早川勝メール【731号】責めず、比べず、思い出さず 苦しまない生き方 困難は悪魔の嫉妬 すべては必ずよくなります

2014-12-21

 

本日の前置き(ひとり言)は、
「早川はついに頭がおかしくなったんじゃないか?!」
と言われそうな内容です。

まともな常識人の方は「前置き」を読み飛ばし、
メインコンテンツから読み始めるようにしてください。

実は、前々回の729号で書いた「未来の話」に対し、
意外にも数多くの反響が寄せられました。

なるほど、そうならばと、
にわかにSFの世界へ興味をそそられた私は、
映画「インターステラー」を鑑賞してまいりました。
(映画コンシェルジュである親友の美人妻からの推薦もあり)

いい意味で期待を裏切られましたよ。
腰が抜けるほど、凄い映画に出会いました。

いや〜、感動!!
泣きました(涙)

といっても、「アルマゲドン」のような娯楽大作ではなく、
「2001年宇宙の旅」のような難解な作品でもなく…。

まるで観ている私たちも一緒に宇宙を旅しているのではないか、
と、錯覚してしまうほどの臨場感を楽しめるSF映画でした。
でありながら、
その奥には、深〜い「哲学」が描写されていて、
ある種の独特な世界観を放っていました。
(以前紹介した「ルーシー」以上の深い哲学がありました)

主人公の父親役を演じるのは、マシュー・マコノヒー。
「ダラス・バイヤーズクラブ」で
アカデミー賞主演男優賞を受賞した実力派俳優です。

マコノヒーと共に宇宙へ旅立つ女性科学者役には、
「レ・ミゼラブル」で
アカデミー賞助演女優賞を受賞したアン・ハサウェイ。

さらに脇を固めているのは、
巧演ジェシカ・チャスティン、怪優ジョン・リスゴー、
熟演エレン・バースティン、渋演マイケル・ケイン、
というオールド映画ファンにはたまらない配役です。

それぞれのキャストが、圧倒的な存在感を放っていました。

そんな名優の中でも特に印象的だったのは、
娘マーフィー役の女の子でしたね。
(「マーフィーの法則」が名前の由来とは面白い)

父娘の強い絆を描く「愛の物語」に仕上がったのは、
彼女の存在があったからこそでしょう。

砂嵐に襲われる近未来の地球。
深刻な食料難により「人類は滅亡する」という現実を突きつけられたマコノヒーは、
溺愛する娘に別れを告げ、宇宙の果てに旅立ちます。

人類が移住できる新たな惑星を探す、という命懸けのミッション。

地球に残していく家族と人類の未来、
マコノヒーは、その狭間で葛藤しますが、
やがて未開の新天地を目指すことを決意します。

「必ず、帰ってくる」と愛する娘と約束し、
強く抱きしめるシーンには、
同じ父親として、ぐっと感情移入させられます。

私自身も宇宙船に乗り込んで
未知の惑星へと旅立つ、と錯覚してしまうほどに…。

遠い宇宙の果てしない孤独の中で、
その苛酷さに混乱し正気を失う姿もリアルに表現され、
人間的な「弱さ」を見事に描写していました。

と同時に、その弱さと「強さ」をも丹念に描くことで、
人間の「愛の力」が浮き彫りになっていきます。

地球と宇宙との時間のズレ。

宇宙船に届く家族からのビデオレターには、
年老いていく家族の姿が映し出されていきます。

「世界を救うんだ」という人類への思いと、
「家族のもとへ帰りたい」という利己的な願いとが、
対立していく構図を描きながらも…、

それらが、共に同じラストへと辿り着く
というストーリー展開となっていきます。

その演出からも、「人類愛と家族愛は相反しない」
というノーラン監督からのメッセージが伝わってきます。

映画の中の一シーンに、こんな問いかけをするセリフがあります。

「父親は死ぬ前に何を思い浮かべると思う?」

さあ、あなたはいかがでしょうか?

死ぬ前に何を思い浮かべますか?
誰を思い浮かべますか?

