真実の物語であり、
大切なのはそれを受け容れる心を持つことだという思いに至りました。

以上がこの映画を観た私の感想というより、私なりに分析した思いです。
正直なところ、見終わってすぐは「理解できない」思いでいっぱいでした。
前回、早川さんにお会いした時に
「理解できない映画に出会った時には、理解しようと必死に考える」
というような事を言っていたのを思い出し、私なりに努力しました。
深い映画なのかな?という所まで到達しました。

↑↑↑
以上です。

本物の映画ファンに出会えた思いで感動し、
このたび転載させてもらった次第です。

あなたはどう感じたでしょうか?

と、
私の前置きはこれくらいにして、

本日は、新たに「525冊目」のオススメ書籍から
抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

本日のテーマは
【運命】 です。

お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.525
「選ぶ力 」
人生とは、選択の連続である
五木寛之著
文春新書

「差別は反対ですか、賛成ですか?」
と、たずねられれば迷わずに、
「反対です」
と答えるだろう。

前に一度そう答えたら、
追いかけるように、こんなことをきかれたことがある。
「じゃあ、学校で生徒の成績の順位を発表するとか、
百メートル競争に一着、二着をつけるとかいうのにも反対なんですね」

そういうのは差別とはいわない。
それでも白か黒かの選別をせまられる場合が、
日々の暮らしの中でしばしばあって困惑する。

現在、百歳以上の長寿者の約八〇パーセントが、
寝たきり老人であると聞けば、
思わずため息がでてくるのは当然だろう。
長寿はめでたいこととされる。
まして百歳以上の長生きは、うらやましい幸運だ。
とはいうものの、自分がはたして寝たきりの長寿者の一人になることを
考えると、ゾッとする。

人は生まれてくるときに、自分の選択の自由がない。
どこの国の国民として生まれるのか。
どんな両親のもとに生まれるか。
どんな個性や、才能や、容貌や、体質をもって生まれてくるか。
運動が得意なのか、それとも理数系の能力にめぐまれているか。
黒人か、黄色人種か、白人か。
戦国時代に生まれるか、徳川数百年の泰平期に生まれるか。

すべて私たち個人の努力や、選択や、決意などには関係がない。
私たちは、ただあたえられた運命を無条件に受け入れて誕生してくるのである。

そうであるならば、自分の一生の幕を引くときぐらいは、
自分の意志を反映したい。
そう考えるのは傲慢なことだろうか。

(中略)

書店の店頭には、あきれるほど多くの自己啓発書が並んでいる。
運命を変えるのは、本人の努力であるとする立場で書かれた書物だ。

発想を変える。ちがった物の見方をする。
ちょっとしたヒントに気づけば、
人は運命を創り出すことができると説かれている本がほとんどだろう。

しかし、世の中には変えられるものと、
変えることのできないものがある。

もしこの世界に真理というものがあるとすれば、
それは黒か白かということではない。
黒でもあり、白でもある。
それが究極の答えではないか。

人は努力することで、自分の運命をつくりだすこともできる。
しかし、どれほど真剣に努力をしても、できないことはある。

世の中は善意にみちているか。
そうだ。人間の善意というものは必ずある。
私の中にもあるし、また他人の中にもある。

同時に、この世界が悪意にみちていることも事実だ。
私の心にどす黒い憎悪があり、
他人は他人に対してけだものにもなりうることを認めなければならない。

私は差別を憎む。
それでいながら自分の中に他を差別する心が宿っていることを否定できない。

 

 

2013年2月25日(月)

******************************
早川勝 3/18 新刊発売決定

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761268980/kankidirect-22/
「死ぬ気で働いたあとの世界を君は見たくないか !?」
(かんき出版)

予約受付中

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761268980/kankidirect-22/
書籍↓
http://tsuitel.in/books
メルマガ最新号↓
http://tsuitel.in
バックナンバー↓
http://tsuitel.in/a/back-number
フェイスブック↓
http://www.facebook.com/masaru.hayakawa2

