早川勝メール【741号】無頼のススメ 頼るな、倒れるな。「負けない人」の流儀とは――。

2015-03-01

 

今日からもう3月ですね。
季節が移り行くのは早いもので、
すっかり春めいてまいりました。

先月下旬には、
北海道や北陸へも遠征しましたが、
雪に降られることもなく、
むしろ東京よりも暖かく感じたほどでした。

北陸では富山から金沢へと移動したのですが、
どちらも「北陸新幹線開業」に向けて、
急ピッチで工事が進められていました。

活況を呈し、好景気をも予感させる雰囲気の中、
あまりのホットな空気感に、
富山に到着するや否や、
いきなり、例のヤツが襲ってきました。

そう、あの「花粉症」が…。

ワクワク感がムズムズ感へと変化し…。

突然、はじまったのです

くしゃみと鼻水が止まらなくなり、
慌ててドラックストアを探したのですが、
なかなか見つからず…。

やがてついに、困ってたどり着いた一軒が、
昭和的なたたずまいの古びた「ザ・薬局」。

ホッとしながらも、
恐る恐るお店に入ると、
「いらっしゃいませ」
と出てきたのは、
腰のまがった怪しき老婆…、

いやいや、
なんて、違います…、
現れたのは意外にも、
20代と思われる若い女性でした。

白衣のよく似合う、
純朴そうなその女性に、
私はすがるように問いかけました。

「花粉症によく効く…、
くすりをください」と。

鼻がつまっていたので、
正しい発音は、
「ぐずりをぐだざい」
と聞こえていたかもしれません。
(山瀬まみのように…笑)

私の必死のリクエストに応えて、
女性店員さんは何種類もの薬を
カウンターの上に並べてくれました。

「うーん…どれにしようか」
と、私は迷いながら、
その中から一番高い2千円の薬を買おうとすると、

女性店員さんは、
「こちらで十分じゃないですかねぇ」
と、千円以下の最も安い薬を勧めてくれました。

次に、「マスクはありますか」と聞くと、
レジ横にあった何十種類の中から、
またもや比較的安価なマスクを勧めてくれたのです。

さらに「ポケットテッシュは売っていますか?」
と尋ねたところ、

「はい、ありますよ」
と一旦は売り場の方へ案内してくれたと思ったら、
あっ、と何かに気づいたように
クルッと引き返してバックヤードから持ち出してきたのは、
なんと、なんと、「無料」のテッシュ。

そのテッシュにはしっかりと、
“北陸銀行”
と書かれていました。

「テッシュありましたから、こちらをどうぞ!」
と差し出してくれたのです。

しかも、保湿性の高い柔らかタイプ。

いや〜、驚きました。

都会のドラッグストアでは、
まずあり得ないことです。

なんとういう商売っ気のない店員さんなのだろうと、
私は思わず、笑ってしまいました。

「ありがとう」
とお礼を言って買い物を済ませた私は、
心に誓いました。

いつかまた、
この薬局にリピーターとしてやってきて、
中国人観光客のように「爆買」をしてあげようと!

改めて“営業の基本”に
気づかせてもらう出来事となりました。

これこそが、
「富山の薬売り」の精神なのかもしれませんね。

とまあ、そんなこんなで、
小さな「喜びごと」が多かった2月でしたが…。

こうして2月を振り返ってみると、
公私ともに凄く充実していて、
「あっ!」という間に
過ぎ去ってしまったような気がします。
(日数が短いのも事実ですが…)

かねてから準備を整えていた、
亡き祖父の三十三回忌と祖母の三十七回忌の法要を
厚木の菩提寺で執り行うこともできました。

施主は七人兄弟の長男である83歳の父ですが、
私は“施主補佐”といったポジションにて、
多少の貢献はできたようです。

親戚の叔父さん叔母さんたちにも、
とても喜んでもらえました。

元気いっぱいな高齢の叔父叔母たちと久しぶりに再会し、
早川家というのは「長生き家系」なのだなと、
改めて実感しました。

今までこうやって私が“運よく”生きてこられたのも、
「天国の祖父と祖母に守られているからに違いない」、
と、感謝の気持ちを新たにした次第です。

2月は、様々な業界から
「講師役」のオファーをいただき、
大阪での大手生保の機関長セミナーや、
都内で実施された某銀行協会の支店長研修においても、
熱いメッセージを届けることができました。