答えは、

「子供の姿」

であると。

なるほど、そうですよね。
私もそう思います。

もっと言えば、
死んだ後もずっと思い続け、
見守っていくのでしょう。
永遠に…。
たとえ宇宙の果てにいようとも。

そして、叶うならば、
「愛の力」によって、
遠くから救いの手を差し伸べてあげたくなるはず。

「人類最高の発明は“愛”だ」
というセリフも。

いつの時代も、人間を救ってくれるのは、
〝愛〟 なんですね。

映画から問いかけられた、
宇宙の果てに存在する「五次元生命体」というのは、
私たちが愛を極めて「進化」した姿、そのものなのかもしれません。

私たちの人生という旅のゴール、
それは本当の“愛”を見つけることなのだと、
改めて気づかせてくれた映画でした。

やはり、私たち人間は、
「死ぬ気で」人生と向き合うことで、
いかにして「愛に生きるのか」
ということを学ぶのでしょう。
http://tsuitel.in/books/index.html

 

ところで、あなたは、
「宇宙の果ての果ては、どうなっているのか」
と考えたことはありませんか?

「果て」があるということは、
その先の果ての果てはないのだろうか?
無限に広がる宇宙って、いったいどういうこと?
と考えれば考えるほど、混乱してきます。

しかし、私は「インターテステラー」を観て、
今までぼんやりと思い描いていた妄想のような仮説が
ついに確信に変わりました。

人の“心の中に”宇宙が存在するのだと。

宇宙の果てと現在の私たちは“つながっている”のだと、
すっきりと腑に落ちた瞬間でした。

映画の中での宇宙の果てには、
五次元生命体が存在するというシーンがあります。

現実に、三次元の地球に生きる我々にとって、
想像を絶する宇宙が存在するであろうことは、
誰にも否定できないはずです。

「幽霊」のような五次元生命体には、
時間や距離の概念など存在しません。

未来も過去もありません。

「神の存在」「魂」「守護霊」「輪廻転生」
「シンクロニシティ」「セレンディピティ」
「引き寄せの法則」「宇宙の法則」「テレパシー」
「予言」「お告げ」「運勢」「風水」「お祓い」
私たちが時おり耳にするスピリチュアルな現象を
“信じる、信じない”は、個人差があります。

それを物理的に証明することができないからでしょう。

私たちは日常、
三次元の世界に「あるもの」しか
信じることができません。

しかし、宇宙の果てと「私たちの心の中」はつながっている、
そう“解釈”すると、すべての疑問が解決します。

運、不運に振り回されているとき、

「見えないもの」に守られている、
「見えないもの」に動かされている、
という感覚、ありますよね?

(あっ、やっぱり、早川は頭がおかしくなった、と思われているかも…)

自分たちを守ってくれているのは、
宇宙の果てからやってきた、
ほかならぬ自分自身の魂なのです。

なんのこっちゃ、と思っている方は、
映画見れば理解できるかもしれません。

クリストファー・ノーラン監督は人間の姿をしていますが、
その「真実」に気づいている宇宙人に違いない…。

今までも天才の中の天才監督であると思っていましたが、
改めてファンになりました。

「インターステラー」が世界的な大ヒットになっているのは、
当然と言えば当然ですね。

ぜひあなたも、年末年始には映画館へ足を運び、
「哲学の宇宙旅行」
を楽しんでみたらいかがでしょうか?

 

 

と、前置きはこれくらいにして。

メインコンテンツに入ります。

今週も新たに604冊目の「お薦め書籍」から抜粋します。

本日のテーマは、
【今を生きる】
です。

お役に立ちましたら幸いです。
それでは、どうぞ!
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私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.604
「責めず、比べず、思い出さず」
苦しまない生き方
困難は悪魔の嫉妬 すべては必ずよくなります
高田明和著
三笠書房

 

禅でも、「今」しかない
という体験をさせようとします。

即今、というのが
悟りだといいます。

実際に過去もなく、未来もないのです。

あるのは「今」ばかりなのです。

私たちを苦しめているのは、
「過去の反省」と「未来の心配」です。

「自分はなぜ、あんなことをしてしまったのだろう。
あれさえなければ成功したのに」とか、
「あのとき、あの人は何とひどいことをしたのだ。
一生恨んでやる」などと思うのですが、
実は過去の自分や他人も今の自分、
他人ではないのです。
今の自分に過去の責任を問うことはできないのです。

