早川勝メール【518号】がんばらない

2010-05-16

 

最近のわたくし、仕事面がちょっと不調気味。
あの手この手でいろいろと試行錯誤を繰り返してきたのですが、
それでもなかなか成果に結びつかないため、
どんどんストイックになっている自分を発見いたしまして、
「あれっ、これはなんか違うぞ」と、
あらゆる決め事を一気に全部やめてしまいました。

楽しくないことや盛り上がらないことはやめました。
毎日やってた早朝会議とか…、ぜーんぶ、やめました。

えっ?それで解決するのかって??

うーん、

とにかく、何かが変化したことだけは間違いありません。
それを証拠に私の周りの空気が変わりました。

今、あらたな気づきのヒントをつかみつつあります。

 

と、前置きはこれくらいにして…、

本日も、
「私の本よりためになるお薦め書籍シリーズ・全400冊」の中から
好評だったバックナンバーをお届けいたします。

それでは、
ためになる抜粋文章をどうぞ。
本日のテーマは…、
【命】
です。

お役に立てれば幸いです。
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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.172
「がんばらない」
鎌田實
集英社文庫

揺れる命

今から四千年前、人間の平均寿命は十八歳くらいだったと推定される。
そして紀元元年、今から二千年前の平均寿命は、二十二歳といわれている。
二千年かかって、四歳長生きできるようになった。
人間は文化を少しずつ推し進めて、五百年で、寿命をたった一歳延ばすのが精いっぱいだった。
地球が誕生したのが五十億年前、生物が誕生してから約三十億年、
単細胞の生命体から、ゆっくりと多様な物体が生まれ、
生まれてきたものが進化・進歩し、哺乳類が生まれたのが一億年前といわれている。
明治時代の初め、日本人の平均寿命は三十三歳だった。
約千九百年かけて、十一歳寿命を延ばしたことになる。
ということは、百七十三年で一歳、寿命を延ばしたわけだ。
アクセルペダルが少し踏み込まれたが、まだまだゆっくりとした変化だった。
産業革命後、「命」にも急激な変化が起きた。
今、日本の女性の平均寿命は八十三歳。
日本ではこの百年で、五十歳もの寿命を延ばしてしまった。
二年で一歳の寿命を延ばしたことになる。

家族の心の変容

人類が長生きできるようになった結果として、
当然、痴呆の問題が大きくクローズアップされるようになってきた。
八十五歳から八十九歳の老人では、
二十一・六パーセントの方が痴呆になっているデータが報告されている。
長生きのオリンピックに勝ち抜いて得た勝利が、痴呆だったのかもしれない。
アルツハイマー病の患者は、世界に千五百万人以上いるといわれている。
日本では、三十万人のアルツハイマー病の患者を含めて、百万人の痴呆老人がいる。
痴呆とは、一度獲得された知的な能力が、器質的な脳の障害により、
日常生活に支障をきたすような状態といわれている。
痴呆の初期段階は象徴的な症状として、昔のことはよく覚えているのに、
新しいできごとを覚えられないという短期記憶障害がよく現れる。
ぼくが治療していたアルツハイマー病のおばあちゃんも、同じような症状が出ていた。
病気が徐々に重くなっていく。朝食に何を食べたかもまったくいえなくなってしまった。
もともと俳句を趣味にしていた方だったので、痴呆が軽いうちは、
作った俳句を外来診察にきたときに見せてもらいながら、社会性を失わないように指導していた。
しかし次第に俳句が作れなくなっていった。
つぎに家族の誰かに見てもらって、日記を書いてもらうと、当初は大変よい効果を生んだ。
痴呆の進行を少し止められるかと楽しみにしていたが、この日記が問題を起こし始めた。
友人の葬式に行った日に、忘れないように日記を書いてくれたが、
日記帳を開いたときには昼間のことはすでに忘れており、
「友人の見舞いに行ってきた」と書かれていることに、息子さんは気がついた。
翌日、死んだはずの友人のところへ遊びに行くと言い張り家族は困ってしまった。
別の日、水道局の人が来て、一人で留守番をしていたおばあちゃんが自分で払ったが、日記には
「嫁に一万円渡して、自分の好物を買ってきてくれるように命じた。
でも嫁はだまして何も買ってきてくれなかった」と、うらみの言葉が書かれている。錯話だ。
事実無根の作り話も、一度文字に書かれてしまうと、何度説明しても、
かえって誤りを認めづらくなってしまった。書かせた日記が足を引っ張った。
家族も疲れてきた。こんなとき現代の医療は無力だ。痴呆を治すことはなかなかできない。
ぼくたちの仕事は、家族を支えることにシフトしていく。
「神奈川県ぼけ老人をかかえる家族の会」の田中まさ子さんとお会いしたとき、
第一ステップ「とまどい、否定」、第二ステップ「混乱、怒り、拒絶」、
第三ステップ「あきらめ」、第四ステップ「受容」と、揺れる家族の心の内を体験談として教えてくれた。
ぼけた実母を看ていた田中まさ子さんは、混乱して疲れきり、あきらめ、すべてを投げ出そうと思ったとき、
京都で活躍しておられる、ぼけ老人のよき理解者の早川一光先生にお会いし、
肩を抱かれ、ひと言「よくがんばってきたね」といわれた。
このひと言が彼女を絶望から救い出してくれた。
田中さんは自らの経験から、このようなよき理解者がどうしても必要だと力説している。
痴呆性老人を支える家族の、良き理解者を地域で育てていく必要があるように思う。