E-mail:hayakawa@tsuitel.in
ご感想、配信停止はコチラ↑
******************************

早川勝メール【647号】プロ野球にとって 正義とは何か 落合解任と「プロの流儀」VS.「会社の論理」

2013-02-18

皆様
こんにちは。

ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ一斉配信しています。

花粉の季節がやってきました。

実は私も花粉症患者…。
ずっと「重症」でした。

以前、某大学病院の医師に相談をしたところ
「どんな治療をしても、ムダ!」と言われました。
いや、ホントに!(笑)

でも、ジムで鍛えて痩せたら
ほぼ自然治癒してしまいました…
不思議です。

さて、
あなたの「花粉症対策」は万全でしょうか?

えっ?!
「花粉症なんて私には関係ない!」
ですって??

そうですか。
でも、今までまったく大丈夫だったという人でも
ある日突然「ハックション!」と発病するのが
「花粉症」の恐いところ。

特に今年は去年よりも6倍の量の花粉が飛ぶらしいですから
気をつけないと…。
去年までは日本人の3人に1人の割合だった花粉症患者が、
今年は2人に1人に急増するらしく…。
ということは、
「俺は大丈夫!」「私は関係ない!」
と言っていた人のうちの4人に1人は
「花粉症デビュー」する計算になります。
油断大敵です。

ときどき、誰から見ても、花粉症の症状なのに、
「絶対に自分は花粉症じゃない!ただの風邪だ」
と言って認めない頑固者を見かけますけど(笑)

それもある意味「花粉症対策」の一つかもしれませんね。

花粉症歴35年におよぶ私の経験によれば、
最も効果的な対策…
それは、

「外出しない」

という『オタク生活』

ま、普通の人には無理な話ですけど(笑)

くれぐれも、マスクなどの「予防」をお忘れなく。

と、
私の前置きはこれくらいにして、

本日は、新たに「524冊目」のオススメ書籍から
抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

本日のテーマは
【リーダーの役割と評価】 です。

お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.524
「プロ野球にとって 正義とは何か」
落合解任と「プロの流儀」VS.「会社の論理」
手束仁著
イーストプレス

プロ野球チームの最大の目的は、勝つことである。
勝負の世界だから、勝たなくては意味がない。
少なくとも勝つことを目指していかない限り、
その存在意義がないといえよう。
しかし、その一方では、プロ野球ビジネスを運営する経営側の最大目的は、
勝つことはもちろん大事なことではあるが、
それ以上に大切なこととしては、
経営を安定して維持していくために儲けていくことであるという捉え方もある。
それはプロ野球球団が営利目的の会社である以上、当然のことである。
つまり勝つことと儲かることを並行して実現していくことができてこそ、
理想的なプロ野球球団のあり方ということになるのだ。

ところが、なかなかそうはいかないのが現実である。
阪神タイガースが驚異的な人気を博している背景には、
阪神が勝ち続けないからだということをいい切る人もいる。
「阪神は、勝ちそうでも、いつかどこかでずっこけるねん。
それで、また来年、ワシが応援したらな勝たれへんやろうなと思って、
それでまた必死になって応援したるねん。
ワシらもそれで楽しませてもらうんや。
その結果、何年かに一回優勝してくれたら、それがいちばんうれしいやろ」
熱心な関西の阪神ファンの声である。

極端なことをいえば、球団にとっていちばんいいのは、
毎年優勝争いをしていながらも、それでいて、ずっこけたりしながら、
何年かに一回優勝すればいいということになる。
そんな優勝であれば喜びも爆発するというものだ。
つまり、そんな状況を毎年維持していってくれることが、
本当のことをいうと、最も経営効率がいいのかもしれないのだ。

勝つことに慣れてしまうと、ファンにとっても、
それが当たり前のことになってしまう。
それは常勝軍団となった森祇晶監督時代の
1980年代後半から1990年代の西武にも、
落合監督時代の中日にも共通したところがある。
プロ野球経営にとって、
勝つことに慣れてしまうということも怖いことなのかもしれない。
事実、勝っても観客動員が増えていかない現実に、
当時の西武の堤義明オーナーも、
いくらかプロ野球の限界を感じていたところもあったようだ。
とくに、観客動員という点については、
直接的に数字として跳ね返ってくるところである。
新たな観客をどれだけ呼び込むことができるのか
ということが大きいともいえそうだ。