同じように未来の自分、未来の社会の人々は、
今の自分、今の社会の人々と同じではありません。

似てはいるのですが、本質的に別なので、
連続的につながっているように見える未来を心配しても、
何も解決しないのです。

また未来は、
自分と関係のない人たちが決めたり、
争ったりするので、
自分に決定権のないことを考えても、
苦しいのは当然です。

ですから禅では、
「今」しかないということをどうしたら悟らせることができるか
ということに心を砕くのです。

本質的に過去の自分と今の自分は異なるのだ、
今の自分には過去の行為の責任はない、
ただ法律的、あるには社会通念の上から
責任を問われているだけなのだから、
その制度内で責任を果たせば、
それ以上の責任はないのだ、と理解することは、
生きいきと生きていく上で非常に大事なことだと思います。

諸行無常の教えは、この根本問題を解決します。

(中略)

(一) 責めず、比べず、思い出さず

私たちの悩みの元を探ると、
まず他人と比較することが原因であることが多いようです。

堀口大學さんの詩『座右銘』にあるように、
「暮らしは分が大事です。気楽が何より薬です」
という考え方以外に、私たちの心を楽にする方法はありません。

また、私たちは過去の失敗、できなかったこと、
あるには他人に批判されたり、
軽蔑されたりしたことを思い出して自分を責めます。

しかし、自分を責める心があるかぎり幸せにはなりません。

江戸時代の臨済宗の高僧、盤珪禅師も言われたように、
とにかく思い出さないことです。

「責めず、比べず、思い出さず」という言葉は、
いつも口ずさんでいれば効果があります。

常日頃から自分に言い聞かせましょう。

(二) 困ったことは起こらない

これは私の運命を変え、
私を「うつ」から救った言葉です。

今だからいえるのですが、
私の人生には「これが起こったら嫌だな」とか
「こうなったら困るな」というようなことが、
数限りなくありました。

たしかに困ったことはいくつか起きました。
しかし、この言葉を唱えていると、
その困ったことが、別にどうといったこともない、
心配するほどのことでもなかった、
ということになるのです。

読者のみなさんも
「仕事がこうなったら大変だ」とか
「家族にあんなことが起きたら困ったことになる」
などという心配をおもちでしょう。

そのときは、
この「困ったことは起こらない」
を思い出してください。

「困ったことは起こらない」
という言葉に言霊という見えない力があるのです。

私は数年前から講演の際、あるいはラジオに出演するときには、
「『困ったことは起こらない』という言葉には言霊の力がある。
道を歩いているとき、朝、顔を洗っているとき、
何か嫌なこと、心配事が起きたときには、間髪を入れずに
『困ったことは起こらない、困ったことは起こらない』
と口ずさんでごらんなさい。
必ずよい気分になり心配事も消えます」
と申し上げています。

最近、ある人が私の講演会に来られ、
その後の懇親パーティーでお会いしたときに
「先生『困ったことは起こらない』と常に口ずさんでいますが、
本当に嫌なことは起こりませんでした」
と感謝してくださっています。

ですから、みなさんもこの言葉の言霊としての力を信じて、
常に閑を見つけては、あるいは不安な気持ちが芽生えたら、
「困ったことは起こらない」と繰り返してください。

その効果が絶大であることは保証します。

(三)すべてはよくなる

これは「困ったことは起こらない」
という言葉と似ているように思われるかもしれませんが、
必ずしも同じではないのです。

「困ったことは起こらない」というのは、
過去の事件により未来が影響を受けて、
それが自分の幸せ、生きがい、
あるいは仕事を邪魔するのではないか
という意味が暗黙のうちに含まれています。

自分は以前、あんなことをしてしまったから、
困ったことが起こるだろうという具合です。

過去にやってしまったこと、失敗したことについて、
他人は自分を馬鹿にしているのではないか、
あんなことをして人々はもう自分を信頼していないのではないか。
こんな心配を打ち消すのが「困ったことは起こらない」です。