講演後には、参加された多くの管理職の方々から、
「刺激とヒントをもらって大いに役に立っている」
「書籍を毎日カバンに入れて持ち歩き読み返している」
「早速、宿題をやってみて、気づきを得た」
「学んだことを早速、営業組織の現場で生かしている」
というような嬉しいお言葉をたくさん頂戴しました。

皆さんのお役に立てて喜ばしい限りです。
本当に有り難いことですね。

あるリーダー研修では、
一括購入していただいた書籍をテキストにして
レジュメを作ってみたところ、
大変好評でした。

【参考資料】↓
http://tsuitel.in/books/new_bo……index.html

これからも、
世の中への「社会貢献」活動を、
亡き祖父祖母に見守られながら、
「死ぬ気」で続けてまいる所存です。

これからもどうぞ宜しくお願いします。

 

 

と、本日の前置きはこれくらいにして、
メインコンテンツに入ります。

今週も新たに614冊目の「お薦め書籍」から
ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、
【生きるとは】
です。

お役に立ちましたら幸いです。
それでは、どうぞ!
↓↓↓↓↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.614
『無頼のススメ』
頼るな、倒れるな。「負けない人」の流儀とは――。
伊集院静著
新潮新書

 

私の父は、
「人に物乞いをしたら、もう廃人と同じだ」
と徹底して言っていました。

家では年に一度、
かつて父を助けてくれた日本人漁師のお墓参りに行って、
おかげさまでこうして無事に全員生きています、
と報告するのが慣わしで、
家族全員が揃って出かけるその日は外食になるから、
子どもたちにとって楽しみな行事でした。

ところがある日、さあ出かけようという時に、
近所にいた物乞いが母親に向かって、
「奥さま、先日はありがとうございました」
と言うのです。
その瞬間、父は顔を真っ赤にして怒りだし、
その物乞いに近づいていって
肩を揺さぶりながら言いました。

「どうしたお前、
ちゃんと二本足で立ってるじゃないか、
自分で動けるじゃないか。
だったら働け!」

そして母に向かってさらに怒鳴った。

「こいつに何をやったんだ?
モノをやったのか。
自分で働こうとしないやつにモノをやるから、
いつまでたっても物乞いをし続けるんだ。
それは人間として一番卑怯なやり方なんだ。
二度とするな!」

その光景を思い出すと、
頭も身体も人並みに動かせるのに働かない若者も、
年金が少ないだの言っている老人も、
国家に物乞いをしているように見えてきます。

怠けることをよしとし、
物乞いに与え続けるような国家は
やがて潰れるしかありません。

(中略)

今までを振り返ると、
最初に好きだった子は原爆症で死にました。

二十歳前後の頃、
私は野球部でライバルだった親友と、
四歳年下の弟を半年のあいだに相次いで亡くしています。

友人は自殺で、高校生だった弟は海難事故で。
台風が接近する中、弟は一人で沖に漕ぎ出したが、
浜に流れ着いたのは空のボートでした。

冒険家になることを夢見ていた弟の命日が来るたび、
何とか助けてやれる方法はなかったかと
今でも考えてしまいます。

そして妻をがんで亡くした。

仕事を休んで入院治療に付き添いましたが、
二百九日間の入院の後、
還らぬ人となりました。

私は動揺し、しばらく何もする気が起こらず、
酒とギャンブル漬けの茫然自失したような日々を送りました。

私が小説家になることが妻の願いであったことを知ったのは、
死別して二年後のことでした。

最近では付き合いの長かった男が三人、
次から次に亡くなりました。

彼らの死を小説で描いたとき、
角田光代さんが、
「伊集院さんは死を川の流れのように書く」
とどこで書いていました。

そうかもしれない、と思います。

近親者の死というのは、
当人しかわからない苦節を残します。

それを経験した年齢が若いと、
それだけ心身をゆさぶられるものです。

なぜ死んでしまったのか、
という答えの出ない問いを繰り返したり、
時の経過や理屈とは別に
不意に記憶がよみがえったりもします。

でも一つ言えることは、
そのときは分からなくても、
どんな哀しみにも終わりはあるということ。

生き続けてさえいれば時間が解決してくれる。

時間がクスリという言葉はほんとうです。

(中略)

