早川勝メール【739号】善の根拠 私にも、私の生にも根拠はない。では、なぜ生きるのか。

2015-02-15

 

先日、「丹波の黒豆」を贈っていただいたばかりの京都のKさんより、
今度は、日本一美味しい「しらす」が我が家に届きました。

お店を出せるくらい大量に、箱いっぱいの「しらす」をいただきました。

バレンタインデーに「しらす」の贈り物とは、
粋な大人の心遣いですよね。

「しらす」にはカルシウムやビタミンが豊富に含まれていて、
コレステロールを下げる効果もあり、健康にもいい。

甘いお菓子よりも、「中高年向き」です。

Kさん、ありがとうございます。

「丹波の黒豆」も絶品の味わいでしたが、
今回の「しらす」も……、
これがもう最高に旨い!

さらに、Kさんの「しらす丼レシピ」によると、
(1)「ゴマ油」と(2)「卵かけご飯用のお醤油」
をほかほかご飯に混ぜ合わせ、
その上に(3)「大葉」と「しらす」をどっさりとかけて、
食べるというのがオススメとのこと。

たしかに、そうして食べると、絶妙な味わいになります。
本当に「旨かった!」。

私はその究極の「しらす丼」を「GTO丼」と名付けました。

ゴマ油のG、卵かけ醤油のT、大葉のO、
それぞれの頭文字をとって、GTO。

銀座に一号店をオープンしたら、きっと大繁盛するでしょう。

皆さんも、どうぞお試しあれ!

おかげさまで、最近、私の身の回りには、
ささやかな「喜びごと」が増えてきたような気がします。

「喜べば、喜びごとが、喜んで、喜び集めて、喜びにくる」

“作者不詳”のこの言葉を思い起こし、
心の中でリズミカルに繰り返し唱える…、

そんな今日この頃です。

 

 

と、本日の前置きは短めにして、
メインコンテンツに入ります。

今週も新たに612冊目の「お薦め書籍」から
ためになる一節を抜粋し、ご紹介いたします。

本日のテーマは、
【不瞋恚(ふしんに)。怒ってはならない】
です。

お役に立ちましたら幸いです。
それでは、どうぞ!
↓↓↓↓↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.612
「善の根拠」
私にも、私の生にも根拠はない。では、なぜ生きるのか。
南直哉著
講談社現代新書

 

怒りという感情や行為は、
それが発現する不可欠な条件として、
怒りの当事者が、自分の考えが正しいと
確信していなければならない。

さらに、その確信によって、
怒りの対象である「間違っている他者」の在り方を、
「自己」のアイデアどおりに変えようとする。

これは、「自己」と「他者」を
厳しく峻別する態度である。

なぜそうなるのか。

「正しさ」という、
むしろ理性的あるいは論理的態度から帰結する観念が、
どうして「怒り」という感情の爆発を生むのか。

それは、ある考え方や行動の
「正しさ」の根拠が、
同時にそのように考え振る舞う「自己」の在り方を
肯定する根拠として、機能しているからである。

つまり、
自ら「正しい」と確信する考えや行動を否定されることは、
「自己」の存在を否定されることなのだ。

したがって、
「自己」を否定する「他者」を否定しない限り、
「自己」を肯定することができない。

これが「怒り」の発現である。

すでに述べたとおり、「無常」の考え方から言えば、
「正しさ」を確実に根拠づけるものは何もない。

だからこそ、
「正しさ」の主張は、
「他者」の否定を根拠として
代用するしかないのである。

実際には、
「他者に課せられた自己」
という存在の構造においては、
すべてが「他者」に媒介されて
「自己」へともたらされる。

そうである以上、「正しさ」も、
「自己」あるには「他者」のどちらかに
一方的に帰属しうる観念ではない。

「正しさ」とは、
特定の共同体において
妥当あるいは好適とされる
「自己」と「他者」の関係様式のことであり、
その共同体の構造を規定する手続きによって、
「正しさ」が決まる。

ということは、
「自己」と「他者」の関係において、
ある矛盾や相克が発生した場合、
その問題の解決は、
関係性の調節にあるのであって、
怒る「自己」が一方的に
「他者」に屈服や従属を強いることではない。

「盗人にも三分の理」
とはこの意味である。

たとえば、
「オレは何も聞いていない」
と上司が激怒する場合、

彼は「報告されるべき立場にある自己」
を部下に無視されたり否定されたりしたと
感じているのだろう
(「ブライドを傷つけられた」状態)。

すると、
単に「報告されることの当然性・正当性」
を脅迫交じりに主張することは、
「他者」との関係性を度外視した、
錯覚的で無意味な「自己」主張にしかならない。

なぜなら、
この問題の解決は、
上司が「報告されるべき立場の正当性」
を部下に強引に認めさせるようなことではなく、
第一に「報告が無かった、できなかった」状況を分析して、
その理由を除去することにあるからだ。

そして次には、
部下が「報告の必要性を納得する」
ことによって意思疎通が円滑になり、
業務が改善されることであるはずである。

それはすなわち、
会社の運営体制における、
情報流通をめぐる「自他」関係の調整なのだ。

重要なのは上司の主張の「正しさ」ではなく、
「職場」の共同体の関係の妥当性なのである。

すると、
そもそも「怒り」は多くの場合、
問題の解決には無益だということになる。

「怒り」の極めて限定的な有効性は、
問題の所在を刺激的な方法で
一挙に明らかにすることだけである。

ただし、この方法では、
問題の具体的な様態を知ることはできないし、
むしろこの感情は状況の冷静な把握を阻害する。

したがって、
問題の解決には「怒り」は不要であり、
無い方がよいのである。

 

 

2015年2月15日(日)

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