早川勝メール【771号】「正義」は決められるのか? 5人を助けるために1人の命を奪うことは許される!?

2015-12-06

 

週末、元部下と祝杯を上げた。

かつては共に営業現場の最前線で奮闘した盟友である。

来年以降、新たにパートナーを組むことが決まり、

「望念会」と称して、戦略会議を開くことにしたのだ。

 

ところが、年末の金曜日である。

気の利いた店はどこも満杯で入れない。

 

繁華街の真ん中で途方に暮れていると、

客引きのオニイチャンから、

「お店をお探しですか?」と声をかけられた。

 

たしかにその通りだったのだが、

私の経験上、客引きをしている居酒屋でいい思いをした記憶がない。

たいていは期待外れだ。

まずい、高い、汚い、臭い、狭い、遠い、態度が悪い、あやしい、という店がほとんどである。

 

ましてや、この繁忙期に客に声を掛けないと席が埋まらない不人気店など、

「ついていってはいけない」に決まっている。

 

私は、客引きのオニイチャンに上記の理由を並べ立て、きっぱりと断った。

 

しかし、オニイチャンの切り返しトークは見事だった。

 

爽やかな笑顔と情熱的なオーラを放ちながら、

「もし、まずかったらお代はいりません!」

と、自信満々に言い切ったのだ。

 

「いやー、でも、信じられないなぁ」

と、その場から立ち去ろうとすると、

 

「ホントに約束します。私は店長ですから!」

と信頼度をアピールし、私の目の前に立ちはだかった。

 

「でも、遠くのあやしい店まで連れて行くんじゃないの?」

と言って、私が突き放すと、

 

「すぐ近くです。ここから、徒歩“18秒”で着きます!」

と、ユニークな切り返しで私を笑わせた。

 

間髪入れずに、「今なら、広めの半個室がたった一つだけ空いています!」

と魅力的なクロージング。

 

何軒ものの店から「満杯です」と断られてきた私は、

ぐらぐらっと気持ちが傾きかけた。

 

さらに畳みかけるように、

「北海道からさっき届いたばかりの“伝説の珍味”を特別にサービスします」

「なんでも飲み放題を特別に1500円にします」

「特別に時間も大幅延長します」

と、「特別」のオンパレードで、追い打ちをかけてくる。

 

「でも、ひとつだけ問題があって…。ガヤガヤと騒がしいのですが…」

と、デメリットも伝え、安心させることも忘れない。

さすがだ。

といっても、居酒屋がやかましいのは当たり前なのだが…。

 

などとやり取りをしているうちに、

いつのまにか、私たちは、店の前に誘導されていた。

 

なかなかのやり手である。

 

魔法のような彼の手腕に感心しつつ、

もう腹を決めて、恐る恐る地下1階のお店に入ってみると…。

 

その結果……、

 

サービス満点、

コストパフォーマンスの高い、

すこぶる「優良店」だった。

 

こんなことってあるのか。

 

この年末に、なんというラッキーだったのだろう。

 

うーん、 来年も「ツイてる年」になりそう。

 

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と、前置きはこれくらいにして、
そろそろメインコンテンツに入ります。

 

今週も、お薦め書籍(633冊目)の中から、

ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、

【倫理的ジレンマ】です。

お役に立ちましたら幸いです。

それでは、どうぞ!

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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ  No.633

『「正義」は決められるのか?』

トロッコ問題で考える哲学入門

5人を助けるために1人の命を奪うことは許される!?

倫理的ジレンマ問題を解決する言葉と論理スキルの磨き方!

トーマス・カスカート=著

小川仁志=監訳 高橋璃子=訳

かんき出版

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今から50年ほど前、

イギリスの哲学雑誌にひとつの思考実験が掲載された。

これが意外なほどの反響を呼び、

学生や研究者の世界にとどまらず、

お茶の間や大衆雑誌をも賑わせる一大ブームとなった。

いわゆる「トロッコ問題(路面電車問題)」と呼ばれるものだ。

 

トロッコ問題はそれ自体ひとつのジャンルとなり、

哲学だけでなく心理学や神経科学などの論客を巻き込みながら

今も発展しつづけている。

フィリッパ・フットが1967年に考案したオリジナルのトロッコ問題は、

ごくシンプルなものだった。

 

暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。

このままいくと、電車は5人全員をひき殺してしまう

(5人は何らかの理由で線路から逃げることができない)。

 

一方、もしも電車の進行方向を変えて退避線に向ければ、

そこにいる1人の人間を引き殺すだけですむ。

 

さて、路面電車の運転手はそのまま何もせず

5人の作業員に突っ込むべきか、

それとも向きを変えて1人の人間を引き殺すべきか?

 

フットはさらに問う。

ここで1人を犠牲にすることは、

人の病人を救うために1人の人間を殺して

その血液から血清をつくるのと何が違うのか?

