2月, 2009年

早川勝メール【458号】死にゆく者からの言葉

2009-02-27

こんにちは。

ご縁があって名刺(アドレス)交換させていただきました840名の方々へ
一斉配信しています。

日航ジャンボ機
御巣鷹山墜落事故被害者、
当時大阪商船三井船舶神戸支店長
河口博次氏(52歳)が、
死の直前に手帳に書きとめた遺書。

↓↓↓↓↓↓↓
マリコ  津慶  知代子
どうか仲良く がんばって
ママを助けて下さい
パパは本当に残念だ
きっとたすかるまい
原因はわからない
いま五分たった 降下しだした
どこへどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ
もう飛行機には乗りたくない      どうか神様たすけて下さい
きのうみんなと食事したのは 最后とは
何か機内で 爆発したような形で
煙が出て
ママ こんなことになるとは 残念だ
さようなら
子供達の事よろしくたのむ
今六時半だ
飛行機はまわりながら
急速に 降下中だ
本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している

↑↑↑↑
愛する家族への最後のメッセージ。
私はこの父親の気持ちを思うと泣けてきます。
涙が止まりません。
皆さんはどんな思いでこのメッセージを読みましたか?

もしも、あなただったら、
墜落する直前になんと書き残しますか???

・・・と前置きはこれくらいにして、
今回もまた…
「私の本よりためになるお薦め書籍シリーズ・全400冊」の中から
好評だったバックナンバーをお届けいたします。
本日のテーマは…
【幸福のいる場所】です。
お役に立てれば幸いです。
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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.16
「死にゆく者からの言葉」
鈴木秀子 著
文春文庫

幸福のいる場所

一人の女性が泣いているのが目につきました。
私はそのとき、壇上にいて、「命の大切さ」という市民大学の講演を行っていまし
た。
その女性は、身なりも顔立ちも派手な印象でした。
しかし、だれ一人として泣いてなどいないなか、彼女はハンカチひとつ使おうとせ
ず、
涙をあとからあとからこぼしつづけています。
そして私の顔をジーッと見つめたまま、身動きもせず、話に聞き入っています。
前から三番目に座っている彼女の姿は、否が応でも目に入ってきます。
「きっと思い当たることもあるのだろう」
私は、そう思いながらも講演をつづけました。

(中略)

今日の話を聞けてほんとうによかった、と彼女はつづけました。
そして涙がこぼれたわけを、こう語りました。
「実を申しますと、私の体のなかは洞窟も同じなのです。これまで八回、大手術をし
ました。
子宮ガンから始まり、胃ガン、腸ガン・・・・・、転移して次々と大手術を繰り返したのです。
こんなカラッポの体でね、どうして生きているのかお医者様からも不思議でたまらな
いと言われています。
ともかく体のなかには何もないんですから。
ではなぜ、私がこうして元気で生きていられるかと申しますと、
実は私には精神障害の息子がいるからなんです」
彼女は、その子が生まれてまもなく夫と離婚したのです。
寝たきりのその息子は現在二十歳ですが、幼児程度の会話しかできません。
彼女を必要としている息子のため、彼女は一度目の手術以来、医師にも周囲からも見
放されながらも、
手術しては生き返り、また次の手術をしては生き返り、ついには働けるまでになりま
した。
「勤めを終えて家に帰りますとね、息子は布団のなかからじっと私を見つめ、
子供のように顔をほころばせて、それは嬉しそうに手足をバタバタさせて喜ぶんで
す。
私も元気とはいうものの、大手術を重ねましたから、
お天気が悪かったり、重いものを持ったりすると体が動かなくなることもあります。
でも息子の、ほんとうに喜びを満面にした顔をみると、一日の苦労が吹っ飛ぶんで
す。
これまで死ぬほどの重病にとりつかれましたけど、
『この子を残しては死ねない』この一心で生きつづけてきました。
そして、『あの子が家で待っている、私を待っている。
私が生きていなければ、あの子は生きていかれないんだ』って、
それだけしか考えませんでした。病気のことを考えている暇なんかなかったんです。
そして絶対に生きる。病気がどんなであろうと、お医者様が死ぬと言おうと、
私は『生きる』と決めたんです。
子供が生きている限り、私は生きるんだって。
これが、病気になっても、病気とは関係なく生きつづけられる原因なんです」
いつでもニコニコと迎えてくれる子供の顔を見るたび彼女は、
「生きていてほんとうによかった」と思うのだと言います。そして、
「お話を聞いていて、幸・不幸というものは、
世間一般に考えられているようなことではないんじゃないかと改めて思いました。
このような息子を持つ、ボロボロの体の私でも、こうして幸せを感じることができる
んですから」

私は講演のなかで、幸・不幸というものは客観的にはかり知ることはできないのだ、
また、苦しみの極みを積極的に受けとめ、生きぬくとき、
苦しみは、生きる深いよろこびをもたらしてくれる、と話したのでした。

私の知人の家では、五人の子供に恵まれたものの、五番目の息子は身体障害者でし
た。
しかも、知能の遅れもともなっています。世間的にみればさぞかし大変であろうと思
われがちなのですが、
真一君というその子のおかげで、家族中が大変な仲良しでした。
というのも彼らは、「ただいま」の次に必ず、「真ちゃんどうしてる?」と声をか
け、そしてその部屋に入るなり、
「今日ね、こんないい話があったんだよ」
と報告するのを日課としていたのでした。
ちょうど花束を持って帰るように、家族の一人ひとりが、いい話を必ず一個ずつ持ち
寄ったのです。
その子は残念ながら、それらの話を十分には理解できません。
しかしわからないながらもニコニコと、まるですべてを理解しているかのようにほほ
えんで聞いていました。
そのためその子の父親も母親もきょうだいたちも、今日はあの子に何を話そうかと、
まるで花を摘むようにいい話を探さずにはいられないのです。
そうすると厭なことに気を取られなくなり、長年のうちにそれぞれが、日常の平凡なことのなかから、
毎日毎日宝物を探すようにいい話を探す習慣を身につけていきました。
家族中がその子を喜ばすことで結束し、
仲のよい暮らしの中からいいものを見いだす目が育てられてきたのです。
「あの子はわが家の宝物。宝の花をひきつける存在です」
それは知人の自信にあふれる声でした。