母が父のところへ嫁に行くとき、
祖母から言われたことがあったそうです。

その一つは、
「男の人殺しが縄をかけられて連れ回されているときに、
絶対に石を投げたりしてはいけない」

もう一つは、
「身体を売るために町に立っている女の人に、
パンパンとか夜鷹とか絶対に言ってはいけないし、
子どもの口からも言わせてはいけない」。

なぜなら、
「男三人育てれば、一人は人を殺すかもしれない。
女三人育てたら、皆いいところに嫁がせたつもりでも、
そのうち一人くらいは
身体を売らなきゃいけない立場になってしまうことがある。
それが世の中というものだから」。

そう教えられたという。

じつに三分の一の確率で、
わが子が人を殺すか、
娼婦のようになる可能性がある。
その男にも女にも必ず親というものがある。

だから決して
貶めたり蔑んだりしてはならないというのです。

私がめったなことで講演を引き受けないのは、
文章で四苦八苦しているような人間の話すことが
きちんと伝わる自信がないからですが、
講演でこの話をすると、
年配の人ほど納得してうなずいてくれます。

私の高校時代の恩師である倫理社会
(哲学といったほうが適当だったが)
のM先生にその話をしたら、
「その通りだ。
新聞に毎日これだけ人を殺したという話が出てるじゃないか。
それが自分たちの身内でないという保障などあるか」。
そう言われたものでした。

たしか武者小路実篤が言ったように、
新聞の一面を見て物語が浮かばないようなら
小説家になる資質はないだろうし、
事実関係だけが書かれたベタ記事でも、
その裏側にはとてつもなくたくさんの事情があるにちがいない。

だから山手線を二周ぐらい回って人間を観察してみて、
物語が一つも浮かばないようなら、
小説家になるのはあきらめたほうがいいと私も思います。

世の中で起きたことは自分にも起こりうる。

今日の三面記事は明日の自分かもしれない。

人は誰だって外からはうかがい知れない。

その人なりの事情を抱えながら、
それでも平然として生きている。

(中略)

前に亡くなられた久世光彦さんが、
「伊集院はいつ死んでもいいと思っている。
彼は五十歳くらいが締切りじゃないか」
ということをどこかで書かれていました。

確かに、ある程度の歳まで生きられたら
一応は自分の区切りとして、
それ以上はもうけものと考えたほうがいい。

けれど、その後は余禄の、
幸福な時間とはかぎらないのが人生というものです。

私は、床の間で家族みんなに囲まれて
安らかな死を迎えるとか
何か形のよすぎる発想はほとんど間違いだと考えているし、

病院で何本も身体にチューブをつながれながら、
「お爺ちゃん、死なないで」
とすがりつかれるのも勘弁してほしいと思います。

平穏死、尊厳死、終活とか断捨離ブームだとか
色々言い方があるようですが、

人間はほとんどが半端もので、
それが人間そのものではないのかな、
と考えています。

八十歳を超えたから大往生で、
二十代や三十代の死は夭折だと世間は言います。

でもそれは程度の問題にすぎなくて、
死というのは誰にとっても、
どんな形であっても
「そうであった」
ということでしかないのではないか。

お前は永遠に生きるだろう、
なんて言われたら
私は恐ろしくて気が狂ってしまうにちがいありません。

ある時代に生を享け、
多少の時間差はあっても
みんなその時代に生を終えるから、
安堵もあるのではないかと思うのです。

「お前の村へ帰りなさい。
もう自分の路地へと帰りなさい」

それが私の考える「死」というものです。

つまり、自分が初めて
「孤」であると知った場所へと帰っていくこと。

あくせくした都会でずっと生きていたなら、
自分の路地へ帰るからもう静かにしてくれ、
といって一人で死ぬ。

「戦場の兵士が見る夢は、
勝利の日のことでも敗北のことでもない。
それは彼の故郷の美しい山河である」

あるイギリス詩人はそう言っています。

戦場の塹壕の中にいる兵士が、
死と隣り合わせで自分の生を想うとき、
生きたいと願っても傍らにははっきりと死が存在するとき、
彼はやっぱり自分の村を思い、
路地を思うしかない。

それは間違いないことでしょう。

人が死に際して必要なのは
人間の情念を言葉にしたもの、
それは小説ではなくやはり一行の言葉、
詩なのだと私は思います。

久世さんの言われたように、
いつ死んでもいいな、
という思いは今もあります。

なぜ死なないか。

それは
自分はまだ戦っているからです。

生きているかぎり、
戦いとは「最後まで立っている」ことだから、

まだ倒れない。

それだけのことです。

 

 

2015年3月1日(日)

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