早川勝メール【747号】「自分」の壁 “自分探し”なんてやめなさい

2015-04-12

 

先日、S生命のWさんよりメールが届き、
ある「クイズ」を出題してくれました。

私への「挑戦状」ですね。

◎クイズ

さて、問題です。
「ツイテル」の反対語は何でしょうか?

ヒント
「ツイテナイ」ではありません。

うーん、
なんでしょうか。

どこかで聞いたことがあるような…。

私は迷いました。

簡単なようで、意外と難しい。

あなたはなんだと思いますか?

すでにご存知の方もいると思いますが、
私は知りませんでした。

「ツイテル教」の信者である私としては、
このままにしておけません。

頭を捻って考えました。

いったい答えは何なのでしょうか?

ふ〜む。

あっ、
「不運」かな。

でも、それじゃあ、
「ツイてない」と同じ意味になってしまうし…。

と、考えたあげくに、

「答えは、『普通』でしょうか」、
と私なりの解答を返信したところ…。

返ってきた正解=「ツイテルの反対語」、

それはなんと、

「ツカレテル」

…なんだそうです。

なるほど、
たしかに、ツカレテル時はツイテナイことが起こります。

疲労困憊、ストレスいっぱいのときは、
何をやっても裏目裏目に出て、
うまくことが運ばない、ですよね。

反対に、
心身ともに充実し切っているときは、
次々と幸運が舞い降りて来て、
やることなすことすべてうまくいく気がします。

ツイテルことが起きるように、
健康管理はもちろんのこと、
心にも栄養と休養を与えて、

いつも“元気”でいたいものですね。

今週も、
あなたに「幸運」が訪れますように…。

このメルマガ配信によって、
元気パワーがみなぎることを祈りつつ…

 

本日の前置きはこれくらいにして、
メインコンテンツに入ります。

今週も新たに620冊目の「お薦め書籍」から
ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、
【親孝行】
です。

「お前はお前だけのものじゃないよ」
というフレーズに感動しました。

“二人称の死”

実に深いメッセージです。

お役に立ちましたら幸いです。
それでは、どうぞ!
↓↓↓↓↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.620
『「自分」の壁』
“自分探し”なんてやめなさい
養老孟司著
新潮新書

 

関係が希薄になってきて、
人間がバラバラになっている、
というのは随分前から感じていることでした。

たとえば大学や会社の慰安旅行の類がなくなってきた。
これもまた、「個」を立てようとした結果です。

東日本大震災の後、「絆」という言葉がよく使われ、
その大切さが改めて説かれるようになりました。

その一方で、そうした風潮への違和感を口にする人もいました。
「絆」という言葉はなんとなく気持ち悪い、偽善的だ。
そんな反発をおぼえたようです。

私はその頃、これをきっかけに絆の大切さを考えるのは
結構なことじゃないか、と思ったほうでした。

たしかにケチをつけようと思えば、
いろいろ言えることでしょう。
しかし、そういうことはあまり気にしないようにしています。
文句を言えばキリがない。
むしろ、そのいい面を考えていけばいいだろう、
と思ったのです。

絆の問題が、一番わかりやすく表れたのが、
親子の関係の変化です。

親子関係は、子どもが社会に出てからの
人間関係の基本にもなります。

その絆が明らかに薄くなった。

以前から気になっていたのは、
団塊の世代の人々がしばしば、
「老後は子どもの世話にはならない」
と言っていることでした。

親孝行といった道徳をなくしていけば、
当然、そういう考え方になります。

「私は親孝行をしない。
よって子どもも私に孝行する必要はない」
となるからです。

でも、体が動かなくなれば
他人に迷惑をかけざるをえません。
それでいいのです。

世の中には元気でも迷惑な人だって、
たくさんいます。

他人に迷惑をかけずに亡くなるのが
一番いいというのならば、
災害で死んで、遺体も見つからないのが
理想だということになってしまう。
いくら何でも、それはおかしいと思うでしょう。

「子どもの世話にならない」
という考え方を持つ人は、
それを一種の美学だと捉えているのかもしれません。

しかし、社会全体がそういう考え方に向かうのは、
ちょっと危ない傾向に思えます。

それは、「子どもの世話をしない」
ということの裏返しだからです。

要は、「人のことなんか知ったこっちゃない」
ということです。

これは実は人間関係おいて、
手抜きをしているということです。

このことは、「自分の体は自分だけのもの」
という考え方にもつながります。

そして自殺も「俺の美学」になってしまう。

(中略)

死には三種類ある、
と本書以前に出した本の中でもお話ししてきました。

一人称の死、二人称の死、三人称の死です。

一人称の死は「自分の死」、
二人称の死は「身内や友人など知っている人の死」、
三人称の死は「知らない人の死」。

このうち、一人称の死は、
大きな問題のようでいて、
よく考えると当人にとっては関係のないものです。

死んだ瞬間から本人はいないのだから、
「私」には関係がない。

もしも霊になって天から眺めていても、
「私」には手も足も出ません。
そのことは現実が証明しています。

また、三人称の死も、
基本的には私たちには影響をしません。

もちろん、たとえ知らない人の死でも、
ニュース等で知れば、心が痛むのは自然なことでしょう。
しかし、ニュースには流れないだけで、
今この瞬間にも日本中、世界中で人は死んでいます。

三人称の死について、
私たちはいちいち反応はしません。

ほとんどの場合、私たち自身の現実には影響しない。
三人称の死とはそういうものです。

すると、私たちにとって「死」とは、
実は基本的に、二人称の死のことになります。
それに尽きる、といってもいい。

身内など知っている人の死ほど、
私たちの現実に影響を及ぼすものはありません。

親の死や、子の死によって、
文字通り世界の見え方が変わってくることは
決して珍しくありません。

問題は、「一人称の死は大した問題ではない」
という結論だけをいうと、
今の若い人たちはおかしな方向へいきかねない、
という点です。

安易な自殺については第5章でも触れましたが、
それだけではなく
「俺が死んだって大したことではない。
死刑にして欲しいから、人を大量に殺す」
という思考に進んでしまう人まで出てきました。

昔の人も、結局二人称の死しか現実にはなく、
一人称の死には大した意味はない、
という考えはわかっていたはずです。

にもかかわらず、
「私(俺)が死んだってどうってことない」
といってやけにならなかったのはなぜか。

おそらく、そこで意味を持っていたのが、
昔の修身(道徳)の教えでしょう。

たとえば「親孝行」。

人間が最初につきあう自分以外の人は、
親です。
それを徹底的に大切にしろ、
とはどういうことか。

親のほうは「子どもは親の言うことを聞くべきだ」
という教えだと考えているかもしれません。

でも、それは誤解です。

親孝行は、子どもに対して
「お前はお前だけのものじゃないよ」
ということを実は教えていたのです。

 

 

2015年4月12日(日)

******************************
早川勝
【ホームページ】
http://tsuitel.in

最新刊
「死ぬ気で働く営業マンだけがお客様に選ばれる」
http://amzn.to/1CQ99NX

「死ぬ気で働くリーダーにだけ 人はついてくる」
http://amzn.to/1kWAkkK

【早川勝の書籍案内】↓
http://tsuitel.in/books/book_l……index.html

E-mail:hayakawa@tsuitel.in
ご感想、配信停止はコチラ↑
******************************

comments
Copyright(c) 2010 HAYAKAWA, Masaru All Rights Reserved.