中年の女性は、自分の家もまさにそういうことであったのだと語りました。
「私の息子もほんとうに、そのお子さんのような存在です。そのお子さんが宝の花を
ひきつけるのなら、
息子は命を湧きあがらせてくれる存在なのです。
ですから本来ならばとっくになくなっているはずの私の命も、息子の喜ぶ顔を思い出
すたびに、
私の中で生命が湧きあがってくるのです」
息子は、生まれてすぐ、三年生きられればいいだろうと宣告されたのでした。
それがその年の一月十五日に二十歳を迎えることができました。
「その日、お赤飯を炊きましてね、ささやかでしたけど祝ってあげたんです。
そうしましたら息子が、私の顔をじっと見つめて、『お母さん、ありがとう』って
言ってくれたんです。
息子はただ、祝ってくれてありがとうっていうつもりだったんでしょうけど、
私にはまるで、自分を成人まで育ててくれてほんとうにありがとうって言っていたよ
うに聞こえてなりませんでした」
彼女はしみじみつぶやきました。
「お礼を言うのは自分の方です。本来なら死んでいるはずの自分を、
あの子は無垢な笑顔を向けてくれることによって、生命を湧きあがらせてくれます。
ほんとうにありがたいことです」
彼女は最後にしみじみとそう言いました。

その女性から便りが届いたのは、それからしばらくしてからのことでした。
あの息子さんが、亡くなったという知らせでした。しかし、文面には、
「私は幸せなことに、こうしてまだ生かされております。
あの子の笑顔が、しあわせに生きてゆくようにと呼びかけているのです」
と書かれてありました。
私たちは、辛いこととか、いやなことが何ひとつなく、
物事が自分の思い通りにいきさえすれば幸福であると考えがちです。
しかしもっと深い幸福があると思うのです。
辛いことや思い通りにいかないこと、そういった状況のなかにこそ、
見る目がある人にとっては、通常ではみられない幸せというものが存在しているので
はないかという気がします。
こういう話を聞く時や、医学的には考えられないのに、
重い病状にもかかわらず元気で明るく生きている人達に接する時に、
私は、ムスターカスの次の言葉を思い出します。
「もし悲しみがその人自身のものとして受け入れられ、その人の存在の中核で感じと
られるならば、
そのとき、苦しみは他の人間や、すべての生きるものへの情けへと成長する。
苦しみによって心が開かれ、悲しみの中から陽気さと歓喜の新しい感情が起こってく
る」

「幸せに生きていくように」
この言葉は、すべての親が、わが子の誕生に際して持つ望みであり、
死に行く時のわが子への最後の言葉なのではないでしょうか。

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早川勝メール【457号】両手いっぱいの言葉

2009-02-23

こんにちは。

ご縁があって名刺(アドレス)交換させていただきました837名の方々へ
一斉配信しています。

寒いなぁと思ったら、
外は雪が降っていますね。
すごい雪です。
お出かけの方はお気をつけて…。
営業職など、外回りの方は大変ですよね…、
こんなドカ雪の日は…。

そこで、こんな雪の日に私は考えました。

うちの営業社員たちは外で凍えながら仕事しているのに、
私だけ暖房のきいた部屋でぬくぬくしていては申し訳ないと思い…、
新たに自分を追い込む15項目の改革案を断行することを決意しました。
本日より、
「15のCHANGE」です。
大したことではないのですが…、
たとえば、
8時まで出勤…とか。
(朝礼は9時からですが…)
25年来の趣味である競馬をキッパリとやめる…とか。
思うところあって、個人的にいろいろと決意しました!

日本生命恵比寿GLADとしても、
年度末の3月を迎えるにあたり…、
「15の改革案」を実行に移しているところなのですが、
組織を預かるものとして、
その組織を進化させるためには、
まず私から…と思い、決意しました。

いや~、なかなか新鮮ですよ。
生まれ変わった感じがします。
驚きです!

残りの13のCHANGE、知りたい方は個人的にご連絡ください。

・・・と前置きはこれくらいにして、

今回もまた…
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お役に立てれば幸いです。
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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.149
「両手いっぱいの言葉」413のアフォリズム
寺山修司 著
新潮文庫

蝙蝠傘は、世界で一ばん小さな、二人のための屋根である。
――青蛾館――

地球

この世界では、まっすぐの道はすべて迷路なんだ。

なぜなら、まっすぐの道は、どこまでも歩いてゆけば、必ずもとの場所に戻ってく
る。

何しろ、地球は球体をしているからね。

――カタツムリの笛――

現実

われわれは、イメージの中で一度経験したことしか現実を近づけない。

したがって、事実とは、つねに二度目の現実の別称である。
――臓器交換序説――

疑問符

おれたちは空から鳥が落ちてくるのを見たことがないのは、どうしてなんだろう。

あれだけ沢山の鳥が空に棲んでいるのだから、

たまには死んだ鳥が落ちてきたってよさそうなもんじゃないだろうか?