痴呆性老人を在宅で看取る

明け方の五時、ぼくの家の電話が鳴る。お嫁さんのあわてた声が聞こえてきた。
「おばあちゃんの息がおかしいんです。先生すぐに来てください」
エンドステージになると、家族の安心のために自宅の電話番号を教えておく。
二十四時間体制の当番の保健婦に連絡をとって、患者宅にそれぞれが直行する。
呼吸は停止していた。しかしぼくらは心臓マッサージもしない。もちろん点滴などもしない。
心臓が動いていないこと、瞳孔に対光反射がないことを確認し、死亡を認定する。
すでに家族だけではなく親類や近所の人たちが大勢、おばあちゃんの床の周りを囲んでいる。
お嫁さんの名前を呼ぶ。後ろのほうに小さくなって座っていた彼女が、おずおずと前に出てくる。
「ほんとによく看てあげたね。ぼけてから七年、おばあちゃんも大変だったけど、
床ずれひとつなく、こんなにいい顔であの世に行けて、ばあちゃんは幸せってもんだな。長い間ごくろうさま」
徘徊の時期には、このお嫁さんは何度も村じゅうを探しまわり、疲れ果てていた。
ぼくが往診に行くと家じゅうに鍵がかかり、
目もうつろなお嫁さんが痴呆のあばあちゃんと部屋の片隅に座っていた。
あの光景が今も忘れられない。
見かねて、精神科の先生に、お嫁さんをバックアップしてもらったこともある。
また東京にお嫁にいったおばあちゃんの娘が里帰りしてきたとき、
「嫁はわたしにご飯をくれない」と訴えたので、娘は誤解して手厳しく嫁さんに嫌味をいったらしい。
たび重なる気苦労で、ストレス性胃潰瘍になってしまったお嫁さんが、
それでも必死におばあちゃんを支えていたのをぼくは知っていたので、
みんなの前で彼女に「ありがとう、ご苦労さま」と伝えたかった。
医者の役目というのは、生きるか死ぬかのときに助けることが第一の仕事だと思っているが、
命が途切れるときに臨終を確認する役でもあり、故人と関係のある人々が、
その死を境にみんながどう生きていくのかいっしょに考えていくことも、
医者の仕事かもしれないと最近考えている。医療の仕事は、「生」を支えると同時に、
「死」をどのように支えるかということも問われているように思えてならない。

 

 

2010年5月16日(日)

 

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生きてるだけで「ツイてる!」
感謝感謝の「早川 勝」でした。

E-mail:hayakawa@tsuitel.in

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