【883号】目的なき人生を生きる とかく人生はやかましい。人生ずっとは、がんばれない。

2018-11-04

 

 

「6刷目の増刷」決定の吉報が入りました!

『営業の鬼100則』は、これで「2万部」突破です‼

http://tsuitel.in/books/index.html

2万部という第一関門のバーをクリアでき、まずはホッとしています。

皆さまの応援のおかげです。本当にありがとうございます。

 

過去12作の拙著のなかで最も売れた、

「死ぬ気で働いたあとの世界を君は見たくないか」

「死ぬ気で働くリーダーにだけ人はついてくる」

(死ぬ気シリーズ4部作のパート「1」と「2」)http://tsuitel.in/books

を超えそうな勢いがついてきました。

『営業の鬼100則』は、まだ発売されて2ヶ月も経っていませんので、

初速ペースだけでみれば、死ぬ気シリーズを上回る売れ行き

まだまだ多くの読者のもとへ広がっていくのではと、期待に胸を膨らませています。

次なる目標は、死ぬ気シリーズを超える6万部突破!

そして死ぬまでには「100万部」突破のミリオンセラーを成し遂げたい!

と決意も新たな今日この頃。

 

「調子に乗るな」「浮かれるな」とお叱りを受けそうですが、

それが私の人生最大の夢。どうかお許しくださいませ。

 

土日は一歩も外に出ず、遊びの誘いはことごとく断り、

一年中の休日すべてを執筆に捧げています。

皆さんが旅行を楽しんだり、行楽やバーベキューに興じている間に、

私は部屋に引きこもり、「執筆」に没頭しているわけです。

(昼食は、部屋に運ばれてきて→食後は、空いた食器のトレイをドアの外に)

十年前に、ゴルフも一切やめ、キッパリと競馬もやめました。

最近は、家族でお出かけ、というのもほぼ皆無です。

(誕生日や記念日に、近所で外食する程度)

 

平日は、組織のミッションを担って全国を飛び回る多忙な日々…。

その疲れを癒すのは、休息やバカンスではなく、執筆への情熱なのです。

 

夢に向かって「重版」に浮かれている私ですが、

どうか、広い心で大目に見てもらえたらと思います。

 

 

 

以上、前置きはここまでといたしまして、

メインコンテンツに入ります。

 

本号も、お薦め書籍(685冊目)として、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

 

この本、深くてなかなか面白い。

 

本日のテーマは、【倫理学・満員電車の神社】です。

 

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.685

『目的なき人生を生きる』

とかく人生はやかましい。

人生ずっとは、がんばれない。

『小さな倫理学』の倫理学者による、解放の哲学

人生を意味だらけだと思うと、

「つまずきの石」につまずく。

死ぬまで競争? 勘弁して。自己実現など、小賢しい。

終活、就活、余計なお世話。

それでも世間はやかましい。

社会に煽られ、急かされ続ける人生を、

一体いつまで過ごせばいいのか。

「人生に目的はない」。

そう考えた方が豊かな人生が過ごせると、

“反倫理”を倫理学者が真面目に提示する。

山内志朗 著

角川新書

 

 

人間の基本的本性が利他心に溢れるものだったら、

人間世界は争いも少なくなって、もっと生きやすいはずなのに、とつくづく思う。

しかし、現実には、国家や民族の間で憎悪まみれの殺し合いは起こるし、

住宅でも隣同士で諍いが起こるのは日常茶飯事である。

 

利己心やエゴイズムや攻撃性を否定するのが、倫理学ということになっている。

だが、人間の本性が、敵対するものを倒すことによって生き延びることを

含んでいるとすると見え方は異なってくる。

だからこそ、人間の本性についての性善説とか性悪説とかいう整理を見ると、

倫理学的猫じゃらしに見えてきて、不愉快になってしまう。

 

敵対するものへの攻撃を本質とする心のあり方が「政治的なもの」であり、

そこに人間の本質はあり、人間を行動に駆り立てるのだ、という捉え方がある。

政治学者カール・シュミットの主張だった。

 

「幸せ」を求めるとなると、具体的にどう行動すればよいのか、

段取りが見えてくるわけではない。

ところが、敵を倒すためにどうすればよいのかとなると、

人間は頭も行動も機敏になって、そのやり方はとたんに具体的に分かりやすくなる。

 