――伝記・若き日の啄木――

変身

旅行であれ、出立であれ、行く先のある者は、幸福である。

変身は、行く先をもたないもの、目標をもたないものの、

ぎりぎり追いつめられた居直りなのだ。
――さかさま世界史――

母性愛は美しいという発想は非常に危険だと思う。

自分の息子のために命がけでやる母親というのは、

他人の息子のためには命がけでやらないということと裏腹になっている。
――浪漫時代――

人生

競馬は人生の比喩だと思っているファンがいる。

彼らは競馬場で、薄っぺらの馬券のかわりに「自分を買う」のである。

だが、私は必ずしも「競馬は人生の比喩だ」とは思っていない。

その逆に「人生が競馬の比喩だ」と思っているのである。

こり二つの警句はよく似ているが、まるでちがう。

前者の主体はレースにあり、後者の主体は私たちにあるからである。
――馬敗れて草原あり――

快楽

悪口の中においては、つねに言われている方が主役であり、

言ってる方は脇役であるという宿命がある。
――人生なればこそ――

革命

卑怯者ってのはね、きみが何をしたか、ってことで決まるんじゃなくて、

きみが何を後悔してるかってことで決まるんだよ。
――血は立ったまま眠っている――

希望

私はときどき“一点豪華主義”ということを考えるのです。

一点豪華、花火の人生。

たとえば、ゴキブリのはいまわる暗いじめじめした三畳の安アパートに住みながら、

車だけはポルシェやマセラッティを乗りまわす男。九日間をパンと水だけですごし
て、

最後の一日を高級レストランで蛙料理や上等肉のステーキに舌つづみを打つ男。

賭博でころがりこむ、思いがけずころがりこむ一年分の給料より多い札束!

私には“あす何が起こるか?”わかってしまってあすまで生きる人よりも、

“あす何が起こるかわからないからあすまで生きてみる”人のほうが、

人間らしいと思うことがあるのです。
――さかさま世界史――

幸福

出会いに期待する心とは、いわば幸福をさがす心のことなのだ。
――幸福論――

言葉

「言ひわけ」と言ふ言葉がいつも安いのは、口のなかで弄ばれるあまり、

歯型、口臭、それに歯のあひだにつまったチーズの切れはしなどがくっついてゐるか
らでござゐます。
――絵本。千一夜物語――

なみだは人間の作る小さな海です。
――人魚姫――

人間

酔うと、どんな人間でも人恋しくなってくる。

野生の血よりは、ふだん忘れていた人間的なつながりを思いださせてくれたりするの
である。
――人生なればこそ――

ぐちを言っている女の子が、美しく見えたなんてことは一度もありません。

本当に物事の仕組みを考え、その矛盾を追及しようという女の子と、

物事がうまくいかないのはいつも何かのせいだと思ってぐちを言っている女の子とは

根本的に違うことを知るべきでしょう。

ぼくは、こんなことってあるのかな?と物事を素直にうけとめ、

ほほえみで応えられるような強さをもった女の子が好きです。

つまり、それが、やさしさというものの本質だからです。
――ぼくが狼だった頃―

人間は、中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。
――映画「百年の孤独」――

真実

このところ、私は二匹のカメを飼っている。

一匹が質問という名で、もう一匹が答えという名である。

問題は、答よりも質問の方がはるかに大きいことであり、

たずねてきた友人たちは「質問が答よりも大きいというのは、どういうことだ?」と
訊くことになる。

そこで、私は答える。「質問はかならず、答をかくまっているからね、その分だけ大
きく見えるだけさ」
――月蝕機関説――

賭博

賭けない男たち、というのは魅力のない男たちである。

彼らは、つねに「選ぶ」ことを恐れている。

そして賭けないことを美徳であると考えて、他人並みに生きることを幸福であると考
えている。
――誰か故郷を想はざる――

ホントよりも、ウソの方が人間的真実である、というのが私の人生論である。

なぜならホントは人間なしでも存在するが、ウソは人間なしでは、決して存在しない
からである。
――さかさま世界史――

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早川勝メール【456号】コーチングのプロが教える「ほめる」技術

2009-02-20

こんにちは。

 
ご縁があって名刺交換させていただきました835名の方々へ
一斉配信しています。

今回の抜粋文章はロングメールにつき「前置きはありません」

という前置きはこれくらいにして・・・、
「お薦め書籍・全400冊」の中から
好評だったバックナンバーをお届けいたします。

本日のテーマは
【承認すること】
お役に立てれば幸いです。

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.379
『コーチングのプロが教える「ほめる」技術』
鈴木義幸著
日本実業出版社