2011年の落合中日、かつての森西武と、
守り勝つ野球で常勝チームをつくりあげた指揮官が、
最終的には優勝を果たしながらも、
球団首脳からは翌年の契約をしないことを通告された。
ともに指揮をとった球団の生え抜き選手ではなかったのだ。
落合のあとを引き継いだのは高木守道、
森のあとを引き継いだのは東尾修だった。
いずれもそれぞれの生え抜きで、一時代を築いたスター選手である。
外様の勝てる監督から生え抜き監督へのバトンタッチ。

とくに中日の場合は地元メディアへの露出度も大事な要素となるだけに、
監督そのものの人気も大きな営業ツールとなる。
監督時代のプレーをイメージできるのかできないのか、
それだけでもファンからのイメージはかなり違うといわれる。
もっとも、実際には高木守道の現役時代の遊撃手へのバックトスなど
華麗なプレーをリアルタイムで見ていた人は、
もはや50歳を超えている世代であるが。
若い層のファンを開拓していきたいという方向性からすれば
逆行しているかのような印象も受けるところだ。

それでも高木が監督に就任したのは、
その次の世代を見据えてのことである。
つまり高木自身が次世代への引き継ぎ役として、
それを引き受けたということなのである。

その候補としては、二軍監督から一軍打撃コーチに昇格した井上一樹、
現役続行を宣言している山本昌、東北楽天から戻ってきた山崎武司、
それに華のあるスター選手だった立浪和義らがいる。
中日としては、将来的には立浪監督ということをイメージしているのだろうが、
選手兼任コーチは経験したが、
引退後はまだユニフォームを着ていない立浪には、
すぐには引き継げない事情もあるようだ。
女性問題などの身辺整理も含めて、それらが整ったときに、
新たな中日が誕生していくことになる。
球団側は、そんな絵を描いているのではないか。

(中略)

今後のプロ野球で起こりうる契約形態として考えられることは、
先の選手のインセンティブだけではない。
たとえば監督とも細かく契約を結ぶということである。

まずレギュラーシーズンだけの采配をする監督と契約。
そしてシーズンを勝ったとすれば、
あるいはクライマックスシリーズに進出を果たしたとすれば、
その戦力で短期決戦を戦っていく戦略に長けた監督と
「CS契約」や「シリーズ契約」をしていくというシステム。
そして、それに1勝いくらとか、
それぞれのインセンティブをつけていくというケースも十分に考えられる。

つまり、企業でいえば、
あるプロジェクトに際して外部スタッフを招聘して、
リーダーとして陣頭指揮をとってもらおうというスタイルに近い。

こうすればもっと監督の仕事としての役割が
明確になっていくということなのである。
こうすることによって監督の仕事は
与えられたコマで采配を振るうことだということが明確になる。

そして、そのために監督がしなくてはならないことも
はっきりしていくのではないだろうか。
監督は選手の個々の能力を把握して、
彼らをどのように起用していくのか、
彼らにどんなポジションを与えていくのかということを、
よりはっきりさせていくのである。

もっとも、歴史を積み重ねながら
営々と築かれてきた日本のプロ野球の世界である。
果たして、そんなスタイルが取り入れられるのかどうかわからない。
ただ契約を優先していくということになるのであれば、
その可能性もあるということの例として示したものである。

選手はその技術を示すために努力を重ねる。
そして監督はその技術をどの場面で
どのように発揮させるのかということを考える。
さらにコーチはそうした選手の潜在能力を引き出すことに終始する。
そうなったとき、監督の仕事は勝つことであり、
「勝つことが最大のファンサービス」という言葉が、
より生きてくるのではないだろうか。

落合は、もしかしたら時代の流れに対して
早すぎた監督就任だったのかもしれない。
それが監督としての仕事を完遂したにもかかわらず、
その評価を「会社」から
100パーセント満足した形で得られなかった原因ともいえるのではないか。