一方、「すべてはよくなる」ですが、
人は自分の力の及ばない過去、
つまり家柄、親兄弟の力、学歴、能力などについて疑問をもち、
このような自分には幸せとか成功はとても望めないのではないか、
という思いをもつことがあります。

さらに、思いもよらないトラブルが起こり、
もしこれがうまく処理できなければ、自分の未来はないなどと、
くよくよ悩んでしまうこともあります。

このようなときに
「すべてはよくなる、すべてはよくなる」
と口ずさむのです。
すると不思議と悪いようにはならないことが多いのです。

私の話で恐縮ですが、
あるときに私の息子がトラブルに巻き込まれました。
彼が悪いのではないのですが、
会社の上層部がどのように解釈するか、
あるいはどのような判断を下すかによって、
彼の未来が決まるような事件でした。

この会社の決定がなされる日のことですが、
家を出て行く息子に「高田家に不幸なし」と声をかけ、
「『すべてはよくなる』と言いながら会社に行きなさい」
と告げました。
私も「すべてはよくなる」とくり返し口ずさみ、
彼が帰ってくるのを待ちました。

彼は夜遅く帰ってきたのですが、
「どうだった」と聞くと、
「うまくいったよ」とのこと。

私は思わず、「高田家に不幸はない、は本当だっただろう」
と言ったのでした。

ですから、何か心配事があったようなときには、
「困ったことは起こらない」
という言葉と同時に
「すべてはよくなる」
という言葉もくり返してください。

本当に事態は好転し、
心配したようにはならないから不思議です。

(四)嫌な過去は思い出さない、考えない

私たちは絶え間なく何かを考えている
といってもよいでしょう。

その中には過去に起きたこと、
やったこと、人からされたことを思い出し、
考えてしまうということも多々あります。

研究によれば、
私たちが思い出すことの八十%くらいは
嫌なことだというのです。

しかもこの率は年をとるほど増え、
七十歳代、八十歳代になると
思い出すことのほとんどが嫌なことになっているとのこと。

実に多くの人が「人生をやり直したい」
「こんなはずではなかった」
「周囲の人が羨ましい」などと思っていて、
自分の過去はよくなかったと嘆いているのです。

至道無難禅師は
「考えないようにしていれば、自然と心の光は輝き、
妄想の雲は薄くなる。仏になれるのだ」
と述べています。

また、盤珪禅師は
「思い出すから苦しいのじゃ。
思い出しさえしなければ心は安泰なのじゃ」
と示され、
当時、嫁姑問題で苦しむ人たちに
「嫁は憎くないぞ。嫁が『あのときに、あんなことをした』
という記憶が憎い気持ちを起こすのじゃ。
記憶が悪いのじゃ。
思い出さなければ、嫁は憎いものではないぞ」
と諭されています。

妙心寺の管長もされた日本の代表的な禅僧、
山田無文老師はこの言葉をさらに発展させ、
「よいことも、悪いこともすべてを考えないようにしよう」
と述べています。

禅ではこのように、
考えること、思い出すことが
不幸のもとだとくり返し述べています。

(五)困難は悪魔の嫉妬―――後で大きな幸運に恵まれる

先に「困ったことは起こらない」とか「すべてはよくなる」
という言葉を紹介しましたが、
ときに、予想もしない困難が起こることがあります。

大切なときに病気をしたとか、
思わぬ事故にあった、
あるいは怪我をしたという場合です。

このような場合に私は
「困難は悪魔の嫉妬」
と自分に言い聞かせ、
これからよいことが来るのを
悪魔がさまたげようとしているのだと考えます。

つまり、このようなことが起きた後には、
必ずもっと大きな幸運に恵まれると考えるのです。

実際の私の経験でも、
そのように幸運が訪れたことが多かったと思っています。

これは仏教の因縁の法則にも当てはまります。

達磨大師の言われたように、
「私たちは何か悪いことがあると、
ぺしゃんこになってしまうが、それは間違いだ。
払わなくてはならない業の借金を払い、
これで借金なしになったと思えばよい」
のです。

ですから、思わぬ苦労、予知できぬ困難に出合ったときには
「困難は悪魔の嫉妬」
と思い続けていると、
意外に気持ちが楽になるのです。

 

 

2014年12月21日(日)

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