【911号】日日是好日 にちにちこれこうじつ 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ

2019-08-04

 

夏の甲子園大会への出場チームが決定しましたね。

地方大会の熱戦を勝ち抜いた49校が、憧れの甲子園の土を踏みます。

 

その陰で、夢と散った高校球児たちにも、またドラマが…。

そう、決勝で敗れた大船渡高校のエース起用法が、物議を醸しています。

 

令和の怪物163キロ右腕「佐々木朗希」投手の決勝戦「温存問題」

 

球界の大御所たちは「間違っている。投げさせるべきだった」と叫び、

ケガで寿命を縮めた選手たちは「当然のこと。休ませて大正解だ」とつぶやく。

スポーツ界だけでなく、日本社会全体をも巻き込み、賛否両論の大激論となっています。

 

私はどちらかと言うと、賛成派です

野球ファンとしては「佐々木投手の活躍を甲子園で見たかった」というのが本音ですが、

彼は「球界の宝」であり、20年に1人の逸材ですから。

ここで無理をして、肩や肘を故障してほしくない、とも思います。

 

将来は、ジャイアンツかバファローズのエースになり、

日本シリーズやWBCで活躍するかもしれないことを考えると、

甲子園出場など、目先の小さいことにも思えてきます。

メジャー挑戦ともなれば、彼の「肩」には何百億円というお金が動くでしょう。

 

むしろ批判覚悟で起用を見送った「監督の英断」へ拍手を送りたいくらいです。

そもそも、連投問題は、毎年毎年の話題になり、問題視されてきました。

過密な大会日程に対して、もっともっと議論すべきでしょう。

「大人の事情」よりも「子供の実情」を優先してほしいですね。

 

延長戦のタイブレークを導入しただけでは足りません。

もはや「ケガを覚悟で連投しろ」というのは、時代に合っていないようです。

 

プロ野球のルールや作戦面をとってみても、

この2年ほどで、時代は急激に変わりました。

 

ホーム上でのケガを防ぐために捕手がベースをブロックしない「コリジョンルール」。

投手が四球を投げずにバッターを歩かせて、試合進行を早める「申告敬遠」。

リリーフピッチャーを先発させ、短いイニングを抑える「オープナー」。

などなど。

そのほかにも、

審判の判定に異議を唱えて、映像によるリプレー検証ができる「リクエスト」。

外野4人(内野5人)またはデータに基づき極端に守備を左右に寄せる「○○シフト」。

バッターが打つと同時に、3塁ランナーがギャンブルスタートを切る「ゴロゴー」。

2番の打順に長距離砲のバッターを置き、送りバントをさせない「2番打者最強説」。

ボールを上から叩いてゴロを打たずに、下から打って長打を飛ばす「フライボール革命」。

 

これらも当初は、賛否両論ありましたが、

今となっては、すっかり定着してきました。

 

さらには、十数年前に危険球退場ルールが厳格に適用されてからは、

すっかり「乱闘シーン」が少なくなりました。

というか、ほぼ「なくなった」といってもいいくらいです。

(若者の気質が穏やかになったからかもしれませんが…)

 

というように、確実に時代は進化しています。

もう古い頭は捨てましょう!

 

それにしても、各チーム、連勝や連敗が多いシーズンですね。

これもまた、トレンドでしょうか。

プロ野球からは一瞬たりとも目が離せません。

 

いやー、最近つくづく思います。

勝つも負けるも、やはり野球は「監督」の采配次第ですね。

ホント、リーダーの意思決定が大事。

 

おおー、なるほど、リーダーといえば・・・、

ではここで、一つお知らせです。

(いつもながら強引ですが…)

 

『リーダーの鬼100則』の電子書籍Kindle版が発売になりました!

というか、かなり前から出ていたようなのですが・・・、

電子派の皆さんへお知らせするのが遅くなりまして、申し訳ございません。

Kindle版↓

https://ux.nu/Ipt4z

 

これで、13作品中「9作」が電子化となりました。

ぜひ、この機会に他の作品も↓電子書籍のラインナップへ。

http://tsuitel.in/books/book_list/index.html

 

 

それから、紀藤康行さんのメルマガで『リーダーの鬼100則』が紹介されました!

