早川勝メール【507号】男たちへ

2010-02-28

 

本日も前回に引き続きオリンピックの話題です。
えっ?
「オリンピックに興味のない非国民のくせに!!!」ですって??
う~ん、そこをつかれると弱いのですが…、
浅田真央ちゃんは別腹ですよ。
…という方々って皆さんの中にも多いと思うのですが、
いかがでしょうか。
それにしても、浅田真央ちゃんの銀メダルは残念でした。
皆さん、インタビュー、見ましたか?
ポロポロと真央ちゃんの頬につたわる大粒の悔し涙…。
テレビ画面に向かってもらい泣きしながら
ハンカチを差し出したのは
きっと私だけではないでしょう。
えっ、…って、私だけですか?!?!
とにかく、真央ちゃんは頑張りましたよ。
だいたいですね、
キム・ヨナが強すぎるんですよ。
完璧でした…キムヨナちゃん。
凄い。
そもそも韓国では国民的スターですからね。
昨年の年収はすでに7億円を超えているらしいですよ。
ってことは、今年はそれ以上になる…ってことですよね。
それゃあ、気合も入るってもんでしょう!!!ヨナちゃんだって!!!!!

おっとっと、興奮してまたまた「金(かね)」の話になってしまいました(笑)
話を「金(きん)」メダルの話に戻しましょう。
でも、不思議じゃないですか…。
金と銀を分け合った天才少女2人。
きっと、あの2人は前世では双子ですよ。
才能・実力は伯仲、体型も同じ、年齢も生まれた月も同じだなんて…。
偶然とは思えません。
まるでマンガの世界で描かれるようなライバル関係。
たしかジュニアの頃は真央ちゃんのほうが勝っていたのに、
これで通算対戦成績は真央ちゃんの5勝7敗だとか。
次の対戦も楽しみですね。
今回の競技が終わり、2人が寄り添って健闘を称えあっている写真…、
この美し過ぎる感動の一シーンは私のデスクトップの背景に設定させてもらいました。
ということで、私のオリンピックは幕を閉じました。
サヨナラ、バンクーバー!!!
感動をありがとう!!!
えっ? オリピックはまだ終わってないって???
そうでしたっけ???
でも、もうあとは興味ありません。
非国民と罵られようとも…(笑)

気持ちはもう一つのバンクーバーにいっています。
それは、生保業界のオリンピック…「MDRT世界大会」
その世界大会も、ナント、
今年の6月にバンクーバーで開催されることになっているんです。
すごいでしょ。
一般の方々はなじみがないと思いますが、
これがまたすごいんですよー。
世界中のトップセールスマンが集うMDRT世界大会の模様は
また6月にお伝えしたいと思います。

愛と感動をお届けしますので、
どうぞお楽しみに。

 

と、前置きはこれくらいにして…、
さーて、
それでは今回も、
お薦め書籍から一部を抜粋した「なるほど!」という文章をご紹介しまーす。
「私の本よりためになるお薦め書籍シリーズ・全400冊」の中から
好評だったバックナンバーをお届けいたします。

本日のテーマは…、
【世代別・幸運を呼ぶ生き方】
です。

それでは、どうぞ。
お役に立てれば幸いです。
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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.396
「男たちへ」
フツウの男をフツウでない男にするための54章
塩野七生 著
文春文庫

第33章 不幸な男(その三)

