早川勝メール【677号】『「今」という生き方 人生に努力はいりませ ん』

2013-10-20

 

本日は、皆様とのご縁のおかげを持ちまして
無事に満51歳の誕生日を迎えることができました。

つきましては、各方面の数多く方々より
心温まる誕生祝いのメッセージをいただきまして、
誠にありがとうございました。

本来であれば、
お一人お一人へ御礼のお返事を差し上げるべきところではございますが、
この場をお借りいたしまして、心より御礼を申し上げます。

平穏に本日の誕生日を迎え、
改めて、この世に生んでくれた両親に心から感謝するととともに、
この歳まで健康に生かされてきた幸運にも感謝しつつ、
素晴らしい良き日を静かに過ごすことができました。

ささやかで当たり前の日々ほど、 有り難いことはありません。

こうして平和に暮らせるのも、 皆様のご支援の賜物です。

感謝しても感謝しても感謝しきれません。
本当にありがとうございます。

これからも宜しくお願いします。

私がこうして毎年、 一つずつ歳をとっていくたびに感じること、

それは、 「また一つ若返ったような気がする」
ということです。

私の強い思い込みなのでしょうが…、
歳をとればとるほど、 どんどん実年齢とかけ離れていくような感覚があります。

45歳くらいからは折り返し若返っていると、 本気で信じ込んでいます。

ということは、私は今日で「39歳」、 来年の今日になると、38歳。

そうすると、 30歳で定年を迎える計算になりますので、
そのときには、心身ともにさらに充実して、
思っきり新しいチャレンジができそうですね。

という「希望」を持ちつつ、
されど明日の死を「覚悟」して、 悔いのない毎日を送っていきたいと、

改めて決意した一日となりました。

 

と、前置きはこれくらいにして、
それでは、
メインコンテンツに入ります。

本日も、新たに「552冊目」のオススメ書籍から
抜粋した「なるほど!」という一節をご紹介します。

本日のテーマは
【幸せとは…】
です。

お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
私の本よりためになる「お薦め書籍」シリーズ No.552
『「今」という生き方』
人生に努力はいりません
小林正観著
廣済堂文庫

「幸せ」という現象は宇宙に存在しない。
幸せだと思ったその「私」にだけ、
幸せが生まれる。

目に見えていても、
それが何かわからないと見えていない、
見てはいるけど見えていない、
というものがたくさんあります。

十年ほど前まで、松山の道後温泉の公衆浴場に、
世界で最大の一枚岩の浴槽がありました。

その世界最大の一枚岩の浴槽に、多くの人が入っています。
しかし、「道後温泉には世界最大の一枚岩の浴槽がありました」と言うと、
多くの人が「見ていない」と答えました。

温泉に入った人は必ず目に入っているはず。
「世界最大の一枚岩の浴槽」ということを知らないと、
見てはいるが見えてはいない、わからないのです。

「見ている」と「見えている」ことは、かなり違います。

これを幸せというものに置き換えると、
あることがわかってきます。

幸せを認識できる方法を手に入れなければ、幸せが永久にわからない、

ということです。

私たちは、明治以降に入ってきた西洋文化の幸せ論を、
学校教育の中で教え込まれました。

その幸せ論とは、
「足りないものをリストアップして、
それを手に入れるのが幸せなんだ」
というものです。

「理科が苦手な人は、理科を勉強しなさい。
努力しない人は、バカだ、クズだ。
それを克服しなければ幸せになれない」と、
足りないものをフォローし、
人並み以上にならなければ幸せではない
と教えられてきました。

学校教育と同じように、
家庭でも同じように教育されます。
その延長に会社があり、社会ができています。

このように、ある一つの価値観で教え込まれることを
「洗脳」と言います。

世の中が百パーセント、この教育方針に従っているので、
ほとんどの人がこの西洋文化の幸せ論に洗脳されています。

この幸せ論に染まって一生を過ごしていく人がほとんどでしょう。

しかし、本当の幸せとは、努力して手に入れるものではありません。

「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだね」
という歌がありましたが、
どこへ歩いていったら幸せはあるのでしょうか。

幸せという現象を見せてほしいと言っても、
誰も見せてくれません。

それは、幸せという名の現象は
もともと宇宙には存在しないからです。

しかし、「幸せ」という言葉は、辞書には載っています。
なぜかというと、幸せが存在するときがあるからです。

ある時、ある条件のもとで、幸せが存在する時がある。

それは、「私」が幸せだと思った時、
その思った「私」にのみ、幸せが生まれるのです。

たとえば、お茶を飲んで「幸せ」だったとします。
その瞬間、私にとって幸せは生まれました。

幸せという現象は、存在しているものではありません。

探すものでも、手に入れようと努力するものでもない。

幸せとは、感じるもの、気づくものなのです。

聖書の「マタイによる福音書」の中に、このような言葉があります。

心の貧しい人は幸いである、天国は彼らのものである
悲しんでいる人は幸いである、彼らは慰められるであろう
柔和な人は幸いである、彼らは地を受けつぐであろう
義に飢えかわいている人は幸いである、彼らは飽き足りるようになるであろう
あわれみ深い人は幸いである、彼らはあわれみ受けるであろう
心の清い人は幸いである、彼らは神を見るであろう
平和を作り出す人は幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう
義のために迫害された人は幸いである、天国は彼らのものである

※「心の貧しい人」とは、自分の「精神」「霊」の貧しさを知る人を指しています。

「普通に過ごせることがとても恵まれていて幸せなことだ」
と気づくための条件があります。

それは、大病や事故などの、
一般的に「不幸」と呼ばれる状態に身を置くということです。

それらを体験した人は、
何も起こらない日々がどれほどありがたいことかと、
毎日、感謝できます。

生まれてからずっと目が見えない人が、
このようなことをおっしゃいました。

「目が見えない者同士で結婚をし、子どもが生まれました。
その子はまわりの人から可愛いと言われています。
可愛いと言われている子どもの顔を、
死ぬまでに一度でもいいから見てみたい。
一秒でもいい、一秒が無理なら一瞬でもいいから見てみたい。
自分の両親の顔、結婚した人の顔を見てみたい。
でも死ぬまでにそれが叶うことはないだろう」

目が見える人は、毎日いろいろなものを見ることができます。
それなのに、目が見えることに日々感謝しているでしょうか。

自分の足で歩けること、話ができること、食べられること……。
すでにたくさん恵まれています。

そのことに気づいた瞬間、
たくさんの「幸せ」を手に入れることができるでしょう。

 

 

2013年10月20日(日)

 

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早川勝

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