「カレッジサプリ あなたの1日を5%元気にする」

https://www.courage-sapuri.jp/news/leader-of-the-demon/

 

紀藤さんのメルマガはためになりますよ。

毎日、届きますし。皆さんにもオススメです!

 

 

 

以上、前置きはこれくらいにしまして、

メインコンテンツに入ります。

 

本号も、お薦め書籍(708冊目)として、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

 

本日のテーマは、【「ここにいる」&一期一会】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.708

『日日是好日 にちにちこれこうじつ

「お茶」が教えてくれた15のしあわせ

毎日が良い日。雨の日は、雨を聴くこと。

いま、この時を生きる歓び――。

森下典子著

新潮文庫

 

 

小学校五年生の時、親に連れられて、フェリーニ監督の『道』という映画を見た。

貧しい旅芸人の話で、とにかく暗い。私はさっぱり意味がわからず、

「こんな映画のどこが名作なんだろう。ディズニーの方がよかったのに」

と、思った。ところが、十年後、大学生になって、再び映画を見て衝撃を受けた。

「ジェルソミーナのテーマ」には聞き覚えがあったが、内容は初めて見たも同然だった。

「『道』って、こういう映画だったのか!」

胸かきむしられて、映画館の暗闇で、ボロボロ泣いた。

それから、私も恋をし、失恋の痛手を負った。

仕事探しにつまずきながら、自分の居場所をさがし続けた。

平凡ながらも十数年が過ぎた。三十代半ばになって、また『道』を見た。

「あれ? こんなシーン、あったっけ?」

随所に、見えていなかったシーンや、聞こえていなかったセリフがいっぱいあった。

無邪気なヒロイン、ジェルソミーナを演じるジュリエッタ・マシーナの迫真の演技に、

胸が張り裂けそうになった。

自分が捨てた女の死を知って、夜の浜辺で身を震わせ慟哭する老いたザンバノは、

もはやただの残酷な男ではなかった。

「人間て悲しい」と思った。ダラダラと涙が止まらなかった。

フェリーニの『道』は、見るたびに「別のもの」になった。

見るたびに深くなっていった。

 

世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。

すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。

けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、

何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、

「別もの」になっていく。

そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、

全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。

「お茶」って、そういうものなのだ。

 

(中略)

 

どしゃぶりの日だった。

雨の音にひたすら聴き入っていると、突然、部屋が消えたような気がした。

私はどしゃぶりの中にいた。

雨を聴くうちに、やがて私が雨そのものになって、先生の家の庭木に降っていた。

(「生きてる」って、こういうことだったのか!)

ザワザワッと鳥肌が立った。

お茶を続けているうち、そんな瞬間が、定額預金のように時々やってきた。

何か特別なことをしたわけではない。

どこにでもある二十代の人生を生き、平凡な三十代を生き、四十代を暮らしてきた。

その間に、自分でも気づかないうちに、一滴一滴、コップに水がたまっていたのだ。

コップがいっぱいになるまでは、なんの変化も起こらない。

やがていっぱいになって、表面張力で盛り上がった水面に、

ある日ある時、均衡を破る一滴が落ちる。

そのとたん、一気に水がコップの縁を流れ落ちたのだ。

 

(中略)

 

私は、道具の前後を間違えたり、濃茶用の「出し帛紗」を懐へ入れるのを忘れたり、

ボロボロと不注意を連発した。

からの柄杓から、ポタッ、ポタッと自然に雫が落ちるのを、じっと待っていられない。

水指から釜へ、釜から茶碗へ、柄杓が行き交う途中で、雫がやたらにポタポタ落ち、

畳をびしょびしょに濡らした。

「あなた、今どこか、よそへ行っちゃってるでしょ」

「?」

私には、先生の言っている意味がわからない。

「若いってことは、だめねえ。全然落ち着かない」

先生は独り言のようにつぶやいた。

「ちゃんと、ここにいなさい」

「……?」

「お釜の前に座ったら、ちゃんと、お釜の前にいるのよ」

 