就任8年間でリーグ優勝4回、日本一1回、
采配を振るったすべてのシーズンでAクラス以上という実績を残しつつ、
優勝を果たしたシーズンに周囲の目から見ても不可解な監督解任。

落合中日の8年間は、
これからのプロ野球の将来を考えていくうえでは、
球界関係者はもちろん、ファンにとっても、
いろいろ考えるべきことが見えてきた8年間といえるのではないか。

2013年2月18日(月)

******************************

早川勝 3/18 新刊発売決定

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761268980/kankidirect-22/
「死ぬ気で働いたあとの世界を君は見たくないか !?」
(かんき出版)

予約受付中

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761268980/kankidirect-22/

 

書籍↓
http://tsuitel.in/books
メルマガ最新号↓
http://tsuitel.in
バックナンバー↓
http://tsuitel.in/a/back-number
フェイスブック↓
http://www.facebook.com/masaru.hayakawa2

E-mail:hayakawa@tsuitel.in
ご感想、配信停止はコチラ↑
******************************

早川勝メール【646号】いじめに負けない心理学

2013-02-12

皆様

こんにちは。

ご縁があって名刺交換させていただいた方々へ一斉配信しています。

3連休明けましておめでとうございます。
「やる気満々の朝」を迎えていることと存じます。

さて、
今週は、バレンタインデーですね。

ところで皆さんは、
「バレンタインデー症候群」って…、
知っていますか?

恋の予感にときめいて、胸が苦しくなる…
あの「恋の病」ではありませんよ(笑)

まじめな話、
例年、2月14日のバレンタインデーの直後に、
じんましん、ぜん息発作、おう吐、腹痛、頭痛、湿疹などで、
医師の診察を受ける人が急増しているらしいではないですか!

どうやら、チョコレートの食べ過ぎが原因とのことですが…(笑)
その症例のことを
「バレンタインデー症候群」
と呼んでいるんだとか。

実は私も、
昨日の新聞を読んではじめて知ったのですが…、
その専門家からの情報によりますと・・・、

チョコレートは「カカオ」の実からつくられるわけです…。
(それはみんな知っていますよね?)
昔は、神経の興奮剤や性欲増強剤として使われていたカカオの実。

そのカカオに含まれている『成分』が
チョコにも含まれています。

まずは「チラミン」という成分。
摂取直後に血管が収縮し数時間後には急激に血管を拡張させます。
そのため「ズキン、ズキン」と偏頭痛が起きることがあり、
鼻の粘膜が腫れ「鼻血」が出たり、
腸の粘膜が腫れて「おう吐や下痢」などを起こすこともあるそうです。

次に、微量ですが金属の「ニッケル」も含まれています。
ピアスやベルトの金具で湿疹を起こす金属アレルギーの人は、
チョコレートを食べると「湿疹」がひどくなることもあるんだとか。
重症化するとアナフィラキシーショックで「命の危険」もあるらしいので
油断できませんね。

さらに、「テオブロミン」という成分も含まれていて、
これは気管支喘息の治療に使われる薬と似ている成分で、
多量に摂取すると「興奮、吐き気、頭痛」などが出やすくなるそうです。

チョコレートには「カフェイン」も含まれていているので、
「不眠症」になることも。

そもそも男性の多くは、
普段からチョコレートを食べる習慣がないんですから、
プレゼントされたチョコレートに舞い上がって、
食べ過ぎないよう、くれぐれも注意してくださいね!(笑)

でも、
「バレンタインデー症候群」になるほどモテモテだってことは、
ある意味「幸せ」なことかもしれませんね。

それでは、
ハッピーなバレンタインデーを
お迎えください(*^_^*)

と、
私の前置きはこれくらいにして、

本日は、新たに「523冊目」のオススメ書籍から
抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

本日のテーマは
【いじめ恐喝者との人間関係】
です。

お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.523
「いじめに負けない心理学」
優しい気持ちを持ち、努力して生きてきた。なのに、幸せになれない――
加藤諦三著
PHP研究所
定価500円(税込)