「政治的なもの」を踏まえた行動指針の方がずっと分かりやすいのだ。

幸せになるのは苦手でも、いじめるのは得意で上手なのだ。

 

世の中ではアグレッシブな人間ほど行動的であり、

他者との関係を築くことに長けている。多くの人と知り合いである。

人間好きとは、権力関係の顕示であり、

知り合いが多いのは、権力の大きさを示すことになる。

 

他者を破壊し、食糧として食べてしまおうとする攻撃性は、

人間のように食糧を確保する技術を豊富に持った生き物はあまり発揮しなくてもよい。

養殖漁業でも農業でも飲食店でも、破壊性としての攻撃性は必要でない。

他者を巻き込むための攻撃性が、アグレッシブということだ。

 

そして、その根っこにある攻撃性を忠実に残している文化的営為が「笑う」ということだ。

集団の中で、一番大声で笑うのは、一番権力を持っている者である。

つまらないダジャレでオヤジが笑うとき、権力者の笑いこそ、一番大声であり、

笑うことの強制を含んでいるのだ。

これを見ると、笑いの権力論的構造がよく分かる。

テレビのお笑い番組は、権力を学ぶための家庭内学習、宿題みたいなものだ。

 

人間の攻撃性と暴力性に対して、見て見ないふりをして、

善意や隣人愛だけ語っていても、それは善意や悪意を搾取・濫用・収奪することで、

自己の利益を増やし、自分だけ肥え太ろうとする人間本性を放し飼いにすることになる。

 

「悪」もまた贈り物であり、その制御を目指すことこそ、求められる道なのだ。

悪しか見ない倫理学が暴虐だとすれば、

善しか見ない倫理学は脆弱に過ぎるのである。

 

(中略)

 

ここは朝のラッシュアワーのプラットホーム。

満員電車のドアが開く。この人混みはいったい何だ。

こういう事態に慣れ親しんではならないと自分を戒める。異常な事態だから。

後ろからはアタッシュケースに角にお尻をつつかれ、

前からは膨れ上がったバックパックに顔を殴られる。

つり革をつかみ取ろうとする無数の肘によるエルボーパンチ。

私は身も心もフラフラになる。

 

心は体をさまよい抜けて空想を始める。

「わが身よりあくがれ出づる魂」の登場である。

人々がゾロゾロと降りてくる。そしてその入口の両端に人々が待ち構え、

降りるのが終わると人々が列をなして乗り込んでいく。

 

この光景はどこか別のところで見たことがある。

そうだ。初詣のときだ。

人混みと押し合いへし合い、人間だらけだ。

満員電車のドアが開いた様子は、大きな神社へと続く参道のようだ。

入口のところにはコマ犬がいる。

じっと動かず、出る人にも入る人にもジャマになるように鎮座している。

入口の両脇の手すりを握ったまま、絶対離さないぞとしがみついている。

コマ犬の優先地域を担う人は車内にも車外にも溢れている。

 

ときには参道の真ん中に仁王様が立っている。

流れに逆らい降りる人の流れをせき止め、

今度は乗る人の流れもせき止めるのだから、仁王様としては勤勉である。

しかも、電車の乗り降りを、通勤通学者のために修行の場にしているのだから、

合掌してお参りするべきだ。

 

さらに楽しいことには、電車の中には哲学ファンがたくさんいるようだ。

なにしろ、一度手にした物は手すりであろうと離さない人々をたくさん発見できるからだ。

その一つに「スピノザのつり革」がある。

哲学者のスピノザの『エチカ』には、コナトゥスの説明として、

「いかなる事物もそれ自体である限り、自らの存在を維持し続けようとする」

(スピノザ『エチカ』第三部定理六)とある。

『エチカ』の説明を読むと難しそうだが、

要するに、つり革も一度手にしたら話したがらない、ということだ。

これが「スピノザのつり革」である。

その奪い合いを肘で頭を殴られないようによけながら、じっくり鑑賞しようではないか。

 

ともかくも人間的環境を逸脱したとしか思えない朝の満員電車も、

霊場巡りの一種と考えれば、

霊場巡りを趣味とする身には少しはその時間を楽しむ術が見つかる。

 

(中略)

 

朝方、品川駅のホームで、二人の女性が、

「殴っただろ、謝れ」「何をいいがかりつける!」とつかみあいののけんかをしていた。

これが、こういうことのあふれている場所が都会だ。

都会は孤独で暴力的だ。言葉で打倒し仕留める、狩人型言葉攻撃があった。

言葉による「瞬殺」、それが都会の狩人達の目標だ。

 