(中略)

 

気がつくと、私はただただ黙々と濃茶を練っていた。

お釜の前に座って、抹茶を練る感覚に、その一碗を練ることだけに、

自分の「心」のすべてを傾けていた。

さっきまで、(お茶なんか、やってる場合じゃない)とじりじりし、

走り出したいような気持ちだったのに、焦りはいつの間にか、消えていた……。

その時、私はどこへも行かなかった。百パーセント、ここにいたのだ。

 

(中略)

 

私はいつもように、席に入り、床の間の掛け軸に目をやった。

「……」

それは、見たことのない掛け軸だった。

墨絵の達磨さんが、大きな目玉をギョロリとむいて、こっちを睨んでいる。

なんで今日は、達磨さんの掛け軸なんだろう。

「?」

私は答えを求めるように、先生の顔を見た。

「今日は、どんな掛け軸にしようかな、と思ったんだけど、

あなたが明日、だいじな試験だから、

そうだ、達磨さんに大きな目玉で睨んでもらおう、と思ったの。

……さ早く、お菓子お上がりなさいな」

「……」

「喉に熱いものが詰まって、なんだか、うまく返事ができなかった。

目の前の涙でくもりそうになって、あわてて、お辞儀しながら菓子器を取り上げた。

達磨さんには、「七転び八起き」「開運」という意味がある。

「喝を入れる」という意味も込められていたかもしれない。

掛け軸は、今の季節を表現する。けれど季節は、春夏秋冬だけではなかった。

人生にも、季節はあるのだった。

先生はその日、私の「正念場」の季節に合わせて、掛け軸をかけてくれたのだった。

夕暮れの稽古場で、釜が、シュンシュンと湯気を上げていた。

 

(中略)

 

茶碗から顔を上げた時、

私の細胞の間を緑の風がサーッと吹き抜けたような気持ち良さがあった。

後味で、唾液までもとろりと甘い。

(なんて幸せなんだろう)

お点前をしまいつけ(片づけること)、雪野さんが立ち上って、障子戸を開けた。

すると、廊下の向こうのガラス越しに、底の抜けたような青空が見えた。

高く高く吸い上げられてしまいそうな気がした。

(はーっ、気持ちいい)

その空に向かって、深呼吸と一緒に、自分をとき放した。

その時、自分の中で声がした。

「このままでいいじゃないか」

(え?)

「いつやめても、かまわない。

ただ、おいしいお茶を飲みにここに来る。

これまでだって、ずっとそうだった。

そのままで、いいじゃないか」

自分の中から聞こえるのに、空から降ってきたみたいだった。

「やめる」「やめない」なんて、どうでもいいのだ。

それは、「イエス」か「ノー」か、とはちがう。

ただ、「やめるまで、やめないでいる」それでいいのだ。

(そうだ、気がきかなくてもいい。頼りにならない先輩でもいい。

自分を人と比べない。私は、私のお茶をすればいいのだ)

背負っていた荷物を、私は放りだした。

ふっと、肩の力が抜けて身軽になった。

私は、体一つで、そこに座っていた。

(なぁんだ! これでいいのか)

 

(中略)

 

茶事の時、先生はよく言った。

「みなさん、真剣におやりなさいね。

茶事は、ご亭主もお客も、それが『一期一会』の茶事と思って、

心を入れてするものなんですからね」

「一期一会」とは、「一生に一度きり」という意味だ。

「たとえ何度も、同じ亭主と客が集まって茶事を開いたとしても、

今日と同じようには二度とならないのよ。

だから、一生に一度きりだと思って、その気持ちでやるんですよ」

私はいま一つピンとこなかった。

「同じ顔ぶれが集まっても、決して同じ会にはならない」

というのは、わかる気がする……。でも、食事とお茶の会に、

なぜ「一生に一度きり」とまで、思つめなければいけないのだろう?