男の厄年は、四十二歳だそうである。
私には、この年頃が、男の人生の節目であるように思えてならない。
(中略)
四十にして惑わず、という言葉がある。
男の厄年は四十二だ。別にこれらに影響されなくても、
四十という年齢は、男の人生にとって、幸、不孝を決める節目であると思えてならな
い。
まず、その前の三十代という年代はどうだろう。私は前に、
――三十代の男は、相手次第で、二十代にもどったり、
四十代の男のような成熟さを示したりするものである――
と書いた。そうしたら、三十代の一読者から、全面的に賛成、と書いた手紙がきたか
ら、
まあまちがってはいなかったのだろう。
三十代の男は、三十にして立つ、という言葉もあるくらいだから、
十代、二十代で貯えた蓄積をもとにして、立つ、ぐらいはしなくてはならない。
つまり、なにかをはじめる年代ということである。
しかし、惑わず、は四十代に入ってからやればいいことだから、立ちはしても、迷う
のはかまわないのだ。
かまわないどころか、そのほうが自然なのである。
ところが、四十代になってもなお迷っているのは、いけないことだと古人は言ってい
る。
四十にして惑わず、なのである。
それで私は、四十以上の男の不幸の最大要因は、迷うことにあると判断した。
古人の言葉もあって、倫理的にいけない、と言っているのではない。
現実的に見てもしないほうが得策という視点から、迷わない人こそ幸福を呼ぶのでは
ないか、
と言いたいだけである。
では、四十代に入ってもなお迷うということは、どういうことであろうか。
まず、自分の進む道を見つけていないことである。
いや見つけはしたのだが、それを進むことによって自分の能力が充分に発揮され、
他から認められるという確たる自信がもてないものだから、迷わずに進む勇気が生ま
れてこないのである。
イタリア語に、レアリッヅァーレ、という言葉がある。
レアルが前についていることからもわかるように、現実に移す、つまり実現する、と
いう意味である。
四十代の男性が、もし不幸であるとすれば、
それは自分の意図してきたことが、四十代に入っても実現しないからである。
世間でいう、成功者不成功者の分類とはちがう。職業や地位がどうあろうと、幸、不
幸には関係ない。
自分がしたいと思ってきたことを、満足いく状態でしつづける立場をもてた男は、
世間の評価にかかわりなく幸福であるはずだ。
家庭の中で自分の意志の有無が大きく影響する主婦とちがって、
社会的人間である男の場合は、思うことをできる立場につくことは、大変に重要な問
題になってくる。
これがもてない男は、趣味や副業に熱心になる人が多いが、それでもかまわない。
週末だけの幸福も、立派な幸福である。
困るのは、好きで選んだ道で、このような立場をもてなかった男である。
この種の男の四十代は、それこそ厄代である。
知的職業人にこの種の不幸が多いのは、彼らに、仕事は自分の意志で選んだという自
負があり、
これがまた不幸に輪をかけるからである。
そして、なぜか、四十代で望みのかなえられなかった男は、
五十代も六十代も、その勢いで押していくことになるから、
幸せな男と不幸な男の差は、ますます開くことになる。
なぜ、四十代を境にして、このような現象が起こるのであろう。
ローマは一日にしてならず、ではないが、男の四十代も、一日にしてならずなのであ
る。
三十代をどう過ごしたかが、おおいに影響してくる。
三十代に、迷いはしてもなにをどのようにして過ごしてきたかが問題なのだ。
その蓄積が充分であったからこそ、四十にして惑わず、ど直進することができるので
ある。
要は、自分がなにを望んでいるかを、三十代ですでに、確信とまではいかなくても決
めることである。
それで古人も、三十にして立つ、と言ったのではないだろうか。
立つ、と決めることであり、惑わず、とは、ただ単にそれを進めることである。
男の多い学校で学んだためとは思わないが、私の仕事の性質上、付き合う人は男が多
い。
二十代だと、なにかをやりそうかどうかはほとんどわからない。彼ら自身が、模索の
年代だからであろう。
それで私も、三十までは親のスネを度堂々とかじれとか、
二十代にどれだけ無駄をしたかによって将来がちがってくるとか言っては、けしかけ
ることにしている。
また、そのほうが愉しい。
だが、三十代の男たちとなると、彼らのその後の見当がだいたいはつくようになる。
なにかやれそうか否かが、ほとんどわかるようになってくるのだ。それが四十代とも
なると、もう明白である。
話を少ししただけで、これは幸福な人生を歩むかそれとも不幸で終わるかが、
相当に高い確率で予測できるくらいだ。そして、十年経つと、私の予測はだいたい当
たっている。
これは、顔にも出てくるからである。
いくつだったろうか、男は自分の顔にも責任をもてという年は。
美醜ではない。はっきりと言葉で言いあらわせないが、一種の空気である。
その人が自然にかもしだす、雰囲気のようなものである。
これは私にもわかるくらいだから、他人には感じられるものであるにちがいない。

また、他の人間だけでなく、神さまにもわかるのではないか。
なぜかというと、四十以後は、幸せな人はますます幸せになるのだし、
不幸な人は、ますます不幸になるのだから。
神さまに抵抗を感じる人も、こう言えば賛成してくれるであろう。

人は、不幸な人には同情はしても、
愛し、協力を惜しまないのは、幸運に恵まれた人に対してである、ということには。

 

 

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生きてるだけで「ツイてる!」
感謝感謝の「早川 勝」でした。

E-mail:hayakawa@tsuitel.in

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