アクノリッジメントという言葉を英和辞書で引くと、
「承認すること」と書かれています。
この「承認」とは何でしょうか。
「ほめる」というのも、当然この承認の中に含まれます。
それ以外にも、声をかける、挨拶をするといった何気ない日常のやり取りにいたるまで、
「私はあなたの存在をそこに認めている」
ということを伝えるすべての行為、言葉が承認にあたります。
それが英語ではアクノリッジメントなのです。
さて、なぜ承認という行為はそれほど大事なのでしょう。
ビジネスの世界でも、部下をきちんとほめ認めることは、
上司として必ず実践する必要のあることだと、
ほとんどのリーダーシップ論、マネジメント論に書いてあります。
子育ての本を読んでも、親は子どもをまずほめてあげて、と出てくるし、
学校の先生は教育論概論といった類の講義の中で
生徒を認めることは重要であると習います。
おそらく、感覚的にはそれがなくてはならないことだと誰しもわかっているでしょうが、
改めて考えてみると、どうして承認したほうが良いのでしょうか。
「認めればそれだけ部下はやる気になりますから」
もちろんそうですよね。認めるという行為はやる気に大きく寄与します。
ではなぜ人は認められるとやる気になるのでしょうか。
「そんなのあたりまえじゃないか」
そう、ほとんどの人が経験的に、認められればやる気になることを知っています。
「認められればうれしいですからね」
そのとおりですよね。認められれば気持ちは昂揚します。それではなぜ認められると、
うれしいという感情が人という生体の中に発生するのでしょうか。
これも冷静に考えてみると不思議なことではないでしょうか。
たまに「いや、俺は人から認められなくても、自分に自信があるから」
なんていう人がいます。
周りにそういうことをいいそうな人がいたら、ちょっと顔を思い浮かべてみてください。
そういう人に限って、その声と表情の裏に
「自分のことを認めてほしい、ほめてほしい」という切実な願いが見て取れたりします。
やはり人は「他人」からちゃんと承認されたいものです。
人は太古の昔から、協力関係を作ることによって生き延びてきた種です。
好むと好まざるに関わらず、一人だけでは生き抜いていくことはできませんでした。
そのため人の生存本能は、絶えず自分自身が協力の輪の中に入っているかどうか、
仲間はいるのかどうかということに対して、チェックをかけているといわれています。
自分が協力の輪の中に入っていないということは、
ひとりぼっち、つまり「死」を意味するわけですから、
これはもう細心の注意を払ってチェックをかけています。
そして、そのチェックに対して「イエス!」で答えてくれるのが、
他人からの「認めているよ」という言葉なのです。
出した成果や強みを認めるだけでなく、
「おはよう!」「元気?」といった日々の声かけにいたるまで、
「あなたがそこに存在していることに気が付いている」というメッセージのすべて、
つまりアクノリッジメントが「生き残れるか?」という不安を払拭することにつながります。
そしてさらにアクノリッジメントの量が増えれば、
相手にとってそれは不安を払拭するという、
マイナスをゼロに戻すだけの役割を担うのではなく、
ゼロをさらにプラスへと高めるエネルギー源となっていきます。
逆に存在を認められているという実感が手に入らないと、もう頭は騒がしくなります。
それは単に「認められていない」ではなくて、サバイバルできないかもしれない、
という生存に対する危機ですから、内側は重くざわつきます。

(中略)

リフレイン

私は以前、アメリカの女子刑務所で、
女囚さんたちを相手に心理カウンセリングをしていたことがあります。
刑務所ですから、重厚な机の後ろで革張りの椅子に腰掛けて、
「さあ、何でも話してごらん」とかっこよくカウンセリングしていたわけではありません。
ものすごく大きな、天井の照明が薄く切れかかった体育館があって、
そこにスチール製の足が錆付いた椅子をぽんぽんと二つ並べて、
囚人さんと向かい合って話をします。もちろん二人きりということはなくて、
体育館の片隅には必ずガードマンがいてこっちを観察している。
そんな中でのカウンセリングでした。
アメリカの女子刑務所に収監されている人のうち、
約六〇%は何らかの形で幼児虐待を受けた経験があるといわれています。
私がカウンセリングしていた一人の女性も例外ではなく、
子どものころに実の父親から性的な虐待を受け、母親からは毎日のように
「お前さえ生まれてこなければ、お前さえ生まれてこなければ」
といわれ続けて育ちました。
大人になり、結婚した男性から暴力を毎日のようにふるわれ、
絶望の淵でドラッグに手を出しました。薬物の影響下で、
意識も朦朧とした状態で自分の子どもをちょっとしたことがきっかけで殴り叩き、
それが直接の罪状で収監されたのです。
初めて自分のボスの精神科医から彼女を紹介された時には、
思わず目を疑ってしまいました。
右目の黒目が完全に上にめくれあがってしまっていて見えないのです。
白目が完全に剥けていました。
人に対する強い憎悪を抱く彼女は、おそらく何十年もの間、
周囲をものすごく強い目で睨み続けてきたのでしょう。
誰も信用できずに、自分を守るために、
ただ目の周囲に誰も入り込むことのできないような、強い強い予防線を張って。
彼女の顔を見た瞬間、背筋が寒くなるのを感じました。
人の顔は感情でここまで歪むのかと。
通常セッションは週一回四〇分間行われます。
刑務所があるのはテネシー州、アメリカ南部の州です。
彼女もテネシー州ナッシュビルの出身で、南部なまりがものすごく、
しかも最下層の環境で育ってきましたから、使う単語自体も
「何それ?」と思うような聞いたこともない俗語(ストリート・スラング)をよく使います。
ですから四〇分間のセッションで、
三〇~三五分は私としてはひたすら聞くことしかできないのです。
こちらから積極的に介入するようなカウンセリングは、なかなかできないわけです。
彼女がいいます。
「My mom did ……to me.(私のお母さんは私にこんなことをしたのよ)」。
私は答えます。「She did.(そうだったの)」。
再び彼女がいいます。
「My dad was like…….(私のお父さんはこんな人だったの)」。
また私は答えます。「Oh,he was(そうなんだ)」
彼女の発した言葉の重さを変えずにそのまま返すのです。
彼女はまたいいます。
「Ⅰ did things like …….(私はこんなことをしてしまったのよ)」
私はもう一度返します。
彼女の重さを同じように味わいながら「You did.(そんなことがあったんだね)」と。
私が彼女に対してできたのは、彼女の言葉をリフレイン、
つまり繰り返してあげること、ただそれだけでした。
七回か八回目のセッションが終わった時、一つのことに気が付きました。
彼女の上にめくれあがった黒目が少しずつ下り始めてきたのです。
右目は白目だけでなく、黒目も見えるようになってきました。
そして、一五回目のセッション。
これで私がもう日本に帰るので最後のセッションだという時に、
彼女が詩を書いて持ってきてくれました。
その詩は基本的にすべて紙にタイプで打たれていましたが、
ぜか最後の一文だけは、タイプではなく、自筆で、
しかもかなり強い筆圧で記されていました。
詩に何が書いてあったかは正確には覚えていませんが、
その最後の一文だけは何回も何回も読んだので、
今でも内容や字体が脳裏にくっきりと焼き付いています。
そこにはこう書いてありました。
「Thank you for showing me that I do count.」と。
I do count の count は数えるという意味です。
つまり直訳すると「私も数えられる一人なんだ」となります。文全体を訳すと
「私にも価値があるということを、初めてあなたは私に教えてくれた。ありがとう」
となります。
私は特別なことをしたわけではありません。
She did,He was,You did……とにかく彼女の言葉を繰り返しただけです。
ただ、彼女の語る一文一文に対して、何もすることはできないけれども、
あなたがそこに今そうして存在しているそのことだけは知っているよ、
という気持ちだけは毎回言葉に込めて繰り返しました。
大学院のカウンセリングのクラスで学んだ「リフレイン」という手法が、
確かに人の「存在」を承認しうるということを知った初めての体験でした。