「大袈裟だと思わない?」

お茶事の帰りに、ぶらぶらと歩きながら雪野さんに言った。すると、

「きっと、利休さんの生きていた時代もあるんじゃないかしら」

と彼女が言った。

千利休がお茶を体系化した安土桃山時代は、織田信長や豊臣秀吉の天下だった。

「昨日、元気だった友達が、今日殺されたなんてことがたぶんいっぱいあって、

この人に会うのも今日が最後になるかもしれない、

っていう切迫感がいつもあったんじゃない?」

「時代かあ」

利休は、天下人・秀吉の「茶頭」をつとめていた。

秀吉の逆鱗に触れて、弟子は惨殺されたし、最後は自分も切腹を命じられた。

誰かと会い、共に食べ、杯を交わし、

それが「一生一度」になることが、あまりにも多い時代だったのだろう。

「それに飛行機も電車も、電話もない時代だし、みんな歩いて行ったんでしょ?

人に会うっていうことが、今みたいに簡単じゃなかったのよ。

だからみんな、一度会って別れたら、また会えるかどうか、

本当にわからなかったんじゃないのかなあ」

現代に生きる私たちは(これが最後になるかも)などと思いはしない。

いつものようにいつもの場所で、「また来週ね」と、別れた。

 

(中略)

 

その週の金曜の夕方、机の上の電話が鳴った。

受話器をとると、ひどく取り乱した母の声だった。

「パパが、倒れたの! すぐ来て!」

「三日後の朝、父は一度も意識を取り戻すことのないまま、病院で息を引き取った。

「そうか。いいよ、いいよ。また会える」

あれが父とかわした最後の言葉になった。

倒れる日の朝、父が、

「明日は典子が来るから、竹の子ご飯にして、みんなで食べような」

と、楽しみにしていたと、病院で弟から聞いた。

私は白い壁にコンコンと頭をぶつけながら思いだそうとした。

(いつだっけ? 最後に家族で食卓を囲んだのは、いつだっけ?)

私は、急いで時間を駆け戻ろうとした。

過去に戻れると思っていた。そして、戻れないことを知った。

平凡で陳腐に思えた家族四人のだんらんは、二度と戻らないものになっていた。

その「二度と」という言葉の冷たさに、私は立ちすくんだ。

人間は、ある日を境に「二度と」会えなくなる時が必ずくるのだ……。

 

(中略)

 

会いたいと思ったら、会わなければいけない。

好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。

花が咲いたら、祝おう。

恋をしたら、溺れよう。

嬉しかったら、分かち合おう。

幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。

それがたぶん、人間にできる、あらんがぎりのことなのだ。

 

だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。

一期一会とは、そういうことなんだ……。

 

 

 

令和元年8月4日(日)

 

【編集後記】

 

「日日是好日」

今年、この本の映画が公開され、ぜひとも見たかったのですが、

タイミングが合わず見逃してしまいました。

 

時を経て、また改めて本をパラパラと読み直してみると、

まさに、この本に書いてある通り、

わかっていなかった〝別もの〟が、スーッと入ってきました。

 

なるほど。私も、少しは成長したのでしょうか。

 

小説は抜粋箇所が選びにくいため、ご紹介するケースは少ないのですが、

今回は、「うーん、なるほどぉ」「ああ、これは深い」

「おお、これはすごい!これも、これも」

と、皆さんへお伝えしたい抜粋箇所を、

たくさん見つけることができました。

 

まさに、このメルマガ配信も「一期一会」ですね。

今日、この配信が「最期」かもしれません。

(私にも、いつ何があるか、わかりませんから)

 

ということで、しばらくの間「さようなら」

来週と再来週は、配信をお休みします。

 

皆さんも、夏季休暇の時期かと思いますし…、

実は、次の新刊の原稿が遅れ気味でございまして。

(先週の9連休も、ダラダラとあまり執筆が進まず…)

 

そろそろ集中しようかと、決意を新たにしたところです。

「いま、ここにいる」という境地で…)

 

 

それではまた、次号をお楽しみに!

素敵な「真夏のバカンス」を!

 

 

本日も最後までお読みいただきまして、

ありがとうございました。

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早川勝

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