譲ってもいいもいい関係と譲ってはいけない関係を
きちんと把握する

誰にでも「ハイ」と言っていい顔をしていると、
相手になめられるだけでなく、
相手の欲求が日増しに増大してくる。
そしてその欲求をかなえることが相手にとってもこちらにとっても
当たり前のことになりかねない。
私たちは人間関係で、何事にも「ハイ」と言うことは
問題を解決することではなく、
時に問題を大きくしてしまうことだと知らなければならない。
人間関係での従順は、時にトラブルを大きくすることになる。
従順な人はそのことに気がつかない。
人間関係には二種類あるということを
ハッキリと自覚することである。
問題が起きた時に、相手に譲ることで問題が解決する人間関係と、
譲ったら問題が大きくなる人間関係とある。
苛める人は、相手を苛めているうちに、
相手が苛められるのを当たり前と思い出す。
つまり自分の苛めを酷いこととは思わなくなる。
苛める子供は、苛められる子供は苛められるに値すると、
信じるようになるという。
それが苛める子供の性格特性だという。
これは大人の場合でも同じであろう。
逆に苛められる人は、自分が苛められるのは当たり前と思い出す。
自分は苛められるような人間だと思い出す。
つまり苛められる子供は苛めを受け入れ出す。
それが苛められる人の性格特性である。

人間には苛める人と苛められる人といる。
人を苛めるような人とトラブルが起きた時に、
譲ればトラブルは大きくなる。
苛められる人は譲ったと思っているかもしれないが、
苛める人は次の時には、前回は譲られたとは思っていない。
前回の事は当たり前の事と思い出す。
人は、うまくいった行動を繰り返し、
各人の性格はそれ自体安定したものとして、現在の傾向を続ける。
とアメリカの精神科医ジョージ・ウエインバーグは言う。
それを性格特徴の同一性の維持という。

彼はまた、ある行動を選択するということは、
その背後ある固有の世界観を正当化するとも言っている。
その世界観が正しいものだと人に告げるのだという。
苛める人はまさにジョージ・ウエインバーグが言うように、
自分の苛めを正当化しているのである。
だから苛められた時には、
どんな小さな苛めでも苛めを受け入れてはいけない。

結論は、苛められた時「今を逃げてはいけない」ということである。
苛められる人は、今、問題を解決するのが辛いから、
ついつい理由を付けて解決を先に延ばす。
今日言わなければならないことを、
理由を付けて一年後に言うことにする。
問題の解決を先送りにすると、問題はもっと大きくなっている。
逃げるとは、今解決すべき事を今解決しない事である。
目的が定まって待つのはいいが、
目的がなくて、刹那的に今を生きると
最後には大きな人間関係のトラブルを起こす。
「まー、いいだろう」と目を閉じた時に大きな事故が待っている。
車を運転していて、ここらへんは安心だからいいだろうと目を閉じると、
事故が起きる。
眠くなった時には寝る。
あとで寝るのではない。今寝るのである。
「あとで、あとで」が事故の元である。
大きな企業でも、個人の人生でも、
今を逃げて、問題を先送りするから破滅するのである。

(中略)

感情的恐喝をする人は悪質な人と考えていい。
愛の仮面をかぶった悪魔なのである。
もしかすると最も悪質な人々かもしれない。
悪魔が悪魔として登場すれば人々は悪魔に対応する。
しかし感情的恐喝は「愛と正義」を唱えて、人を搾取するのである。
見えない搾取に人々は苦しめられている。
「愛と正義」を唱えられるから、
人々は感情的恐喝に抵抗できないのである。

「愛と正義」を唱えながら人を搾取する人は、
形の上でおいしいものを食べさせて、
相手を殺してしまうようなものである。
証拠なき殺人である。
本当に悪いことをする人は、「いい人」として人前に現れる事が多い。
あなたに何か悪いことをたくらんでいる人は、
あなたの前には「いい人」として現れる。
けっして悪人としてあなたの前に現れない。
人を落とし穴に落とそうとする時には、優しくそこに連れていく。