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早川勝メール【455号】私が一番受けたいココロの授業

2009-02-16

こんにちは。

 

ご縁があって名刺交換させていただきました833名の方々へ
一斉配信しています

本日は日曜出勤。
この世に早川を必要としている人がいる限り
365日働き続ける覚悟です。

先日、ある方から言われました。
「早川さんって、人生そのものがエンターテイメントだよね」と。
その言葉を聞いて、すっごく嬉しかったと同時に
ハッとして、
自分の生きている役割に気づかされました。
(ちょっと大袈裟かもしれませんが…笑)
何のために、誰のために、働いているのか…
自分がこの世に生まれてきた意味を再確認することができました。
これからもご縁のあった皆さんに
喜んでもらえるような生き方をしていきたいです。

…と、
前置きはこれくらいにして、
それでは今回も
414冊目のオススメ書籍からの抜粋文章をご紹介します。
テーマは
「おもてなしの心」
お役立てれば幸いです。

私の本よりためになる「オススメ書籍」シリーズ【No.414】
「私が一番受けたいココロの授業」
比田井和孝著
ごま書房新社

約束のお子様ランチ

ある日、若い夫婦が2人で
ディズニーランドのレストランに入ってきました。
夫婦は2人掛けのカップル席に案内されると、
「お子様ランチ2つ」と注文したんです。
ところが、ディズニーランドには、
「お子様ランチは9歳まで」という決まりがあるそうです。
キャストは、丁寧に頭を下げて言いました。
「お客様、大変申し訳ございません。
お子様ランチは、大人の方がお召し上がりになるのには少なすぎますので、
お子様限定のメニューになっております」
それを聞いた女性は、がっくりと肩を落としました。
キャストは、女性がとてもがっかりしたのを見て、
これは何か特別な理由があるのかも…と思い、
思い切ってたずねてみました。
「お子様ランチはどなたがお召し上がりになりますか?」
女性は静かに話し始めました。
「実は、私達2人には子供がいたのですが、
1歳のお誕生日を迎える前に、病気で亡くなったんです。
生前、子供の病気が治って元気になったら
いつか、3人でディズニーランドに行って、
お子様ランチを食べようね…と約束していたんです。
なのに、結局、その約束を果たすことができなかったんです。
今日は子供の一周忌なのですが、
子供の供養のためにその約束を果たそうと思って
ディズニーランドに来たんです」
キャストは2人に向かって深々と頭を下げると、
「かしこまりました。お子様ランチ、お2つですね。
それでは恐れ入りますが、
お席を移動していただけますか」
と言って、2人掛けのカップル席から
ファミリー席に移動してもらいました。
そして、キャストは二人の間に、子供用のイスを用意すると、
「お子様は、どうぞこちらに」と、
まるでそこに子供がいるかのように導きました。
しばらくすると、お子様ランチを3つ持ってきて、
子供用のイスの前に、
3つ目のお子様ランチを置いて言いました。
「こちらは、ディズニーランドからのサービスです。
ご家族でゆっくりお楽しみください」
2人はとても感激したそうです。
そして後日、ディズニーランドには、こんな手紙が届いたそうです。
「お子様ランチを食べながら、涙が止まりませんでした。
私達は、まるで娘が生きているかのように
家族の団らんを味わいました」

…これね、なかなかいい話だな、と思うんです。
ディズニーランドにも、いろんなルールがあります。
今回の件も、「お子様ランチは9歳まで」
というルールがあったわけですが、
ディズニーランドのすごいところは、
「本当にそれがお客様のためだったら、
そのルールを曲げても良い」
というルールがあることです。
これね、スゴイです。スゴイことです。
この話を聞くと
根っこの部分…ディズニーランドの考え方とか、
あり方を押さえないと、
ディズニーランドのレベルには行かないんですよ。
会社にはいろんなルールやマニュアルがあって、
ディズニーランドのようにはいかないかもしれないけれど、
みなさんには、お客様からルール以外のことを頼まれた時に、
「これは決まりだからできません」と
簡単に言ってしまうような人にはなってほしくないんですね。
そのルールの中で、精一杯のことをしてあげるとか、
そのお願いを聞いてあげることはできなくても、
違う方法で、何か望みをかなえてあげることはできないかと
一生懸命に考えること…そういう姿勢が大事だと思うんです。
お客様が本当に望んでいることは何だろうと、
本質的に考えようとする気持ちがあったら、
行動も、やり方も、だいぶ違ってくるんじゃないかと、
そう思うわけです。
衛藤さんは、「マニュアルを超えたところに感動がある」
とおっしゃいました。
マニュアルを、どう超えるか…
これはみなさんの「心の姿勢」と言うか「あり方」次第なんです。

