早川勝メール【474号】 壁

2009-06-20

 

昨年の配信メールの中で紹介した「町内対抗運動会綱引き事件」、
覚えておいででしょうか???
競技中に綱引き用のぶっとい綱が真っ二つにちぎれてしまい、
パニック状態になったという話…、しましたよね???

実は今年も運動会で大事件が発生しました。
先日、娘が通うY中学校の運動会を見学に行ったときのことです。
運動会はとても盛り上がり、
クライマックスでは優勝した組の先生が生徒たちに胴上げされるシーンに立ち会うことができました。
やっぱり青春って素晴らしいなぁ…、
と、感動に浸っている間もなく、
その先生…、
胴上げの最後にそのままおもいきり落下してしまい、
救急車が出動する騒ぎになってしまいました。

幸い大事には至らなかったのですが…、
怖いですよねぇ…胴上げ。

聴くところによるとその先生…、
胴上げしてもらえるくらいですから、
さぞかし人気者の先生なんだろうと思っていましたら、
どちらかというと生徒に「嫌われていた」らしく…。
えっ?
ということは、
これは事故だったのか…、
それともまさか故意だったのか…。

なんて、考えすぎでしょうか???

考えすぎですよね…、すいません。

でも皆さん、
胴上げされる際はくれぐれも気をつけてくださいね(笑)

 

…と、
前置きはこれくらいにして、
それでは今回も
419冊目のオススメ書籍からの抜粋文章をご紹介します。
テーマは…
【ネガティブな感情の正体】
です。
お役立てれば幸いです。
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私の本よりためになる「オススメ書籍」シリーズ【No.419】
『壁』
あなたの「壁」をぶち壊す すごい心理セラピー
石井裕之著
フォレスト出版

**すべてのネガティブにはポジティブへの信頼がある

ちょっと、考えてください。

たとえば、私がなにか卑怯な行為をしてしまって、大好きな女性から

「あんたなんか男じゃない ! 」

と怒られたとします。あくまでも、たとえばの話ですが。
そうすると、当然、私は傷つくわけです。
「男らしくない」となじられたわけですから。
しかし、こういう文脈で「男じゃない」とか「男らしくない」と言われたということは、
つまり、それでもやっぱり私は男だと認めてもらえているということです。
だって、男でなかったら、そもそも「男らしくない」などというお叱りの言葉自体が成立しません。

当たり前の理屈ですが、どうかうんざりしないで、もう少しだけこの話に付き合ってください。

たとえば、ご家族の夕飯を毎晩あなたが作っているとします。
ある日の夕食で、新しいレシピにトライしてみました。しかし、ご家族は、顔を曇らせて、
「これはあまりおいしくないなあ」と言います。
あなたはがっかりするでしょう。
せっかくチャレンジして作った料理を「おいしくない」と言われたのですから。
それは落胆もするでしょう。
しかし、これも同じように考えてみますと、
いつもおいしいからこそ、「おいしくない」という言葉が成立するのです。
そうでなければ、「おいしくない」などと言われるはずはありません。
毎晩毎晩いつもおいしくないのだとしたら、わざわざ取り立てて言う必要もないのですから。

こんなふうに、すこしだけ掘り下げて考えみれば、

どんなネガティブなものも、なんらかのポジティブなものへの信頼がある

ということがわかります。
「男らしくない」と女性に罵倒されても、
それはつまり男らしくあれる私を彼女が信じてくれているからこそなのです。
「おいしくない」と言われたということは、
ほんとうはもっとおいしいものを作れるのだと信頼してもらっているからこそです。
このように、すべてのネガティブには、ポジティブへの信頼があります。
まず、そういうふうにとらえられるメンタリティーがほしいのです。