アメリカのホームレスの女にお金を巻き上げられた日本の男がいる。
「いい人」が悪い人かは、時間がたたなければわからない。
神経症の人には真にいい人とそうでない人の見分けがつかない。
その時、その場で都合のいい人になってしまう。
しかしだからといって、感情的恐喝をしつつ人を搾取している人は、
長い人生でどこかで躓く。
イソップ物語に「ワシとキツネ」という話がある。

ワシとキツネは、仲良くしていたのであるが、
もっと仲良くなるために、一緒に家を持つことになった。
ワシは高い木に巣をつくり、
キツネはその下の草むらで子供を生む。
ある日、キツネが餌をさがしに出かけたあと、
ワシは食べ物がなくなったので、
草むらのキツネの子供たちを自分の子供に食べさせてしまった。
キツネは帰ってきて、そのことを知る。
自分の子供たちの死を悲しむよりも、かたきを取りたかった。
そこで、遠くから機会を伺っていた。
それからしばらくたった時である。
人々が畑でヤギを殺して神々にささげていた。
ワシは、その祭壇から火のついているはらわたをさらって、
巣に運んで来た。
そこに風がふいて巣が燃えあがり、
ワシの雛は、焼け落ちた。
キツネは、ワシの見ているところで、その雛を全部食べた。

うまい味を知っても、天罰が来る時には天罰が来る。
得したか、損したかはその場ではわからない。
やったら必ずやられる。
ビジネスマンでも、やられた時は悔しがることはない。
自分を陥れて出世した奴は、きっと先で躓く。

それともうひとつ、この物語が教えていることは、
自然と時間をかけて仲良くなるのではなく、
「仲良くなろう」と言って仲良くなることの危険である。

2013年2月12日(火)

******************************
早川勝 3/18 新刊発売決定

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761268980/kankidirect-22/
「死ぬ気で働いたあとの世界を君は見たくないか !?」
(かんき出版)

予約受付中

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761268980/kankidirect-22/

 

書籍案内↓
http://tsuitel.in/books
ホームページ↓(最新号)
http://tsuitel.in
バックナンバー↓
http://tsuitel.in/a/back-number
フェイスブック↓
http://www.facebook.com/masaru.hayakawa2

E-mail:hayakawa@tsuitel.in
ご感想、配信停止はコチラ↑
******************************

早川勝メール【645号】日本的思考の根源を見る 新渡戸稲造 武士道

2013-02-05

 

3月発売の新刊ですが…
ついに、〝(仮)〟のままだった「タイトル」が
編集会議にて正式に決定致しました!

構想50年、製作期間1年、実質執筆期間1ヶ月(笑)、
人生のすべてを賭け、
〝磨きに磨きをかけた〟文章の芸術が…
今ここに「自己啓発書の歴史を塗り変える入魂の一冊」
として結実いたしました!
(ちょっと言い過ぎかっ!笑)

そのタイトルとは…、

「死ぬ気で働いたあとの世界を君は見たくないか !?」

です。

〝ベストセラー〟を連発させてきた凄い実績を持つ
「かんき出版」の〝天才編集者〟の発案により
最終決定に至りました〜!

内容については、
そのうちにまた〜(^^♪

と、
私の前置きはこれくらいにして、

本日は、新たに「522冊目」のオススメ書籍から抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

最近、「武士道ブーム」ですが、
『新渡戸稲造の武士道』は、ご存知でしょうか?