命のサイン帳

最後は、私の知人から教えてもらった話です。
ある日、ディズニーランドのインフォメーションに、
お母さんが元気なさそうにやってきて言いました。
「実は今日、子供と一緒に来たんです。
子供が、ミッキーちゃんだとか、ミニーちゃんだとかの
キャラクターにサインをしてほしいと言っていたので、
サイン帳を持ってきたんです。
子供は、キャラクターを見つけては、
一人一人にサインを書いてもらっていました。
そして、あと少しでサイン帳が全部埋まる、というところで、そのサイン帳を失くし
てしまったんです。
落し物で届けられていないかと思って
来て見たんですが、ありませんか?」
そのインフォメーションには、サイン帳は届けられていませんでした。
そこで、そのキャストは、考えられるいろんな所に電話をしてみました。
ところが、どこにも届けられていなかったんですね。
そこで、そのキャストは、サイン帳の特徴を詳しく聞いた後、
「いつまで滞在されますか?」
と聞いたそうです。
その家族は2日後のお昼には帰らなければならなかったそうです。
キャストはそれを聞くと、
「それでは、この後、もう少し探してみますので、2日後、お帰りになる前に
もう一度こちらにお寄りいただけますか」
と言ったそうです。
そして、お母さんが帰られた後、そのキャストは、さらに細かな部署に電話をかけて
聞いてみたり、
自分の足で、駐車場や心当たりのある場所を探し回ったそうです。
ところが、どうしても見つからなかったんですね。
で、そのキャストは、どうしたかと言うと、
そのサイン帳と同じサイン帳を自分で買って、
自分の足で、いろんな部署をまわって、
キャラクターのサインを全部書いてもらって
当日を迎えたそうです。
当日は、お父さんがやってきました。
多分ほとんどあきらめていたと思います。
キャストは、お父さんに言いました。
「申し訳ございませんでした。
サイン帳は見つけることができませんでした。
でも、お客様ねこちらのサイン帳をお持ち帰りください」
お父さんがビックリして中を見ると、
キャラクターのサインが全部書いてあったんですね。
お父さんは、もちろん大喜びして、
「ありがとうございます!」
と持って帰ったそうです。

…で、この話はまだ終わらないんです。
後日、ディズニーランドに
そのお父さんからの、
一通の手紙が届きました。
原文のままではないのですが、
こんな手紙だったかもしれませんね。

先日は「サイン帳」の件、ありがとうございました。
実は、連れて来ていた息子は脳腫瘍で
「いつ死んでしまうかわからない」…そんな状態の時でした。
息子は物心ついたときから、テレビを見ては、
「パパ、ディズニーランドに連れて行ってね」
「ディズニーランド行こうね」
と、毎日のように言っていました。
「もしかしたら、約束を果たせないかもしれない」
…そんなときでした。
「どうしても息子をディズニーランドに連れて行ってあげたい」…と思い、
命が、あと数日で終わってしまうかもしれないというときに、
ムリを承知で、息子をディズニーランドに連れて行きました。
その息子が夢にまで見ていた
大切な「サイン帳」を落としてしまったのです。
あの、ご用意頂いたサイン帳を息子に渡すと、息子は、
「パパ、あったんだね ! パパありがとう ! 」
と言って大喜びしました。

そう言いながら息子は数日前に、息を引き取りました。
死ぬ直前まで息子はそのサイン帳をながめては、
「パパ、ディズニーランド楽しかったね !
ありがとう ! また、行こうね」
と言いながら、サイン帳を胸に抱えたまま、
永遠の眠りにつきました。
もし、あなたがあの時、
あのサイン帳を用意してくださらなかったら、
息子はこんなにも安らかな眠りにはつけなかったと思います。
私は、息子は「ディズニーランドの星」になったと思っています。
あなたのおかげです。本当にありがとうございました。

手紙を読んだキャストは、その場に泣き崩れたそうです。
もちろん、男の子が死んでしまった
という悲しみもあったと思いますが、
「あの時に精一杯のことをしておいて、本当に良かった」
という、安堵の涙だったのではないでしょうか。

 

 

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生きてるだけで「ツイてる!」
感謝感謝の「早川 勝」でした。

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早川勝メール【454号】涙の数だけ大きくなれる

2009-02-04

こんにちは。

 

ご縁があって名刺交換させていただきました830名の方々へ
一斉配信しています。

 

413冊目のオススメ書籍からの抜粋文章をご紹介します。
今回、ご紹介させていただく話、泣けました…(涙)
名古屋帰りの新幹線の中、
涙がポロポロと…男泣きしました。
本日のテーマは【道を捨てない】
お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「オススメ書籍」シリーズ 【No.413】
「涙の数だけ大きくなれる ! 」
木下晴弘 著
フォレスト出版

 

あるレジ打ちの女性

 

その女性は、何をしても続かない人でした。
田舎から東京の大学に来て、部活やサークルに入るのは良いのですが、
すぐイヤになって次々と所属を変えていくような人だったのです。
そんな彼女にも、やがて就職の時期がきました。
最初、彼女はメーカー系の企業に就職します。
ところが仕事が続きません。
勤め始めて3ヵ月もしないうちに上司と衝突し、あっという間にやめてしまいまし
た。
次に選んだ就職先は物流の会社です。
しかし入ってみて、自分が予想していた会社とは違うという理由で、
やはり半年ほどでやめてしまいました。
次に入った会社は医療事務の仕事でした。
しかしそれも、「やはりこの仕事じゃない」と言ってやめてしまいました。
そうしたことをくり返しているうち、いつしか彼女の履歴書には、
入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました。
すると、そういう内容の履歴書では、正社員に雇ってくれる会社がなくなってきま
す。
ついに、彼女はどこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました。
だからといって、生活のためには働かないわけにはいきません。
田舎の両親は早く帰って来いと言ってくれます。
しかし、負け犬のようで帰りたくはありません。
結局、彼女は派遣会社に登録しました。
ところが、派遣も勤まりません。すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし、
イヤなことがあればその仕事をやめてしまうのです。
彼女の履歴書には、やめた派遣先のリストが長々と追加されていきました。