夜遅く酔っ払いの二人がすれ違いざまにぶつかって、無言のまま殴り合い、

二人とも線路に落ちてさあ大変、という光景も見たことがある。

 

駅の雑踏を静かな羊の群れと見てはいけないことを何度も習った。

 

人間は一人一人が神社みたいなものだ。

 

個人の尊厳という言い方はあるが、

これは軽んじれば祟りがあるということだ。

 

朝のラッシュの電車は、神様で満員の乗り合い電車ということなのだろう。

 

「触らぬ神に祟りなし」という諺がある。

朝のラッシュに当てはまりそうだ。

 

満員電車は形而上学の教室だ。見よ!

 

 

(中略)

 

目の前に大きな箱が出され、

「この箱の中には或る食べ物が入っています。何だか教えません。

それでは、あなたはそれを食べたいと思いなさい」

と言われて、旺盛な食欲を持つことができるのか。

「がんばって生きよう」という掛け声には、同じような響きがある。

欲望を駆り立てる流れは「好き好き大嫌い」という道筋を通りやすい。

あれほど好きだった気持ちが途中で大嫌いに転じてしまう。

 

幸せも同じようなところがある。

「幸せですか」という問いは、自分に対してであれ、ほかの人に対してであれ、

それほど頻繁になされるとは思えないが、珍しいものではないだろう。

しかし、幸せでないことから、幸せに変わっていくことは、

ツベルクリン反応が陰性から陽性に、否定から肯定に転じることではない。

 

「幸せですか」という問いの答えが、「はい」か「いいえ」か二つに一つだと考えるのは、

倫理学を日常生活に適用することが合理性の涵養向上に資すると考える、

論理屋さんだろう。

 

正しい答えは「幸せだけれど、幸せでない」ということしかないと私は思う。

 

すべての面で満ち足りていて、不満がなくて、

ありとあらゆる点で幸せだというのであれば、生きていても仕方がない。

それ以上よくなることはないから、それからどんどん不幸になっていくから、

結局生きている必要はないかもしれない。

 

「幸せ」とは、目指されるべき理想的状態というよりも、

今進んでいる道筋、その進み方について、このままでよいのか、問題点はあるのか、

その問題点をどうすべきなのかといった、現状の評価と今後の方向性を示す目印なのだ。

 

倫理学において、「徳」という概念が持ち出されるが、

これまた理想的到達点ではなく、現状を評価調整するための指標なのだ。

 

 

 

2018年11月4日(日)

 

【編集後記】

ソフトバンクが日本シリーズを制覇しましたね!

ホークスファンの皆さま、誠におめでとうございます。

私の予想通り、リーグ2位の球団が制する下剋上シリーズとなりました。

 

カープファンは残念無念。結局、平成30年間で一度も日本一になれず…。

今年もまた、ペナントレースでの勢いを生かすことができませんでした。

そう、チームの武器である「機動力」を封じられたのが「敗因」です。

 

「8度の盗塁を試みてすべてが失敗!」というのはシリーズ新記録らしい。

ホークスの甲斐捕手の「鬼肩」はもの凄かったですよねー(6連続アウト)。

まさに〝甲斐キャノン〟炸裂でした!

甲斐選手の打撃成績は、たった2安打の打率1割4分という低打率で、

しかも、打点は「0」であったにもかかわらず、

守備だけで「MVP」を獲得したことからも、

どれだけ大きな貢献度であったのかを計り知ることができます。

 

甲斐選手は大分の楊志館高校から「育成ドラフト6位」で指名された無名の捕手

その無名の逸材を発掘したスカウトの眼力こそが、

チームを日本シリーズ制覇へと導いた大きな要因であったと言えるでしょう。

 

ドラフトどころか育成ドラフトにおいても下位まで指名されなかった、

いわゆる「どこの球団からも相手にされなかった選手」ということです。

 

支配下登録されるまでに(百番台の背番号で)3年を擁しましたが、

まさに「育成」され、その実力がこうして開花したわけです。

 

やはり、どの組織にとっても、大事なのは、

「スカウト(採用)」と「育成(教育)」ですね!

 

 

では、また来週号をお楽しみに!

 

本日も最後までお読みいただきまして、

ありがとうございました。

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早川勝

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