「五千円札のオジサンだった人でしょ?」
という程度の認識の人もいるかもしれませんね。

渡米中の新渡戸稲造が英語で書いた「武士道」の原題は
「The Soul of Japan」
欧米各国で翻訳され、世界的なベストセラーになったそうです。

かつて、映画「ラストサムライ」で
トム・クルーズが参考書にしたことでも有名な一冊ですよね。

今でもヨーロッパの書店に並んでいる武士道のスタンダード。

 

『忠義とは、追従ではない。
“名誉” を求める心である』

 

本日のテーマは
【日本人の精神】 です。

お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.522
「新渡戸稲造 武士道」
山本博文著
NHK出版

 

新渡戸は『武士道』のなかで、
在日二十年になる知人の宣教師夫人から聞いたという
「おそろしくおかしい」話も紹介しています。

あなた(宣教師夫人)は照りつける暑い日射しのもと、
日傘もささずに戸外にいる。日本人の知り合いが通りかかる。
あなたは彼に挨拶する。すると彼はすぐに帽子をとる。
――よろしい、これはきわめて自然なことである。
しかし、彼が、あなたと話している間じゅう、自分の日傘を下ろして、
照りつける太陽のもとに立っているというのは、
「おそろしくおかしい」行動である。(第六章)

なんとばかげたことだろう、彼は日傘をさせばいいではないか、
というのが欧米人である宣教師夫人の言い分です。
これに対して新渡戸は日本人の知り合いになりかわって説明します。
「私は炎天下にいるあなたに同情する。
私の傘が十分大きければ、あなたを入れてあげることができるが、
小さくてそれができない。
だから、せめてあなたの苦痛を分かち合いたい 」

――こう彼は考えているのだ、と。
つまり日本人は、
「他人の気持ちを思いやる心のあらわれ」としての「礼」、
「泣く者とともに泣き、喜ぶ者とともに喜ぶ」という「礼」
を体現しているのです。
このエピソードは明治になってからのものですが、
しかし前代からの武士の徳目は今も生きていると新渡戸は言いたげです。
また新渡戸は、こんな習慣のちがいについてもふれています。

アメリカにおいては、贈り物をする時、
贈る側は受け取る人にその品物を褒めそやす。
しかし、日本ではこれを軽んじたり、悪く言ったりする。(第六章)

このちがいについて、新渡戸はこう解釈します。
アメリカ人は、「これは素晴らしい品物です。素晴らしいあなたには、
素晴らしい品物以外を贈るのは無礼です」と考え、
これに対し日本人は、「あなたは素晴らしい人です。そんなあなたには、
どんな品物もふさわしくない。この品物を、物そのものの価値ではなく、
ただ私の好意のしるしとして受け取ってください」と考える、と。
もちろんこれは新渡戸も言うように、
アメリカ人は物の面から言い、日本人は気持ちの面から言っているだけで、
結局のところ同じ考えです。
ただ、表し方がまったくちがっている。
アメリカ人が好意を「主張」するのに対し、
日本人は好意を「謙譲」の形で表現する。
新渡戸によれば、謙譲は仁とともに
「礼」という徳を発生させる基にあるものなのです。
さらに新渡戸は、ビーリー博士というアメリカ人が書いたこんな記述を取り上げます。

もし普通の日本人に、嘘をつくのと無礼であるのとどちらがましであるかと尋ねれば、
日本人はためらわず「嘘をつくこと」と答えるだろう。(第七章)

この考えについて新渡戸は異議を唱えます。
ビーリー博士は、「嘘」という日本語をfalsehood(虚偽)と訳して、
あまりに重い意味をおいている。
「嘘」は、真実(マコト)でないということのほかに、
ただ事実(ホント)でないことを示すときにも使われる。
日本人に、彼があなたを嫌っているかどうか、
彼が胃病であるかどうか尋ねてみれば、
彼がためらわずに「私はあなたが好きだ」とか
「私はとても元気です」などと、「嘘」の答えをするだろう。と。

新渡戸の言うとおりで、この場合の日本人の「嘘」は、相手を不愉快にさせないため、
あるいは心配をかけさせないための〝考えられた嘘〟。
「嘘も方便」という諺は、まさにそのような嘘が時には必要であることを言っているのです。
さて、欧米人と日本人の考え方のちがいを比較したこれらの事例を通して、
見えてくる武士像とは、どのようなものでしょうか。
それは、他者を尊重してその気持ちを思いやり、
いつも謙譲の態度で接し、対立をできるだけ避けようとする人間です。
意外なことに、いわゆる戦闘者としての武士のイメージとはまるで正反対ですが、
じつはこれが戦闘というもののない江戸時代に生きる武士のじっさいの姿だったのです。
この時代、自分の感情をあらわにして相手に嫌な気持ちを起こさせることのないよう、
自らを常に抑制して生きることが武士の教えでした。