ある日のことです。
例によって「自分には合わない」などと言って派遣先をやめてしまった彼女に、
新しい仕事先の紹介が届きました。
スーパーでレジを打つ仕事でした。
当時のレジスターは、今のように
読み取りセンサーに商品をかざせば値段が入力できるレジスターではありません。
値段をいちいちキーボードに打ち込まなければならず、
多少はタイピングの訓練を必要とする仕事でした。
ところが、勤めて1週間もするうち、彼女はレジ打ちにあきてきました。
ある程度仕事に慣れてきて、
「私はこんな単純作業のためにいるのではない」と考え始めたのです。
とはいえ、今までさんざん転職をくり返し、我慢の続かない自分が、
彼女自身も嫌いになっていました。
もっとがんばらなければ、
もっと耐えなければダメということは本人にもわかっていたのです。
しかし、どうがんばってもなぜか続かないのです。
この時、彼女はとりあえず辞表だけ作ってみたものの、決心をつけかねていました。
するとそこへ、お母さんから電話がかかってきました。
「帰っておいでよ」
受話器の向こうからお母さんのやさしい声が聞こえてきました。
これで迷いが吹っ切れました。
彼女はアパートを引き払ったらその足で辞表を出し、
田舎に戻るつもりで部屋を片づけ始めたのです。
長い東京生活で、荷物の量はかなりのものです。
あれこれダンボールに詰めていると、机の引き出しの奥から1冊のノートが出てきま
した。
小さい頃に書きつづった大切な日記でした。
なくなって探していたものでした。
パラパラとめくっているうち、
彼女は「私はピアニストになりたい」と書かれているページを発見したのです。
そう、彼女の小学校時代の夢です。
「そうだ、あの頃、私はピアニストになりたくて、練習をがんばっていたんだ……」
彼女は思い出しました。なぜかピアノの稽古だけは長く続いていたのです。
しかし、いつの間にかピアニストになる夢はあきらめていました。
彼女は心から夢を追いかけていた自分を思い出し、
日記を見つめたまま、本当に情けなくなりました。
「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。
履歴書にはやめてきた会社がいくつも並ぶだけ。自分が悪いのはわかっているけど。
なんて情けないんだろう。そして私は、また今の仕事から逃げようとしている……」
そして彼女は日記を閉じ、泣きながらお母さんにこう電話したのです。
「お母さん、私、もう少しここでがんばる」
彼女は用意していた辞表を破り、
翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤していきました。
ところが「2、3日でもいいから」とがんばっていた彼女に、ふとある考えが浮かび
ます。
「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、
くり返し弾いているうちにどのキーがどこにあるのかを指が覚えていた。
そうなったら鍵盤を見ずに、楽譜を見るだけで弾けるようになった」
彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。
そうだ、私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と。
レジは商品ごとに打つボタンがたくさんあります
彼女はまずそれらの配置をすべて頭に叩きこむことにしました。
覚えこんだら、あとは打つ練習です。
彼女はピアノを弾くような気持ちでレジを打ち始めました。
そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです。
すると不思議なことに、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、
今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです。
最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。
「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子どもも連れて来るんだ」とか、
いろんなことが見えるようになったのです。
それは彼女のひそかな楽しみにもなりました。
相変わらず指はピアニストのように、ボタンの上を飛び交います。
そうしていろいろなお客さんを見ているうちに、
今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです。
「この人は安売りのものを中心に買う」とか、
「この人はいつも店が閉まる間際に来る」とか、
「この人は高いものしか買わない」とかがわかるのです。
そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが、
5000円もする尾頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジに持ってきたのです。
彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。
「今日は何かいいことがあったんですか?」
おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました。
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。いいだろう、この
タイ」と話すのです。
「いいですね。おめでとうございます」
うれしくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。
お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでし
た。
いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、
名前まで一致するようになりました。
「○○さん、今日はこのチョコレートですか。
でも今日はあちらにももっと安いチョコレートが出ていますよ」
「今日はマグロよりもカツオのほうがいいわよ」
などと言ってあげるようになったのです。
レジに並んでいたお客さんも応えます。
「いいこと言ってくれたわ。今から変えてくるわ」
そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです。
彼女は、だんだんこの仕事が楽しくなってきました。
そんなある日のことでした。
「今日はすごく忙しい」と思いながら、
彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。
すると店内放送が響きました。
「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。
どうぞ空いているレジにお回りください」
ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。
「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。
重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください」
そして3回目、同じ放送が聞こえてきた時に、
初めて彼女はおかしいと気づき、周りを見渡して驚きました。
どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、
お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。
店長があわてて駆け寄ってきます。
そしてお客さんに「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」
と言ったその時です。
お客さんは店長の手を振りほどいてこう言いました。
「放っといてちょうだい。私はここへ買い物に来てるんじゃない。
あの人としゃべりに来てるんだ。だからこのレジじゃないとイヤなんだ」
その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました。
その姿を見て、お客さんが店長に言いました。
「そうそう、私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ。
今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。
だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。
だからこのレジに並ばせておくれよ」
彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。
仕事というのはこれほどに素晴らしいものなのだと、初めて気づいたのです。

