早川勝メール【748号】小さな幸せ46こ 最悪の思い出も、いつか最高になる

2015-04-19

 

私たちの日常生活において、
今まで何の疑問も感じることなく、
習慣化されていることって多い気がします。

朝の歯磨きは、寝起きにするか、
はたまた、朝食後にするのか、
それとも、両方か。
というのは、人それぞれでしょう。

では、
シャンプーとトリートメントの順番、
あなたはどちらが先でしょうか?

えっ?!
「はじめにシャンプーをしてから
仕上げにトリートメントするのが当たり前でしょ」、
ですって?!

まあ、一般的にはそうですよね、きっと。

私も昔はそうでした。

しかし、一説によると、
髪にやさしい洗髪の順番というのは、

先にトリートメントをして、
最後にシャンプーで仕上げるのが「裏ワザ」なんだそうです。

あなたはご存知でしたか?

そうでしたか。
なら、よかった…。

私の場合、
この方法を散髪屋のマスターに勧められ、
試しに順番を変えてみたのですが、

たしかにトリートメントを先にしたほうが、
髪の傷みも少なく、
サラサラ・ツヤツヤ感が保てるようになりました。

化学的な根拠は忘れてしまったのですが、
たしか、こんな解説だったかと思います。

髪は水に濡らすだけで無防備に開く、
シャンプーすると酸性になり痛んで髪が閉じる、
そこへトリートメントをしても髪の芯まで浸透しない、
そして、キューティクルが失われていく…。
だから、先にトリートメントをして髪を守ってあげ、
次にシャンプーで丁寧に洗うのだと。

実際の効果の是非については、
それぞれ賛否両論があるのかもしれませんが、
マスターの「力説」に影響され、
騙されたと思って試してみたところ…、

明らかに髪質が変わりました。

どうやら、この順番のほうが、
「髪の元気」が失われないようです。

そのおかけでなんとか、
こうして50代を迎えた今となっても、
パワフルな髪質を保てているもかもしれません。

アドバイスをくれたマスターには感謝・感謝、
私にとっての“髪様”仏様です。

ぜひ、あなたも試してみたらいかがでしょうか?

 

 

と、本日の前置きはこれくらいにして、
メインコンテンツに入ります。

今週も新たに621冊目の「お薦め書籍」から
ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、
【近くにいる】
です。

お役に立ちましたら幸いです。
それでは、どうぞ!
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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.621
「小さな幸せ46こ」
最悪の思い出も、いつか最高になる
よしもとばなな著
中央公論新社

 

両親が亡くなったとき、
信頼できるふたりの友人に
全く同じことを言われた。

「今はほんとうにつらいと思うけれど、
あるときから、亡くなった人と自分は
ほんとうに共に生きているとわかるようになる。
実感としてここにいる、と思うようになる。
自分の中にいるという感覚に近い。
それでほんとうに納得することができるし、
実際に会えない淋しさがなくなることはないが、
あまりにも今いっしょに、思い出とかではなく
まさにここにいる感じがするから淋しくなくなる。
時間がたてばたつほど、
共に生きているということが
理屈ではなくわかるようになるものなんだ」

そのふたりはもちろん互いに知り合いではないし、
私がどちらかの言っていることを
どちらかに話したわけでもない。

突然に同じことをふたりから
別々の場面で力説しだしたので、
動揺するほどだった。

そのときは私もまだ
両親がいないことにが〜んとなっていたので、

「それって、思い出したときにはその人の面影は
いつも自分の中にいるっていうことなのかなあ」
などと思っていた。

でも、ふたりの力説の中には
なにか違うものがあった。

うまく言い表せないけれど、
こうなんだってば!みたいな感じの、
もどかしいような雰囲気だった。

私はなんとなく
「これはほんとうに体験しないと
わからない類いの感覚に違いない」
と思い、そのまま胸にしまっておいた。

今も実家に行くたび、
両親の不在ばかりを感じる。

たまに父が這って歩いていた廊下を這ってみる。
父の気持ちがわかる気がするし、
そこに父の面影がしみこんでいるような気がする。

お茶をいれてお仏壇に供えてみる。
おいしいお茶をいれると
喜んでくれた父の姿を思い出す。

母のベッドを訪ねてみる。
母が寝ていたままにそこにあり、
今にも会えそうな気がする。

ベッドの隣に座り、
前にそうしていたように時間を過ごしてみる。
話しかけたら答えが返ってきそうに思う。

しかしそこにあるのは淋しさだけだ。

どんどん薄れていく面影に、
時間の経過が悲しくせまってくるだけだ。

でもこれではどうも
あの人たちの言っていたこととは違う気がする、
そう思っていた。

ひょんなことから、
両親といつも通っていた西伊豆の旅館を
訪ねることになった。

両親が歩けなくなってからずっと行ってないので、
もう五年くらい行っていなかった場所だった。

もっともっと淋しい気持ちになるはずだった。

その旅館は私が小学生くらいのときから泊まっているので、
そのときと変わらない部屋や廊下やトイレがそのままある。

その旅館が新しくオープンしたとき、
それからはずっとなじみになった家族のための大きな部屋に
初めて通された幼い日のことを覚えている。

今はすっかり古びた机も
そのときはぴかぴかの新品だった。

両親はお茶を飲んでくつろぎ、
姉と私はお菓子を食べていた。

まだ旅行に行くときの日本人がジャケットを着て
きっちりとしたかっこうをしていた頃のことだ。

いちばん元気で楽しそうだった頃の
家族の思い出がこもっていて、
思い出すだけでつらい場所なんだから、
行ったらもっとつらいだろうと思っていた。

でも、そんなことはなかった。

それが土地の力なのか、
思い出の厚みなのか、
全くわからない。

着いたとたんに海に山に温泉にそして宿や宿の人たちに
温かく迎えられているのを感じた。

そしてそれに伴って
両親が若いときの姿で
いっしょににこにこと喜んでいる感じが
胸にせまってきた。

しかもそれは私の上でもなく隣でもない、
胸の奥から両親の気配が
湧きだしてくるような感じなのだった。

またここに来ることができたことを
両親はとても喜んでいる、
と確信できた。

それは思い出の中の両親ではなかった。

私と共に生きている両親の魂みたいなものが、
たった今喜びを伝えてきている、

そうとしかいえない感覚だった。

思い過ごしの類いでもなく、
そうであってほしいというものでもなく、
身体感覚として生々しく感じられた。

ああ、そうか、このことだったのか、
あの人たちが言っていたのは。

と、やっとほんとうに理解できるようになった。

これからどんどんこんな時間が増えていくのだとしたら、
そのことをかつての私は知らなかったことになる。

この年齢になって初めて知ることであり、
みんなうまく言い表せないだけで
たいていの人が感じている感覚なのだとしたら、
すばらしいと思った。

流れの中に救いはたくさん用意されているのだ。

 

 

2015年4月19日(日)

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