 

たいていの人は、犠牲者の数を減らすために

電車の進路を変えるのは正当な行為だと感じる。

 

だが血清をつくるためにわざわざ誰かを殺すのは、

間違った行為だと感じる。

 

フットはそこに興味を持った。

なぜ一方は正しくて、

もう一方は間違っていると感じるのだろう?

 

1985年になると、

アメリカの哲学者ジュディス・ジャーヴィス・トムソンが

この問題の新しいバージョンを作成した。

 

今度は、暴走する路面電車をあなたが目撃しているとする。

しかもすぐそばには、

電車の進行方向を変えるための切り替えスイッチがある。

あなたが何もしなければ、

電車はそのまま突き進んで5人の人間を引き殺す。

一方、切り替えスイッチを操作して電車を退避線に向ければ、

犠牲者は退避線にいる1人だけですむ。

 

この新たな問題のポイントは、

運転手ではなくただの目撃者であるという点だ。

 

運転手にはどちらかを選ぶ権利があるが、

目撃者にはその責任がない。

 

もちろん運転手だって「何もしない」ことはできる。

しかし運転手の仕事は電車を正しく進ませることだから、

電車の進行方向に無関心でいることはできない。

何もしなくても巻き込まれざるをえないということだ。

 

目撃者の場合はそうではなく、

自分で選ばないかぎり何かをする必要はない。

 

さて、暴走する路面電車を目撃したあなたは、

何もせずに成り行きにまかせるべきだろうか。

 

それとも切り替えスイッチを動かして、

5人を救い1人を死なせるべきだろうか?

 

この2種類のトロッコ問題は、

その後も多くの哲学者によってさまざまに拡張されてきた。

もっともよく知られているのは、

目撃者が歩道橋の上にいるパターンだ。

 

あなたは路面電車の線路をまたぐ歩道橋の上に立っている。

前方から暴走する路面電車がやってくる。

近くに切り替えスイッチはないし、退避線も存在しない。

線路は歩道橋の下をまっすぐに延びていて、

その先に5人の作業員がいる。

何もしなければ、5人全員が電車にひかれて死ぬだろう。

5人の命を救うためには、

何か重いものを線路上に落として電車を止めるしかない。

近くにある重いものといえば、あなたの隣にいる太った男だけだ。

 

さて、あなたは5人の命を救うために、

太った男を突き落すべきだろうか。

 

それは退避線にいた1人を犠牲にするのと、

本質的には同じ行動なのだろうか?

 

この問題には多くの哲学者や心理学者、脳科学者らが頭を悩ませてきた。

なぜ切り替えスイッチを動かすことはよくて、

太った男を突き落すことは悪いと感じるのか。

そこにはどんな違いがあるのか。

いや、そもそも両者は本当に異なっているのだろうか?

 

こうして謎は深まり、謎を解くためにさらなるパターンか考案され、

トロッコ問題をめぐる議論は

巨大な迷路のように錯綜し膨張しつづけている。

 

哲学者のなかには、そんな思考実験に意味があるのか

と疑問の声を上げる人もいる。

現実の意思決定はもっと複雑で奥深いものだし、

5人が1人かという状況設定にはあまりにも無理があるというのだ。

 

だがその一方で、設定が単純だからこそ、

複雑な意思決定の本質をクリアに描きだせるのだという意見もある。

 

 

(中略)

 

 

「誰が何といおうと自分の意見は正しい」

という思考に陥っている人はいないでしょうか。

 

まあ実際、自分の感覚を信じることが

倫理的判断には必要なのかもしれません。

法廷としてはそこに口出しするつもりはありません。

 

しかし「誰が何といおうと」

という思考は疑ってかかったほうがいいでしょう。

 

昨夜は正しいと思えたことが、

今朝になって間違っている気がすることはよくあります。

 

これまでの議論を今一度確認し、

できるだけ自分の意見を論理的に検証していただきたいところです。

 

それではみなさん、どうぞ評議に入ってください。

 

 

(中略)

 

 

トロッコ問題はたしかに極端なシナリオかもしれない。

だが、それを現実と比較して吟味することにより、

現実の見え方は確実に違ってくるはずだ。

 

たとえ目の前の問題とあまり似ていなかったとしても、

「最大多数の最大幸福」対「個人の権利」という構図を知っておけば、

より的を射た議論が可能になると思われる。

 

深い思考は時に、

当たり前に思えた世界のまったく違った姿を見せてくれる。

奴隷制度の廃止は、ある種の直感がくつがえされた好例だ。

 

また現在、結婚に対する直感的な見方が大きく変わろうとしている。

平等や公平という観点から、

同性婚を認めようという動きがどんどん広がっている。

 

あなたの目の前にも、

暴走する路面電車がやってくるかもしれない。

 

どう決断するかはあなたの自由だ。

 

だが決断の理由を訊かれたら、

明確に答えられるようにしておこう。

 

 

 

2015年12月6日

 

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早川勝

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