そうです。すでに彼女は、昔の自分ではなくなっていたのです。

 

 

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生きてるだけで「ツイてる!」
感謝感謝の「早川 勝」でした。

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早川勝メール【453号】人生の成功とは何か

2009-02-03

こんにちは。

ご縁があって名刺(アドレス)交換させていただきました829名の方々へ
一斉配信しています。

旧暦では節分が大晦日で立春が元旦…、
だとすると、中国では…
今日あたりはまだお正月気分って感じなのでしょうね。
(日本にもまだ正月気分の抜けないヤツがいますけど…笑)

ということで、本日の前置きは…強引な展開にて…、
中国特集。

中国人の偉い方から教えていただいた有名な
「中国の諺(ことわざ)」をご紹介しますね。

“お金で買えるものと買えないもの”

お金で「家」は買えるけれど、
「家庭」は買えない。

お金で「時計」は買えるけれど、
「時間」は買えない。

お金で「ベッド」は買えるけれど、
「快適な睡眠」は買えない。

お金で「本」は買えるけれど、
「知識」は買えない。

お金で「名医」は買えるけれど、
「健康」は買えない。

お金で「地位」は買えるけれど、
「尊敬」は買えない。

お金で「血」は買えるけれど、
「命」は買えない。

お金で「セックス」は変えるけれど、

「愛」は買えない。

以上。
「お金で愛は買える」と思っていた早川がお届けいたしました(笑)

謝謝

・・・と、前置きはこれくらいにして…。

今回もまた…
「私の本よりためになるお薦め書籍シリーズ・全400冊」の中から
好評だったバックナンバーをお届けいたします。

本日のテーマは
【一日を生き切る】
・・・です。
お役に立てれば幸いです。
↓↓↓↓↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ    No.121
「人生の成功とは何か」
田坂広志 著
PHP研究所

一日の成長

一日を生きたとき、
一日分、成長する。

今日という一日を生きたとき、
今日という一日の経験だけ、
たしかな成長を遂げる。

その生き方こそが、
「成長の思想」が目指すものです。

そして、この「成長の思想」においては、
何十年かの歳月をかけて「素晴らしい人物」へと成長するということは、
「一日の成長」という生き方の「結果」として与えられるものに過ぎません。

それは、本来、「目標」とすることのできるものではないのです。

それは、なぜか。

我々の人生には、
冷厳な一つの真実があるからです。

人生はいつ終わるか分からない。

その真実があるかぎり、
何十年か先の達成は、約束されていないのです。

だから、「成長」とは、究極、
「一日の成長」に他ならない。

しかし、この「一日の成長」とは、
言葉で語るほどに、容易ではありません。

それは我々が、いま、
昨日という一日を振り返ってみれば、分かることです。

我々は、人生において、かけがえのない日々を生きている。
それにもかかわらず、このかけがえのない一日を生きたとき、
その一日、何も成長していないことに気がつくことがあります。
いや、ときに、何十年の歳月を歩んでも、成長していないことがあるのです。

では、どうすればよいか。

かけがえのない一日を生き、
その一日、一日を、たしかに成長していくためには、
どうすればよいか。

一つの心構えを身につけることです。

「一日を生き切る」

その心構えを身につけることです。

ここで大切なのは、
「生きる」ではなく、「生き切る」

この「切る」という言葉に込められた思いがある。
それは、「悔いが無い」という思い。
一日を生きたとき、「思い残すことが無い」という思い。

その思いが、この「生き切る」という言葉の意味です。

ただ漠然と生きるのではなく、
与えられた一日を、生き切る。

もし、その生き方ができるならば、そのとき、我々は、
その一日、「最高の成長」を遂げることができるのでしょう。

では、どうすれば、
「一日を生き切る」ことができるのか。

これまで語られてきた言葉の
本当の意味に気がつくことです。

例えば、「勝者の思想」において語られた言葉。

「競争」

例えば、「達成の思想」において語られた言葉。

「目標」

我々が、「一日を生き切る」ことを願うならば、
この二つの言葉の、本当の意味に気がつくことです。

我々は、なぜ、自ら望んで、厳しい「競争」の場に身を置くのか。

我々は、なぜ、自ら望んで、厳しい「目標」を掲げ挑戦するのか。

それは、実は、
「競争」で「勝者」となり、
「勝者の喜び」を味わうためではありません。

それは、実は、
「目標」を「達成」して、
「達成の喜び」を味わうためではありません。

それは、「勝者」になるためでも、「達成」するためでもない。

では、何のためか。

一日一日を、生き切るためです。

厳しい「競争」の場に身を置き、
難しい「目標」を掲げて挑戦し、
そのために力を尽くして歩むとき、我々は、
一日一日を、生き切ることができる。

一日一日を、成長していくことができる。

それが、「競争」や「目標」という言葉の
本当の意味です。

そして、そのことは、「成長の思想」において語られる
二つの言葉も、同じです。

「夢」

「志」

我々は、なぜ、それが叶わぬものと分かっていても
「夢」を抱いて歩むのか。

我々は、なぜ、それが己の時代には成し遂げ得ぬと思っても、
「志」を抱いて歩むのか。

それは、「夢」や「志」を抱き、その実現に向けて力を尽くすとき、
一日一日を、生き切ることができるからです。

一日一日を、成長していくことができるのです。

そのことに気がつくとき、

我々の中に、
一つの思いが生まれてきます。

必ず終わりがやってくる、この命。

ただ一度かぎり与えられた、この命。

いつ終わりがやってくるか分からない、この命。

このかけがえのない生命を、

精一杯生き切ろう。

そして、

このかけがえにない一日一日を、

精一杯に成長していこう。

その思いが、生まれてくるのです。

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