早川勝メール【774号】大放言 炎上覚悟。

2016-01-10

 

新年号のご挨拶が遅くなりました。

謹んで新春のお喜びを申し上げます。

旧年中は一方ならぬ お引き立てを賜りまして、

誠にありがとうございました。

 

本年も、相変わらぬメルマガのご愛読、 宜しくお願い申し上げます。

毎号、長文にて大変恐縮ではございますが、

皆さまの人生がより豊かになるような「名著の紹介」と

自由奔放でユニークな「前置き文を配信」してまいる所存です

 

そして今年は読者ファンの皆さまとのご縁をより深めていけるよう

なお一層、「執筆」に励む年にしたいと思っております。

ゴルフクラブやスキーの道具は捨てました。
休日のすべては執筆活動に捧げます。

 

次なる出版オファーは、節目となる10作品目
新境地に挑戦中です。

年末年始より「目指せ!ドラマ化、映画化!」をスローガンに、

ストーリーものを書き始めましたが、

おかげさまで関係各所の評判も上々でございまして

この調子で完成に至りましたら面白い本になりそうです。

 

今年も「死ぬ気」で邁進いたします。

http://tsuitel.in/books/index.html

 

 

一方で、今年は一企業人としても明確なミッションを背負い、

パッションみなぎる初春を迎えています

業界の歴史にイノベーションを起こす元年となることでしょう。

 

乞うご期待です。

 

 

と、新年のご挨拶は、これくらいとさせていただきまして、

今年最初のメインコンテンツに入ります。

 

今週も、お薦め書籍(636冊目)の中から、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、

【やればできる子?】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓

私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.636

『大放言』

大マスコミ、バカな若者、無能な政治家、偽善の言論……
炎上覚悟。

百田尚樹著  新潮新書

http://xtw.me/XC3XEO1

 

 

私の友人に小学校の教師がいる。

先日、彼から興味深い話を聞いた。

その時、彼から教えてもらった会話を紹介しよう。

 

彼と彼が担任する小学校六年生の男の子の会話だ。

 

「○○君は、将来、何になりたいんや?」

「俺? MLBに行ってイチローみたいなプレーヤーになることかな」

(今どきの子は教師相手にも「俺」と言うのを知って驚いた)

「大きな夢を持っているな。そやけど、○○君は野球クラブに入っていないやないか」

「それがどうしたん?」

「イチローになりたいんやったら、野球をやらなあかんのと違うか?」

「それはそうや。そのうちにやろうと思ってる」

「イチローになりたいんやったら、

今、やらなあかんと違うか」

「俺、多分、やればできるような気がするんや」

 

私はその話を聞いて思わず吹き出してしまった。

あんまり面白いので、

コントの台本に使わせてもらおうと思ったほどだ。

 

しかし友人の教師は笑わなかった。

「最近こういう子が増えてるんや。低学年ならおかしくもない。

でも六年生にもなって本気でこんなことを考えてる子がどんどん増えている。

何もできないのに夢だけは大きな子。

そういう子たちに共通するのは

『自分はやればできる子』と思ってることや」

 

彼は続けた。

「そういう子たちの親もやっぱり同じことを思っていて、

保護者面談なんかで話していると、

全然勉強ができないのに、

『先生、この子はね、やればできるんですの』と言う」

 

「めちゃくちゃ都合のええ言葉やな」

 

「そう。しかしこの言葉は、ぼくら教師自身もよく言うセリフなんや。

ぼくらは勉強ができない子に対しては、

何とか自信を持ってもらおうと

『君はできない子やない。やればできる子なんだから』

と言い続ける。

ところが、そういう言葉を耳にし続けた子の中に、

『よし、それじゃあ頑張ってみるか』

と発奮する子はほとんどいなくて、

逆に多くの子が

『俺は今はできないけど、やればできるんだ』

と思い込む」

 

「根拠のない自信だけを身に付けるわけやな」

 

「そうなんや。昔は小学校の成績表というのは相対評価やったから、

できない子は自分がクラスのどの位置にいるのか嫌でも知らされた。

その分、劣等感も大きかったと思うが。

だけど今の小学校は絶対評価だし、

その上、通知表に『できない』という評価は

よほどの場合じゃないとつけない。

だからできない子も自分がどれだけできないのか

自覚のないまま大きくなっていく。

で、周囲の人からは『君はやればできる子だから』と言われ続けて、

自信だけは優等生なみに持っている。始末に負えんよ」

 

彼の話を聞いていて、

そう言えば私の周りにもそういう若者が増えているのに気付いた。

何の実績もキャリアもないのに、

妙な自信だけはある若者たちだ。

そのくせ、何にも本気で取り組まないし、がむしゃらにもならない。

恥ずかしながら、実はかつての私もそうだった。

「自分はやればできる」というのは魔法の言葉だ。

この言葉を常に心に持っていれば、どんな逆境にも耐えられる。

「できない自分」に直面しても、

「駄目な自分」の姿を見せつけられても、

心底落ち込むことはない。落ち込んでも、

「俺はやればできるんだから」と呟けば、

たちどころに勇気が湧き、強い自分を取り戻すことができるのだ。

 

そして自分よりも上にいる人間を見ても、

大きな敗北感を感じることなく、

「こいつら、これだけ頑張ってもこの程度か。

俺ならこの努力の半分くらいで、これより上に行ってみせる」

とも思えてしまう。

 

すると彼の中の劣等感はたちまち霧散し、

逆に根拠のない自信がふくらみ、

まるで自分が能ある鷹のようにさえ思えてくる。

 

しかしこの魔法の言葉が効果を持ち続けるためには、

ある条件が必要だ。

 

その条件とは、「実際にやってはいけない」ということだ。

 

懸命に努力して、あるいは必死で挑戦して、

もしできなかったら――その場合は、とんでもないことになる。

 

冒頭の会話で出てきた少年が

実際に野球をやったとしたらと考えてもらいたい。

おそらく「やればできる」という彼の中の絶対不変の真理が

音を立てて崩れていくに違いない。

 

長い間、自分を支えていた最高の神殿が、

実はハリボテのセットだったことに気付いてしまうことになる。

 

こうなってはおしまいだ。

だから彼らはそんな事態が決して起きないように巧妙に逃れる。

 

何かを必死になってすることはなく、

常に何らかの言い訳を用意することになる。

つまりできなかった時の自己弁護だ。

 

上司や先輩に無能よばわりされた若者は、

たいてい心の中でこう言う。

「俺はまだ本気を出していない」

「俺がやるようなことではなかった」――と。

(中略)

あまりにも当たり前のことなので、言うのも気が引けるが、

「やればできる」という言葉は、

「やればできた」者が言う言葉だと思う。

 

過去に頑張った結果、

あることを達成した経験のある者だけが口にできる言葉なのだ。

 

人は努力を重ねることで、

どれだけ「やれば」どれだけ「できる」かということを体で覚えていく。

 

「やればできる」という自覚と

他からの評価はそうやってできていくものだと思う。

 

あるいは一度でも実力の片鱗を見せた者なら

そう思う資格もある。

おかしなことを言うようだが、

亀との競争に負けて落ち込んでいるウサギになら、

「君はやればできるんだから」

という言葉を掛けてもいいかもしれない。

 

世の親や教師に言いたい。

何もやったことのない子に

「やればできる」と言うのはやめようではないか。

 

彼らに言うべきことは、

「やらないのは、できないのと同じだ」

という言葉だと思う。

 

もうこれ以上、日本にバカを増やしてほしくない。

 

 

2016年1月10日(日)

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早川勝

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