(中略)

 

『武士道』は、この赤穂浪士の行動についてふれて、こう言っています。

常識は、武士道に、ある種の倫理的平衡感覚を保つための裁判所として、
敵討の制度を与えた。
そこでは通常の法によっては裁けないような事件を訴えさせるようにしたのである。
赤穂四十七士の主君は切腹を命じられた、
彼は、控訴する上級裁判所を持たなかった、
彼の忠実な家来たちは、当時存在した唯一の最高裁判所である復讐に訴えた、
そして彼らは、法によって罪の宣告を受けた。
――しかし、民衆の本能は違う判決を下した。
それゆえに、四十七士の記憶は、
泉岳寺に残った彼らの墓に今の至るまで香華が絶えないのと同じように、
芳香を放っているのである。(第十二章)

ここで新渡戸は、
敵討(=復讐)を
「人間が持って生まれた正確な平衡感覚と平等な正義感」
の立場から肯定し、共感しています。
いわば喧嘩両成敗の論理に立っています。
この論理が、おそらく多くの人を納得させる常識的で妥当な論であることを認めたうえで、
私は前章の末尾にあげた観点をもう一度、述べてみたいと思います。
武士の論理を考えるうえで、私は、「義理」(義)と並んで、
「一分」という言葉で表現される観念をとても重要なものだと考えています。
「義理」とは、人として、武士として踏み行うべき道。
つまり武士の道徳としての倫理的に要請される規範です。
これに対して、「一分」とは何よりも、
「この自分の気持ちがすまない」という個人の心の動き、
やむにやまれぬ感情、面目といった、
道徳的というよりもっと個人の心に即した内面的規範です。
そして、この規範は、外部に対してはこの上なく強固な「名誉意識」として表れ、
「一分が立つためには、何が何でもやりとおす」
という武士の行動を規定する原動力となるのです。
そしてそれは、武士としての生き方に直結してきます。
その意味で、赤穂浪士の行動は、喧嘩両成敗という正義が実現されていない以上、
「上野介を生かしていては自分の一分が立たない」
という内面的規範・名誉意識によって、よりよく説明できると思います。
主君浅野内匠頭に対する忠義も、すでに強制する主君も藩もないのですから、
それぞれの個人の名誉意識から生まれた行動だと考えるのが自然だと思うのです。
さて、上野介を討って「一分」を通した以上、
そしてそれが、すでに下した幕府の裁定を実力で覆すという大罪である以上、
赤穂浪士の面々は、斬罪になることを当然覚悟していました。
だから、幕閣が悩んだ末に「切腹」という破格の寛大な処置を下したことは、
彼らにとって掛け値なしにありがたいことでした。
一分を貫いたうえに、名誉まで与えられたのだから、当然です。
世論は、本懐をとげ従容として死につく彼らを惜しみました。
こうして四十六士(討ち入り後に抜けた寺坂吉右衛門を除く)は、
ある時期までの日本人の理想となり、
彼らが死に赴いた手段である切腹もまた、
すぐれた武士のあるべき死に方として美化されることになったのです。

 

2013年2月5日(火)

******************************

早川勝 3/18 新刊発売決定

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761268980/kankidirect-22/
「死ぬ気で働いたあとの世界を君は見たくないか !?」
(かんき出版)

予約受付中

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761268980/kankidirect-22/

 

書籍案内↓
http://tsuitel.in/books

ホームページ↓
(メルマガ最新号↓)
http://tsuitel.in

バックナンバー↓
http://tsuitel.in/a/back-number

フェイスブック↓
http://www.facebook.com/masaru.hayakawa2

E-mail:hayakawa@tsuitel.in
ご感想、配信停止はコチラ↑
******************************

Copyright(c) 2010 HAYAKAWA, Masaru All Rights Reserved.