**すべてのネガティブにはポジティブを土台にしている

さらに屁理屈をこねさせてください。

ネガティブな概念には、実体がありません。

たとえば、「鯨は存在する」ということを証明することは、方法としては可能です。
ただ鯨を見つけてもってくるなり撮影するなりすれば、誰も文句を言わずに認めてくれるはずですから。
「存在する」というのがポジティブな命題なら、「存在しない」というのはネガティブな命題ですが、
それでは、「鯨を存在しない」ということを証明する方法があるでしょうか?
存在しないものは見つけることももってくることもできません。
だって、「ない」のですから。
したがって、「鯨は存在しない」ということを証明することは、現実的にはできないはずです。

何が言いたいかというと、「~がない」というのは、あくまでも概念の遊びに過ぎない、ということです。
その意味で、「~がない」というネガティブな概念には実体がないと言えます。
ネガティブな概念には実体がないのだとすれば、
それは、実体のあるポジティブな概念を土台にしてはじめて成立します。ですから、

どんなネガティブも、なんらかのポジティブを土台にしている。

と言えると思うのです。
もうすこしわかりやすい例として、使い古されたたとえを使いましょう。

「猿のことは考えるな」

と言われたとします。「~するな」というのですから、これはネガティブな命令です。
しかし、この命令を理解するためには、やっぱり猿のことを考えなくてはなりません。
どうしても「いったん猿のことを考える」というポジティブな行為があって、
それから「あ、これ考えちゃいけないんだ」とそれを否定するネガティブな行為をするという順序を踏まなくては、
「猿のことを考えるな」という言葉を理解することができません。
ネガティブというのは、「何か」を否定することですから、
その「何か」が存在しなければネガティブそのものも存在しえない、ということです。
ポジティブを土台にしなければネガティブも成立しない、というのは理屈っぽく説明すればそういう意味です。

**ネガティブな感情の正体

そうすると、これは概念だけにとどまらず、たとえば、
「私には到底できっこない」「そんなにうまくいくはずがない」というような、
ネガティブな感情や考えについても同じことが言えるのではないでしょうか。
否定的な感情があなたの中に出てきたときにも、
「このネガティブな感情は、やっぱりポジティブな何かを土台にしているはずだ」
と考えることができるはずです。
つまり、

ネガティブな感情や考えの正体は、実はポジティブな何かである

と言ってもいいと思うのです。

先ほどの鯨の例と同じように、「できる」ということを証明するには、やってみせればいいのです。
だから、「できる」というポジティブなことは、すくなくとも方法としては、証明することが可能です。
でも、「できない」ということはどうやって証明できるのでしょう ?
やってみてできなくても、もう一回やればできるかもしれない。
それでできたらやっぱりできたということです。
二回目でダメでも、あと十回やればできるかもしれない。
あるいは、千回目にできるかもしれない。

千回ずっとダメだったとしても、それは、千一回目にもできないということの証明には決してならない

のです。だから、どこまでいっても、「できない」ということは証明できないはずです。

その意味において、「できる」と思えるあなたの自信は、その自信がどれほど根拠のない自信だったとしても、
妥当だと言えます。実体があると言えます。
しかし、「できない」というあなたの自己不信は、実体のない不信です。
どこまでも証明不可能です。
だから、

「私にはできない」ということを信じこんでいる人というのは、まったく盲信的な人。

だと私は思うのです。

別の角度から言えば、できる可能性を信じているからこそ「できっこない」という考えも出てくる。
ほんとうにゼッタイできないことなら、「できっこない」などとわざわざ考える必要もないのです。

同じように、「ひょっとすると、あるいはうまくいくかもしれない」という期待があるからこそ、
「うまくいくはずがない」という発想も出てくる。
私たちはよく、大切な場面で緊張してしまうことがあります。
しかし、それは、「失敗するかもしれないから緊張する」のではありません。むしろ、

成功するかもしれないから緊張する

のです。
だって、絶対に間違いなく失敗するとわかっているシチュエーションだったら、
そもそもどうして緊張する必要なんかあるのでしょう ?
それと同じことです。
ネガティブな感情や考えも、
やっぱりその正体はポジティブな何かなのです。

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